「マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2020年1月}}
[[画像:Francisco de Goya y Lucientes 062.jpg|thumb|right|マリアの人物画(ゴヤ画)]]
{{基礎情報 皇族・貴族
[[画像:Goya alba2.jpg|thumb|right|マリアの人物画(ゴヤ画)]]
'''| 人名 = マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド''' (María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo,[[1762年]][[6月10日]] - [[1802年]][[7月23日]])は、[[スペイン]]の13代[[アルバ公]][[ホセ・アルバレス・デ・トレド・イ・ゴンザーガ]]の妻。
[[de:Maria del| Pilar各国語表記 Teresa= CayetanaMaría de Silva y Álvarez de Toledo]]
| 家名・爵位 = 13代[[アルバ公|アルバ女公]]<br>11代ウエスカル女公
| 画像 = Goya Alba1.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 = 『[[白衣のアルバ女公爵]]』([[フランシスコ・デ・ゴヤ|ゴヤ]]画)
| 在位 = [[1776年]] - [[1802年]]
| 続柄 =
| 称号 = 15代[[メディナ=シドニア公]]妃
| 全名 =
| 身位 =
| 敬称 =
| 出生日 = {{生年月日と年齢|1762|6|10|no}}
| 生地 = {{ESP1506}}、[[マドリード]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1762|6|10|1802|7|23}}
| 没地 = {{ESP1506}}、マドリード
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 配偶者1 = 15代[[メディナ=シドニア公]][[ホセ・アルバレス・デ・トレド・イ・ゴンサガ]]
| 子女 =
| 家名 = [[アルバ家]]
| 父親 = 10代ウエスカル公フランシスコ・デ・パウラ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド
| 母親 = マリーア・デル・ピラール
| 役職 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
[[File:Goya-duquesa de alba.jpg|thumb|『[[黒衣の女公爵]]』([[フランシスコ・デ・ゴヤ|ゴヤ]]画)]]
全名'''マリーア'''・デル・ピラール・テレサ・カイエターナ'''・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド''' (María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo, [[1762年]][[6月10日]] - [[1802年]][[7月23日]])は、[[スペイン]]の13代[[アルバ公|アルバ公爵夫人]](Duquesa de Alba、この場合の'''公爵夫人'''とは、自身の権利としてアルバ公位の継承者であることを意味する。女公爵ともいう)。15代[[メディナ=シドニア公]][[ホセ・アルバレス・デ・トレド・イ・ゴンサガ]]の妻。
 
== 生涯 ==
18世紀スペインの、美しく機知に富んだ知的な女性として知られる。夫とともに、画家[[フランシスコ・デ・ゴヤ]]のパトロンとして有名で、ゴヤはアルバ公の館にアトリエを提供されていた。
10代ウエスカル公フランシスコ・デ・パウラ(12代アルバ公フェルナンドの子)と、マリーア・デル・ピラール(María del Pilar Ana de Silva Bazán y Sarmiento)の子。存命時は''カイエターナ''と呼ばれていた。彼女の伝記は、事実に基づく資料と小説風のものとが混在している。
 
18世紀スペインの、美しく機知に富み知的、そして性的魅力ある女性であり、その自由な生活ぶりも知られていた。メディナ・シドニア公であったホセ・アルバレス・デ・トレド・イ・ゴンサガと結婚。夫とともに、画家[[フランシスコ・デ・ゴヤ]]の[[パトロン]]として有名で、ゴヤはアルバ公の館にアトリエを提供されていた。ゴヤによる謎めいた肖像画が残っており、現在に至るまで彼との私的な関係の推測が絶えない。また、時の宰相[[マヌエル・デ・ゴドイ]]が所有していたという[[裸のマハ|マハ]]の絵画も、公爵夫人の顔に似せて描いたと言われている。
 
彼女は子供と貧者に温かく接したが、同時に気まぐれな人物で浪費と虚飾にまみれ、マドリードの宮廷で目立った人物である、王妃[[マリア・ルイサ・デ・パルマ]]、[[マリア・ホセファ・ピメンテル|オスナ公爵夫人]]との軽薄な競争を続けた。ある時、カイエターナとマリーア・ルイサは贅を凝らした衣装、パリで作られた高級衣装で相手を驚かそうと競争した。ある時、王妃の取り巻きが、アルバ公爵夫人が王妃のため創作されたドレスを真似したと中傷した。カイエターナは、相手を嘲笑するというだけの目的で、自分のメイドと同じ服を着て宮廷へ現れた。
夫に先立たれたのち、40歳の若さで突然死去している。高熱が原因であったが、[[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]の王妃[[マリア・ルイサ・デ・パルマ]]が彼女の評判を妬んで毒殺したとの噂も立った。彼女には実子がなく、養女のマリア・デ・ラ・ルスがいるのみだった。
 
カイエターナと王妃の対立は、王妃の寵愛を受けて政治的権力を持ったゴドイの関心を引くことに動機があったとされている。しかしゴドイは、1796年に未亡人となっていた公爵夫人と関係があったと推測されるのである。
 
カイエターナと夫には嫡子がなかったため(養女が一人いた)、アルバ公家の称号と資産は縁戚のリーリア公カルロス・ミゲル・フィッツ=ハメス・ストゥアルト・イ・シルバが継承した。これ以降、アルバ公家はマドリードのリーリア邸に本拠地を移した。カイエタナとアルバ公家の先祖が暮らしたブエナビスタ邸は、現在スペイン陸軍の所有となっている。
 
高熱を発し、40歳で急死した。マリーア・ルイサが彼女の評判を妬んでゴドイに頼んで毒殺させたとの噂も立った。死後、所有していた不動産の一部が接収された。ブエナビスタ邸にアルバ公家は住めなくなり、邸宅のある一角は、[[ディエゴ・ベラスケス]]作の『[[鏡のヴィーナス]]』、[[コレッジョ]]の描いた『[[キューピッドの教育]]』(現在[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー・オブ・ロンドン]]所蔵)のように、ゴドイの所有となった。
 
1945年、アルバ公爵夫人の遺体が発掘された。推測されていた毒殺の痕跡は確認されなかった。遺体の脚が欠けていたのは、遺体を棺に納めるために両脚をのこぎりで切ったと言われてきたためである。
 
{{先代次代|[[アルバ公|アルバ女公]]<br>ウエスカル女公|1776年 - 1802年|フェルナンド|カルロス・ミゲル}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:まりあ しるは}}
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[[Category:サロン]]
[[Category:アルバ家]]
[[Category:フランシスコ・デ・ゴヤ]]
[[Category:マドリード出身の人物]]
[[Category:18世紀スペインの女性]]
[[Category:美術のパトロン]]
[[Category:1762年生]]
[[Category:1802年没]]
 
[[de:Maria del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo]]
[[en:María del Pilar Teresa Cayetana de Silva Alvarez de Toledo, 13th Duchess of Alba]]
[[es:María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo]]
[[fr:María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo y Silva Bazán]]
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[[ru:Герцогиня Альба]]
[[tr:María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo]]