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}}
[[ファイル:YapAirport.jpg|thumb|[[ヤップ国際空港]]]]
'''ヤップ島'''(ヤップとう、Yap)は、[[ミクロネシア連邦]]の[[ヤップ州]]の州政府が置かれている西[[太平洋]]上の[[島]]である。マップ(Maap)島とも
 
==概要==
ミクロネシア連邦の西端に位置し、州都[[コロニア (ヤップ州) |コロニア]]が置かれている。古代よりヤップ州の離島とサウェイ交易を通じた主従関係にあるが、民族的出自や言語は大幅に異なっている。アメリカの無線連絡基地([[LORAN|ロラン]])が置かれていたことがある<ref>{{Cite web |title=JSTOR Home |url=https://www.jstor.org/ |website=www.jstor.org |access-date=2024-09-04}}</ref><ref>{{Cite web |title=United States Coast Guard (USCG) Historian's Office |url=https://www.history.uscg.mil/ |website=www.history.uscg.mil |access-date=2024-09-04}}</ref>
 
== 地理 ==
大小四つの島(ルムング、マップ、ガギル・トミル、ルール(狭義のヤップ))で構成される<ref>{{Cite web|和書|title=ヤップ[島](ヤップ)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%83%E3%83%97%5B%E5%B3%B6%5D-874876 |website=コトバンク |access-date=2023-09-15 |language=ja |first=百科事典マイペディア,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。合計面積は101平方キロメートル<ref>{{Cite web|和書|title=ヤップ島(ヤップとう)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%83%E3%83%97%E5%B3%B6-143816 |website=コトバンク |access-date=2023-09-15 |language=ja |first=精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 |last=小項目事典}}</ref>。気候は[[熱帯雨林気候]]<ref>{{Cite web|和書|title=世界の医療事情 ミクロネシア |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/oceania/micro.html |website=外務省 |access-date=2023-09-15 |language=ja}}</ref>で高温多湿。年平均気温は27度で、月別平均気温の変化は1度以下、日変化も7度以下である。7月から10月が雨期、11月から6月が小雨期、湿度は雨期には85%以上、他の時期でも80%を越える<ref>{{Cite web|和書|url=https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/10425734.pdf |title=ミクロネシア連邦の建設事情(ヤップ州、コスラエ州) |access-date=2023.9.15 |publisher=[[国際協力機構]]}}</ref>。
 
== 歴史 ==
===第一次世界大戦前===
紀元200年頃の土器が発掘されており、この時代にヤップ島に定住者がいた物的証拠となっている。[[1525年]]にポルトガルの探検隊が[[香料諸島]]を探す途中でヤップ島を発見、上陸した。[[1869年]]にドイツ人が拠点を開設し以前から領有権を主張していたスペインと対立したが、[[米西戦争]]後にスペインはこの地域からの撤退を決定、ヤップ島を含む[[カロリン諸島]]はドイツの売却された<ref>{{Cite web|和書|url=https://pic.or.jp/en/wp-content/uploads/2018/06/9ca7ea30be68ecaa165b4fded53b581f.pdf |title=ミクロネシア連邦ガイドブック |access-date=2023.8.28 |publisher=[[太平洋諸島センター]]}}</ref>。
 
[[第一次世界大戦]]まで[[ドイツ]]領であった。しかし本国から遠く離れたドイツは、本格的にヤップ島のインフラストラクチャーを整えようとはしなかった。その為ドイツ人は、宣教師や医師などわずか数十人が住むに過ぎなかった。
 
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===第二次世界大戦後===
戦後、[[アメリカ合衆国]]の[[信託統治領]]となり、る。[[1948年]][[1月14日]]に大型[[台風]]が通過した後、同年[[1月16日]]には大[[津波]]に襲われ、島内の住宅のほとんどが倒壊、農作物に大きな打撃を受けた<ref>「ヤップに大津波」『朝日新聞』昭和23年1月19日</ref>。
 
===現在===
[[1979年]]に独立したミクロネシア連邦の一部となり、現在はミクロネシア連邦に属する。2004年4月9日には、Typhoon Sudal(日本の2004年台風1号)によって壊滅的な打撃を受けた。同年には、デング熱が記録上初めて流行し、多くの患者を出している。
 
 
 
== 石貨 ==
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ただし、かつては石貨は来歴によらず、貨幣として通用していたとする記述も日本国内の文献には存在している<ref>「ミクロネジアの風土と民具」(染木煦著)</ref>。
 
また、このヤップ島の石貨がどのような使われ方をしていたのかを調べた人物にアメリカ人探検家の{{仮リンク|ウィリアム・ヘンリー ・ファーネス3世|en|William Henry Furness III}}という人物がおり、その彼の研究結果(島民からの聞き込み調査が主な論拠)をまとめたレポートを読んだある人物に従来の経済学にはない重大な気付きをもたらした。
それが、第2次大戦後の世界経済の安定化に寄与したブレトンウッズ協定の策定の際にハリーホワイトと案を出し合った[[ジョン・メイナード・ケインズ]]である。