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| 人名=ニック・クレッグ
| 各国語表記=Nick Clegg
| 画像=Nick Clegg by the 2009 budget(2011) (cropped).jpg
| 国略称={{UK}}
| 生年月日={{生年月日と年齢|1967|1|7}}
| 出生地={{ENG}} [[バッキンガムシャー]]
| 没年月日=
| 死没地=
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|世襲の有無 =
|親族(政治家) =
|配偶者 = {{仮リンク|ミリアム・ゴンザレス・デュランテス|esen|MíriamMiriam González Durántez}}
|サイン =
|ウェブサイト = http://www.nickclegg.com/
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|職名 = [[イギリスの副首相|副首相]]
|内閣 = [[デービッド・第1次キャメロン内閣]]
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|退任理由2 =
|所属委員会2 =
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}}
'''ニコラス・"ニック"・ウィリアム・ピーター・クレッグ'''({{Lang-en|Nicholas(Nicholas "Nick" William Peter Clegg}}、, [[1967年]][[1月7日]] - )、通称'''ニック・クレッグ'''(Nick Clegg)は、[[イギリス]]の[[政治家]]。[[2007年]]から[[2015年]]まで[[自由民主党_(イギリス)|自由民主党]]党首。現在は、[[2010年]]から2015年まで[[イギリスの副首相|副首相]]、[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]議長を務めた
 
== 人物 ==
[[1967年]]、[[バッキンガムシャー]]の町する。4人きょうだいの3番目であまれる。父ニコラス・クレッグは{{仮リンク|[[大和日英基金|en|Daiwa Anglo-Japanese Foundation}}]]の理事を務める銀行家である。曾祖父は[[ロシア帝国|ロシア]]の貴族で[[ツァーリ]]の側近であったため、ロシアの血を引く。[[オランダ]]人の母は[[特別支援教育]]を担当する教師で、幼少期に[[オランダ領東インド]]の[[バタヴィア]]で[[日本軍]]によって抑留された体験を持つ。そのためニコラスは[[英語]]の他に[[オランダ語]]が話せ、他にも[[フランス語]]、[[ドイツ語]]、[[スペイン語]]が出来る。
 
[[2000年]]にスペイン人のミリアム・ゴンザレス・デュランテスと結婚、[[バリャドリッド]]で式を挙げた。妻は敬虔な[[カトリック教会|カトリック]]であるが、クレッグ自身は無信教神論者である。現在3人のがいる。妻は[[弁護士]]として働いており、[[2010年イギリス総選挙|2010年5月の総選挙]]でも本業自身の仕事を優先し、表立って夫の選挙支援活動をは一切ていいと思われていかった。
 
=== 経歴 ===
16歳のとき、酒に酔って教授の[[サボテン]]のコレクションに火を付けたとして、[[ウェストミンスター・スクール]]から[[ドイツ]]の[[ミュンヘン]]に交換留学させられる。その後、[[ギャップ・イヤー]]時に[[オーストリア]]でスキーインストラクターの仕事をして稼いだ金で[[ケンブリッジ大学]]に入学し、[[考古学]]や[[人類学]]を学ぶ。テニス部の主将も務めた。
 
卒業後は奨学金を得て[[ミネソタ大学ツインシティー校]]に1年間留学、[[ディープエコロジー]]における[[政治哲学]]の論文を書き上げた。さらにその後[[ブリュッセル]]に移り、[[欧州大学院大学]]で[[修士]]を得る。現在の妻とはここで出会っている。父の友人の[[保守党 (イギリス)|保守党]]有力者の紹介で[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]首相の側近だったレオン・ブリタン[[欧州委員会]]副委員長(通商担当)の補佐官に登用され、EU官僚として5年間、通商交渉などを担当した。
 
イギリスに帰国後、周囲からは当然保守党入りすると思われたが、保守党の反欧州政策には我慢を容認できないとして、親欧州政策を掲げる[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]に入党し、[[1999年欧州議会議員選挙 (イギリス)|1999年の欧州議会議員選挙]]で当選する。
 
[[2005年]]に[[庶民院 (イギリス)|庶民院]](下院)議員となり、[[2007年]]に自民党党首に就任する。その後は着実に支持を伸ばし、[[2010年イギリス総選挙|2010年の総選挙]]では議席数は伸び悩んだもの結党以来最多得票数を得て、保守党との連立政権樹立に合意自民党を初の政権入りに導いた。[[5月12日]]に発足した[[デービッド・第1次キャメロン内閣|キャメロン連立内閣]]では、[[イギリスの副首相|副首相]]に就任したクレッグ党首を含め、自民党から5人が閣僚入りしている
 
しかし、政権入りしてからは保守党との政策の違いが浮き彫りになり、リーダーシップを発揮できない状況が続き、支持率は総選挙前のピーク時から半減している。また、連立政権樹立の条件として行われた下院への[[連記投票#優先順位付連記投票|優先順位付連記投票]]導入を問う国民投票反対70%となり圧倒的大差で否決され、クレッグが中心となって進めてきた選挙制度改革は実現せず、キャメロン首相自身しなかった。保守党は制度改革に反対であったことから、政権運営への影響が懸念取り沙汰されている<ref>{{Cite news
|url=https://web.archive.org/web/20110510150003/http://www.bloombergyomiuri.co.jp/appsworld/news?pid=90920012&sid=aolG2F8abi8Q/20110507-OYT1T00644.htm
|title=英国民投票:下院の選挙制度改革を否決、連立政権内で緊張の兆し
|work=bloomberg.co.jp
|newspaper=[[ブルームバーグ]]
|date=2011-05-07
|accessdate=2011-05-07
}}</ref><ref>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110507-OYT1T00644.htm
|title=英下院の選挙制度変更、国民投票で大差の否決
|work=YOMIURI ONLINE
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|accessdate=2011-05-07
}}</ref>。
 
[[2015年イギリス総選挙|2015年総選挙]]の大敗により自民党が政権離脱したため、5月8日に閣僚を退任し、また党首職も引責辞任した。
 
[[2017年イギリス総選挙|2017年の総選挙]]では労働党候補に敗れ落選。
 
[[2018年]]10月、[[フェイスブック]]の副社長に就任<ref>[https://jp.reuters.com/article/idUSKCN1MT2XM/ フェイスブックが元英副首相を起用、国際戦略担当トップに]Reuters 2018年10月20日</ref>。
 
[[2022年]]2月、[[Meta (企業)|メタ・プラットフォームズ]]の国際問題担当社長に就任<ref>[https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-02-17/R7F76TT0G1KX01 メタがクレッグ氏を昇格、ザッカーバーグ氏は技術やプロダクトに重点]Bloomberg 2022年2月17日</ref>。
 
== 出典 ==
{{Reflist}}
 
 
{{start box}}
{{s-off}}
{{Succession box
| title = {{flagicon|GBR}} [[イギリス副首相|イギリス副首相]]
| years = 2010年 - 2015年
| before = [[ピーター・マンデルソン]]
| after = (現職)[[ドミニク・ラーブ]]
| afternote = (2021年就任)
}}
{{Succession box
| title = {{flagicon|GBR}} [[枢密院 (イギリス)|イギリス枢密院議長]]
| years = 2010年 - 2015年
| before = [[ピーター・マンデルソン]]
| after = (現職)[[クリス・グレイリング]]
}}
{{s-ppo}}
{{Succession box
| title = [[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]党首
| years = 第6代:2007年 - 2015年
| before = {{ill2|メギスジーズ・キャンベル ([[:|en:|Menzies Campbell|en]])}}
| after = (現職){{ill2|ティム・ファロン|en|Tim Farron}}
}}
{{Succession box
| title = [[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]内務報道官
| years = 2006年 - 2007年
| before = {{ill2|マイク・オアテン ([[:|en:|Mark Oaten|en]])}}
| after = {{ill2|クリス・フーネ ([[:|en:|Chris Huhne|en]])}}
}}
{{s-par}}
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| years = 1999年 - 2004年
| before = (新設)
| after = {{ill2|ビル・ニュートン・ダン ([[:|en:|Bill Newton Dunn|en]])}}
}}
{{Succession box
| title = シェフィールド・ハラム選出[[イギリスの議会|イギリス議会議員]]
| years = 2005年 - 2017年
| before = {{ill2|リチャード・アラン ([[:|en:|Richard Allan|en]])}}
| after = (現職){{ill2|ジャレッド・オマラ|en|Jared O'Mara}}
}}
{{end box}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:くれつく につく}}
[[Category:20世紀ギリスングランド庶民院議員人物]]
[[Category:21世紀イングランドの人物]]
[[Category:ヨークシャー選出のイギリス庶民院議員]]
[[Category:イギリスの副首相]]
[[Category:イギリスの欧州議会議員]]
[[Category:男性のフェミニスト]]
[[Category:ケンブリッジ大学ロビンソン・カレッジ出身の人物]]
[[Category:ロシア系イギリス人]]
[[Category:ドイツ系イギリス人]]
[[Category:バルト・ドイツ人]]
[[Category:オランダ系イギリス人]]
[[Category:バッキガムシャー出身グランド人物無神論者]]
[[Category:チルターン出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
[[Category:存命人物]]