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{{Infobox baseball player
| 選手名 = 草野 大輔
| 所属球団 =
| 役職 =
| 背番号 = 75
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| 選手写真ファイル名 = D kusano20150418.jpg
|背番号 = 75
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| 国籍 = {{JPN}}
|写真のコメント = ロッテ浦和球場にて(楽天二軍コーチ時代の2015年)
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|出身地 = [[宮崎県]][[延岡市]]
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| 身長 = 170
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| 体重 = 78
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| 守備位置 = [[内野手]]、[[外野手]]
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| 利き腕 = 右
|守備位置 = [[内野手]]、[[外野手]]
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| ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト8巡目
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
|最終出場 = 20122006932726
|ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト8巡目
| 最終出場 = 20062012392627
| 経歴 =
|最終出場 = 2012年9月27日
|経歴 =
* [[延岡学園高等学校・尚学館中学校|延岡学園高等学校]]
* [[NTT東日本硬式野球部|NTT東京]]
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* [[Honda熊本硬式野球部|ホンダ熊本]]
* [[東北楽天ゴールデンイーグルス]] (2006 - 2012)
| 経歴補足題 = コーチ歴
| 経歴補足 =
* 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014 - 2016)
* [[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|新潟アルビレックスBC]] (2017 - 2018)
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{{MedalBottom}}
'''草野 大輔'''(くさの だいすけ、[[1976年]][[12月4日]] - )は、[[宮崎県]][[延岡市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])、[[プロ野球コーチ]]。[[野球解説者]]。
 
現役時代から[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に所属。{{by|2012年}}の現役引退後は、[[親善大使|アンバサダー]]や二軍打撃コーチを歴任した。{{by|2016年}}にコーチを退任してからも、{{by|2018年}}まで球団職員として在籍。{{by|2017年}}と2018年には、[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)]]の[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]に派遣されたうえで、野手総合コーチを務めた<ref name="albirex">{{cite web|url=http://www.niigata-albirex-bc.jp/news.php/archives/id/2347/|title=東北楽天ゴールデンイーグルス草野大輔氏コーチ派遣に関して|publisher=新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|date=2017-01-27|accessdate=2017-02-10}}</ref>。
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[延岡学園高等学校・尚学館中学校|延岡学園高等学校]]時代には、「3番・[[遊撃手]]」として活躍。{{by|1994年}}[[全国高等学校野球選手権宮城大会|夏の選手権宮崎大会]]では、後に楽天でチームメイトになる[[福盛和男]]がいた擁する[[都城高等学校|都城高校]]を決勝で下したことによって、[[第76回全国高等学校野球選手権大会|甲子園での全国大会]]に出場した。しかし、全国大会の初戦で[[東京農業大学第二高等学校|東京農学第二高]]に敗れた。
 
高校卒業後は大学へ進学せず、[[NTT東日本硬式野球部|NTT東京]]へ入社し、[[NTT東日本硬式野球部|同社野球部]]に所属進む。{{by|1999年}}にNTT東京野球部がNTT東日本として統合されたことにより、[[NTTグループ九州野球クラブ|NTT九州硬式野球部]]へ移籍。[[第70回都市対抗野球大会]]に出場するが、所属チームが企業チームとしての活動を終了し、名称も「NTT西日本九州硬式野球倶楽部」となる(後に、「NTTグループ九州野球クラブ」に改称)。そのまま所属していたが、{{by|2001年}}にチームが解散したことで、[[Honda熊本硬式野球部|ホンダ熊本]]へ移籍した。
 
{{by|2002年}}には九州地区予選で当時エースだった[[坂本保]]とともに「3番・遊撃手」としてチームを牽引し、[[第73回都市対抗野球大会]]に出場して準優勝に輝く。{{by|2003年}}は[[第74回都市対抗野球大会]]に出場し、ベスト8に進出した。{{by|2004年}}・{{by|2005年}}と[[都市対抗野球大会]]への出場を逃すが、[[JR九州硬式野球部|JR九州]]の補強選手として大会に出場し、[[三塁手]]として出場、JR九州ではそれぞれベスト8・ベスト4まで進出した。2003年以降は全日本代表に4度選出され、[[社会人野球]]を代表する内野手となる。全日本では[[二塁手]]として出場するなどユーティリティプレーヤーとしても活躍した。
 
[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年の大学生・社会人ドラフト会議]]において、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]から8巡目で指名を受けたが、すぐに入団を表明することはなく、年齢的にプロ野球選手となることは諦めかけていたことから、同郷で高校の先輩である[[黒木知宏]]に相談して<ref>河北新報 羽ばたけイーグルス 2006年1月14日</ref>悩み抜いた結果、29歳・妻子持ちでのプロ入りを決断した。[[野球の背番号|背番号]]は'''12'''。
 
=== プロ入り後 ===
[[Fileファイル:Kusano daisuke.jpg|right|thumb|現役時代(2011年)]]
{{by|2006年}}63月26日の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[札幌ドーム]])に「8番・二塁手」で初出場、初安打となる二塁打を放った。その後は同じく新人の[[西村弥]]のほか、[[塩川達也]]と遊撃手のレギュラーを争うものの、出場選手登録・抹消を繰り返して定着できず、一軍では43試合に出場して打率.210に終わった。[[イースタン・リーグ]]では41試合で[[打率]].348・4[[本塁打]]・6[[盗塁]]と成績を残した。
 
{{by|2007年}}開幕戦の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦([[西武ドーム|グッドウィルドーム]])で、「2番・三塁手」として先発出場し、[[西口文也]]からプロ初本塁打を放つなど幸先の良いスタートとなった。前半戦は「落ちるとこまで落ちた」と自身も語るほど<ref>NHK総合 土曜スポーツタイム「逆境に強い男」 2007年12月15日</ref>の打撃不振に陥り、その間に[[渡辺直人]]の台頭もあって先発を外れ、代打に回る機会が多くなる。しかし、その代打で結果を残すようになり、[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]の不振から交流戦終了後より三塁手でのスタメン出場が増えてきた(ただし、相手先発が左投手の時は先発を外れることが多かった)。7月には[[池山隆寛]]からアドバイスを受け、腰を低く落とした打撃練習に取り組む<ref>スカイA sports 楽天わしづかみ#4「草野大輔選手 今シーズンを振り返る」2007年12月24日</ref>。 この練習が功を奏し、[[チェンジアップ]]など縦に変化するボールに対応できるようになった8月ごろから打率が上がり始め、8月10日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[クリネックススタジアム宮城]])でプロ初のサヨナラ安打を放ち、8月21日のロッテ戦([[千葉マリンスタジアム]])でソロ本塁打を放った。この試合後、監督の[[野村克也]]は「(草野は)勝負強いし、(打撃に関しては)天才的なところがある。草野を3番に」とコメントし、これ以降は先発投手の左右に関係なく「3番・三塁手」で先発出場が定着する。9月には15日・21日・24日・27日・29日・30日と続けざまに[[猛打賞]]を記録してチームの勝利に貢献する殊勲打を度々叩き出し、楽天の最下位脱出(単独4位)の立役者の一人となった。最終的には規定打席不足ながら、打率.320を記録する一方、守備面ではリーグ5位の14[[失策]]を記録した。
 
{{by|2008年}}のオープン戦で打率.333(チームトップ)と好成績を残し、「3番・三塁手」として2年連続の開幕スタメン出場を果たしたが、開幕後は打率が1割台と不振に陥り、二軍落ちした。夏場頃には調子を戻し始めたが、それでも成績は乏しかったため先発を外れることが多々あった。また、8月からは[[フェルナンド・セギノール]]が入団した影響でホセ・フェルナンデスが三塁に回り、自身は代打・守備要員になったが、代打で連続打席安打を記録するなどここ一番での勝負強さを見せた。
 
{{by|2009年}}のオープン戦時に右ふくらはぎの肉離れによって登録抹消、開幕一軍入りはならなかった。4月12日の西武戦で一軍復帰し、「6番・三塁手」で先発出場するといきなり4安打を放つ活躍を見せた。その後もしかし、[[中村紀洋]]の加入で空いた守備位置がなくなったため、野村の苦肉の策として19日にプロ入り後、全く経験のない[[左翼手|レフト]]の守備に就かせ、4月22日には初めて[[左翼手]]でのスタメン出場を果たした。4・5月は5割弱の高打率を維持、球団新記録となる21試合連続安打を記録した(後に[[鉄平 (野球)|鉄平]]が更新)。シーズン途中に外野手の[[トッド・リンデン]]を獲得してからは攻撃的なオーダーを組むためにセカンドに回るものの、った。5月25日に不足打席分が解消され規定打席に到達し、打率.402で首位打者に躍り出た。7月には[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]ファン投票で外野手部門3位に輝き、初のオールスター出場を果たす。[[川井雄太]]から初安打を放ち、1戦目でレフト、2戦目でセカンド・サードを守って[[ユーティリティープレイヤー|ユーティリティー]]ぶりを発揮した。8月4日、サードゴロを捌く際に右足のスパイクで自らの左足のズボンの裾を踏んで転倒してしまい、[[ぎっくり腰]]で一軍登録を外れたが、半月で再登録された。中村紀の二軍落ち後は三塁手のレギュラーに固定され、自身初の[[規定打席]]に到達し打率.305、54[[打点]](自己最高)の成績を残した。一方、前半の活躍の警戒からか両リーグ最多の17[[死球]]を記録した。
 
{{by|2010年}}、[[広島東洋カープ]]から[[アンディ・フィリップス]]の加入や、中村の復調によって準レギュラーとして開幕を迎える。その後、フィリップスの不調によってレギュラーに戻るが、[[ランディー・ルイーズ]]の加入によって再び代打要員に戻った。このまた、同年は[[内村賢介]]や[[牧田明久]]など、それまで控えに甘んじていた選手が先発に名を連ねてきたことの台頭もあり、シーズン後半は内外野ほぼ全員を巻き込んだレギュラー争いとなった。このため草野は毎日のように違った守備位置についた。
 
{{by|2011年}}、新入団の[[岩村明憲]]がサードに固定され、[[一塁手]]のレギュラー候補であるルイーズの守備難という事情も踏まえ、選手起用のバリエーションを増やしたい監督の[[星野仙一]]の方針によってキャンプからは一塁の守備練習を開始した。それでもシーズンを通じて調子が上がらず、2007年以降では自己最低の成績に終わった。
 
{{by|2012年}}、9月13日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で、一軍公式戦初の満塁本塁打を放った。しかし、一軍公式戦には24試合に出場しただけで、打率も.241にとどまった。シーズン終了後の11月4日に[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/2655.html|title=来季の選手契約に関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス|date=2012-11-04|accessdate=2012-11-04}}</ref>ことから、同月22日に現役引退を発表<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/2701.html|title=草野大輔選手の現役引退に関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス|date=2012-11-22|accessdate=2012-11-22}}</ref>。球団では、この発表を受けて、11月24日のファン感謝祭で草野の引退セレモニーを開催した<ref>{{cite news|author = |url = httphttps://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121124-1051447.html|title = 引退草野「やっぱり寂しいです」|newspaper = [[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|publisher = |date=2012-11-24|accessdate=2012-11-25}}</ref>。11月29日付で、[[NPB]]から[[任意引退選手]]として公示<ref>[http://www.npb.or.jp/players/2012pn_retired.html 2012年度 任意引退選手]</ref>。
 
=== 現役引退後 ===
{{by|2013年}}には、楽天球団の[[親善大使|アンバサダー]]へ就任<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/2702.html|title=アンバサダー就任のお知らせ|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス|date=2012-11-22|accessdate=2012-11-22}}</ref>。球団公式動画で選手への[[インタビュー|インタビュアー]]などを務めたほか、[[日テレプラス]]・[[東日本放送]]・[[NHK仙台放送局]]・[[J SPORTS]]などで[[野球解説者]]としても活動した。
 
{{by|2014年}}から楽天の二軍打撃コーチを担当。{{by|2016年}}限りでコーチを退任してからも、球団職員として籍を置いていた。
{{by|2014年}}から楽天の二軍打撃コーチを担当。{{by|2016年}}限りでコーチを退任してからも、球団職員として籍を置いていた。{{by|2017年}}からは、[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]へ派遣<ref name="albirex" />。楽天コーチ時代の2016年に二軍チームが新潟との交流戦を実施した縁で、野手総合コーチを務めた。新潟球団がNPB加盟の球団からコーチを派遣されることや、野手の指導に専念するコーチを常勤扱いで置くことは初めてで、当初1シーズン限りだった派遣期間を{{by|2018年}}シーズンにまで延長した<ref>{{cite web|url=http://www.bc-l.jp/team_news/niigata_news/27748|title=東北楽天ゴールデンイーグルス草野大輔氏コーチ派遣に関して|publisher=新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|date=2018-01-31|accessdate=2019-03-16}}</ref>。
 
{{by|2014年}}から楽天の二軍打撃コーチを担当。{{by|2016年}}限りでコーチを退任してからも、球団職員として籍を置いていた。{{by|2017年}}からは、[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]へ派遣<ref name="albirex">{{Cite web|和書|url=http://www.niigata-albirex-bc.jp/news.php/archives/id/2347/|title=東北楽天ゴールデンイーグルス草野大輔氏コーチ派遣に関して|publisher=新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|date=2017-01-27|accessdate=2017-02-10}}</ref>。楽天コーチ時代の2016年に二軍チームが新潟との交流戦を実施した縁で、野手総合コーチを務めた。新潟球団がNPB加盟の球団からコーチを派遣されることや、野手の指導に専念するコーチを常勤扱いで置くことは初めてで、当初1シーズン限りだった派遣期間を{{by|2018年}}シーズンにまで延長した<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.bc-l.jp/team_news/niigata_news/27748|title=東北楽天ゴールデンイーグルス草野大輔氏コーチ派遣に関して|publisher=新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|date=2018-01-31|accessdate=2019-03-16}}</ref>。新潟での2年間で[[知野直人]]を[[2018年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2018年のドラフト会議]]で[[横浜DeNAベイスターズ]]から6位指名を受けるまでに成長させた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20181106-SW4FPR75XBL43OMQ3N4II2RKWQ/ |title=DeNA6位指名・知野直人さん(19) 夢の舞台で母に恩返し |date=2018-11-06 |accessdate=2019-04-05 |publisher=産経新聞}}</ref>。
2018年のBCリーグ全日程終了を機に楽天球団のチーム統轄本部へ復帰したが、[[2018年]][[12月29日]]付で退団<ref>{{cite web|url=https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00001709.html|title=スタッフ契約に関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス|date=2018-12-29|accessdate=2019-03-16}}</ref>。{{by|2019年}}からは、[[東北放送]]・[[ミヤギテレビ]]・[[東日本放送]]などで野球解説者としての活動を再開している。
 
2018年のBCリーグ全日程終了を機に楽天球団のチーム統轄本部へ復帰したが、[[2018年]][[12月29日]]付で退団<ref>{{citeCite web|和書|url=https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00001709.html|title=スタッフ契約に関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス|date=2018-12-29|accessdate=2019-03-16}}</ref>。{{by|2019年}}からは、[[東北放送]]・[[ミヤギテレビ]]・[[東日本放送]]・J SPORTSなどで野球解説者としての活動を再開している。
 
==選手としての特徴・人物==
=== 打撃 ===
確実性を欠きやすい右足を大きく上げるフォームにもかかわらず、天性の反射神経と打撃技術で安打を放つ<ref name="kusano2011">{{Cite book|和書|author=小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰|year=2011|title=プロ野球スカウティングレポート2011|publisher=廣済堂出版|pages=234頁|id=ISBN 978-4-331-51519-8}}</ref>。
=== 守備・走塁 ===
一塁到達まで4.08秒を記録する脚力も備えた<ref>{{Cite book|和書|author=小関順二、西尾典文、泉直樹|year=2009|title=プロ野球スカウティングレポート2009|publisher=アスペクトムック|pages=196頁|id=ISBN 978-4-7572-1628-0}}</ref>。
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=== 人物 ===
元[[アイドリング!!!]]のメンバーの[[酒井瞳]]とは[[従兄妹]]にあたる<ref>{{citeCite web|和書|url=httphttps://ameblo.jp/sakai-hitomi/entry-10261620071.html |title=自慢…☆|work= [[酒井瞳]]オフィシャルブログ|date=2009-05-15|accessdate=2018-01-20}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
155行目:
* 初打点:2006年6月16日、対[[読売ジャイアンツ]]3回戦([[東京ドーム]])、4回表に[[ジェレミー・パウエル]]から中堅フェンス直撃適時二塁打
* 初本塁打:2007年3月24日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]1回戦([[西武ドーム|グッドウィルドーム]])、6回表に[[西口文也]]から右越ソロ
* 初盗塁:2007年7月3日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]10回戦([[岩手県営野球場]])、4回裏に二盗(投手:[[新垣渚]]、捕手:[[谷裕亮]])
 
; その他の記録
182行目:
{{NPB|01705112}}
{{東北楽天ゴールデンイーグルス2005年ドラフト指名選手}}
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
 
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;
{{DEFAULTSORT:くさの たいすけ}}
|list1=
{{第35回IBAFワールドカップ日本代表}}
{{2004 ハーレムベースボールウィーク 日本代表}}
{{2005 アジア野球選手権大会 日本代表}}
{{第36回IBAFワールドカップ日本代表}}
}}
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:くさの たいすけ}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:NTT東日本硬式野球部及びその前身チームの選手]]
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[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]
[[Category:NSGグループの人物スポーツ関係者]]
[[Category:延岡学園高等学校出身の人物野球選手]]
[[Category:宮崎県出身の人物]]
[[Category:1976年生]]