「青梅街道」の版間の差分
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{{Otheruses||[[西武鉄道|西武]][[西武多摩湖線|多摩湖線]]の駅|青梅街道駅}}
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{{Ja Pref Route Sign|pref=山梨|number= 216|align=left}}
'''青梅街道'''(おうめかいどう)は、[[東京都]][[新宿区]]から東京都[[青梅市]]を経由し、[[山梨県]][[甲府市]]に至る73キロメートル (km)の東西に横断する[[道路]]である。▼
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▲'''青梅街道'''(おうめかいどう)は、[[東京都]][[新宿区]]から東京都[[青梅市]]を経由し、[[山梨県]][[甲府市]]に至る
[[1962年]]([[昭和]]37年)[[4月25日]]、東京都[[通称]]道路名設定[[公告]]により通称を設定(整理番号17)。青梅市街には、[[東青梅|東青梅三丁目]]交差点 - [[青梅市民会館]]前交差点に[[旧道]]が残り「旧青梅街道」と呼ばれる(整理番号129)<ref>[https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000040677.pdf 東京都通称道路名一覧表] 東京都建設局、[[1962年]]([[昭和]]37年)[[4月25日]]公告。2020年6月29日閲覧。</ref>。また、青梅街道に並行する[[バイパス道路]]として[[新青梅街道]]が設置されている(整理番号85)。{{main2|東京都が通称を設定した道路|東京都内の通り}}
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== 地理 ==
通過する自治体は以下の通り。都県境は、東京都西多摩郡奥多摩町 - 山梨県北都留郡丹波山村(鴨沢橋)にある。
* 東京都
** 新宿区 - [[中野区]] - [[杉並区]] - [[練馬区]] - [[西東京市]] - [[小平市]] - [[東大和市]] - [[武蔵村山市]] - [[西多摩郡]]瑞穂町 - 青梅市 - 西多摩郡奥多摩町 -
* 山梨県
** [[北都留郡]]丹波山村 - [[甲州市]] - [[山梨市]] - [[笛吹市]] - 甲府市
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== 路線名 ==
青梅街道はほぼ[[国道]]と[[都道府県道]]で構成される。
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== 経路 ==
{{Multiple image
[[File:Shinjukuogado20101.JPG|thumb|200px|right|新宿大ガード西交差点]]▼
| direction = vertical
[[画像:Minamiasagaya-Station-2005-6-12 1.jpg|thumb|200px|right|杉並区役所前交差点]]▼
| width = 200
[[画像:Kyu_Omekaido.jpg|thumb|200px|right|青梅市内の旧青梅街道]]▼
| image1 = ome kaido 0km.jpg| caption1 = 起点である新宿大ガード西交差点
[[ファイル:Sakai-hashi.jpg|thumb|200px|right|[[奥多摩湖|小河内ダム]]直下の[[多摩川]]の境橋]]▼
[[ファイル:Yamazaki junction of three roads.JPG|thumb|200px|right|終点の甲府市酒折山崎三差路(甲州街道交点)]]▼
| image3 = narukozaka 2403.jpg| caption3 = 成子坂では中央分離帯に植栽がある
| image4 = Yodobashi 230721b.jpg| caption4 = 淀橋交差点
| image5 = nakanosaka 2403.jpg| caption5 = 中野坂
| image6 = Ome kaido nakano sakaue west.jpg| caption6 = 中野坂上交差点の西側
▲
}}
* 起点:[[新宿大ガード]]西交差点:東京都新宿区
* 中継点 市民会館南交差点 : 東京都青梅市
* 終点:山崎交差点([[甲州街道]]交点):山梨県甲府市
起点の新宿大ガード西交差点では、片側3車線の道路として[[東京都道302号新宿両国線|靖国通り]]から直進で接続、[[淀橋]]交差点
その後は緩やかなカーブが連続する。[[練馬区]]関町付近から先、東伏見坂上交差点から[[東伏見]]交差点までが下り坂となり、直後の西武柳沢駅前交差点で[[石神井川]]を越え、再び緩やかな上り坂になる。[[西武新宿線]]のガード下を通過直後の[[田無町]]一丁目交差点では左折方向が青梅街道となる。直進すると、ここを起点として[[東京都道・埼玉県道4号東京所沢線|所沢街道]]となり、すぐ北西の北原交差点で[[新青梅街道]]と斜め方向に交差する。
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== 名称 ==
[[1606年]](慶長11年)、[[江戸城]]築城のために、青梅の[[成木村]]で採れる[[石灰]]を運搬する道路として、[[大久保長安]]の指揮の下に整備された。当時の名称は'''成木往還'''であった
明治時代になってからは、『[[皇国地誌]]・西多摩郡村誌』によると「東京街道」「甲州脇往還」などと呼ばれた{{Sfn|東京都教育
[[内藤新宿]]で甲州街道から分かれ、青梅から[[大菩薩峠]]を経由し、甲府の東にある[[酒折|酒折村]](現・甲府市酒折)で甲州街道と再び合流する。このため、青梅街道は江戸と甲府を結ぶ甲州街道の他にも往来できるルートであったことから'''甲州裏街道'''とも呼ばれた{{sfn|ロム・インターナショナル
これら時代や地域によって様々な呼ばれ方をした道が「青梅街道」と固有名詞化されるのは[[1880年]](明治13年)から[[1886年]](明治19年)にかけて作成された[[迅速測図]]からとされ{{Sfn|東京都教育
なお、旧仮名遣いでは「あをめかいだう」<ref>例えば精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉など。</ref>。
== 経路の変遷 ==
=== 江戸・明治 ===
現在の青梅街道と呼ばれるルートは、[[新宿]]と青梅市を結ぶ経路を一般に指しているが、[[江戸時代]]には甲州街道の第1[[宿場]]である[[内藤新宿]]で甲州街道から分岐し、青梅を経由して[[甲斐国|甲州]]の[[酒折]](現・甲府市)で甲州街道と再合流した{{sfn|ロム・インターナショナル
江戸時代においては、現在の[[東大和市]]の青梅橋交差点から先は、北進して奈良橋を経由するのではなく、現在の桜街道(東大和市)および江戸街道(武蔵村山市)を経由する道が青梅街道であった(迅速測図では「青梅道」と記載されている<ref>{{Cite web|和書|title=迅速測図|url=http://aginfo.cgk.affrc.go.jp/altmap/rapid_kanto.html|website=農業土地利用変遷マップ|accessdate=2021-03-02|publisher=[[農業・食品産業技術総合研究機構]] |url-status=dead|url-status-date=2024-04}}</ref>)。さらに、青梅道も現在の武蔵村山市の上砂橋および中原2丁目付近で北西し{{Sfn|東京都教育
[[1878年]](明治11年)には、最大の難所であった大菩薩峠を迂回するルートとして[[柳沢峠]]が開削され、大菩薩峠を通るルートから変更された。
=== 大正・昭和 ===
奈良橋経由の道が青梅街道となるのは[[1926年]](大正15年)頃である{{Sfn|東京都教育
; 東大和市
: [[1919年]](大正8年)、奈良橋交差点から西に約20メートルの交差点から先は左にカーブする道だったが、当時6つの村([[清水村 (東京府)|清水村]]、[[狭山村]]、[[高木村 (東京府)|高木村]]、[[奈良橋村]]、[[蔵敷村]]、[[芋窪村]])が合併し「大和村
: 大正から昭和初めにかけて、現在の郷土博物館入り口交差点から西に、村山橋を越えた先の交差点までの道路が新規に作られ、郷土博物館入り口交差点から南に10メートルに位置する交差点から西方が旧道となった{{Sfn|東大和市編さん委員会|1999|p=24}}。
: [[1932年]](昭和7年)から[[1933年]](昭和8年)頃、4.5メートル程であった道路の拡幅および直線化工事が行われ、東大和市役所入り口のバス停付近の弓形の道路が旧道となった{{Sfn|東大和市編さん委員会|1999|p=23}}。
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== 往来 ==
; 江戸
: 青梅街道は道程で甲州街道より二[[里 (尺貫法)|里]]短く、[[関所]]がないため庶民の旅客にも多く利用された<ref>ただし[[塩山市|塩山]]近くに萩原口留[[番所]]があり、実質的には小規模な関所が存在した。</ref>。
; 明治
: 明治時代の初めごろまで大菩薩峠は現在の峠より少し北にあり、その道程は厳しく道幅は狭く、荷を積んだ[[馬]]が通れないため人が背負って運び、また風雪も激しく[[遭難]]者も出たほどの難所であった{{sfn|ロム・インターナショナル
: [[1869年]]([[明治]]2年)には新宿と[[田無市|田無]]間に[[乗合馬車]]が開通し、青梅街道は[[多摩地域]]と都心を繋ぐ生活道路としても定着していく。
; 大正
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; 昭和以降
: 青梅街道の地下に[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]荻窪線(現・[[東京地下鉄]][[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]])が[[1962年]][[1月23日]]に[[荻窪駅]]まで開通した。それに伴い、[[1963年]](昭和38年)に都電杉並線は廃止された。
: 萩原口留番所の跡地には、番所の門を復元した[[甲州市]]立の温泉保養施設「大菩薩の湯」<ref>{{Cite web|和書|title=交流保養センター・大菩薩の湯|url=https://www.city.koshu.yamanashi.jp/shisei/shisetsu/detail/%E4%BA%A4%E6%B5%81%E4%BF%9D%E9%A4%8A%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E5%A4%A7%E8%8F%A9%E8%96%A9%E3%81%AE%E6%B9%AF|website=甲州市|accessdate=2020-06-02|publisher=}}</ref>がある。
: [[山梨交通]]の「大菩薩峠登山口」バス停留所にある番屋茶屋は、元は萩原口留番所近くの[[茶屋]]であったが、バス路線開設により現在地に移転された。
: 大菩薩峠は、5月第4日曜日に「大菩薩峠を歩く会」、8月中旬には「大菩薩峠登山競走大会」が催される人気の[[ハイキング]]コースとなっている。
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== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |
* {{Cite book |和書 |author=中西慶爾 |title=青梅街道 |publisher=木耳社 |date=1982-01 |id={{JP番号|82015735}} |ref={{SfnRef|中西|1982}}}}
* {{Cite book |和書 |editor=東大和市編さん委員会 |title=東大和市史資料編 |volume=9(道と地名と人のくらし) |publisher=東大和市 |date=1999-03 |id={{JP番号|99100262}} |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |author=山本和加子 |title=青梅街道 江戸繁栄をささえた道 |publisher=聚海書林 |year=1984-12 |isbn=4-915521-25-7 |ref={{SfnRef|山本|1984}}}}
* {{Cite book |和書 |editor=ロム・インターナショナル |title=道路地図 びっくり!博学知識 |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢文庫 |date=2005-02-01 |isbn=4-309-49566-4 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
*
{{Road-stub}}
{{甲斐九筋}}▼
{{History of transportation-stub}}
▲{{甲斐九筋}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:おうめかいとう}}
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