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{{基礎情報 文学作品
|題名 = 箱男
|原題 = The Box Man
|画像 =
 
|画像サイズ =
|キャプション =
|訳題 = The Box Man
|作者 = [[安部公房]]
|国 = {{JPN}}
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|発表形態 = [[書き下ろし]]
|初出 =
|刊行 = [[新潮社]] [[1973年]]3月30日
|刊行の出版元 =[[新潮社]]
|刊行の出版年月日 =[[1973年]]3月30日
|総ページ数 =191
|収録 =
|受賞 =
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|portal1 = 文学
}}
『'''箱男'''』(はこおとこ)は、[[安部公房]]の[[書き下ろし]][[長編小説]]。[[ダンボール]]箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて[[都市]]を彷徨う「箱男」の記録の物語。「箱男」の書いた手記を軸に、他の人物が書いたらしい文章、突然挿入される[[寓話]]、[[新聞]][[記事]]や[[詩]]、冒頭の[[ネガフィルム]]の1コマ、[[写真]]8枚など、様々な時空間の断章から成る実験的な構成となっている<ref name="karibe">[[苅部直]]『安部公房の都市』([[講談社]]、2012年)</ref><ref name="naganonote">[[永野宏志]]「書物の「帰属」を変える―安部公房『箱男』の構成における「ノート」の役割―」([[工学院大学]]研究論叢、2012年10月)</ref>。都市における[[匿名性]]や[[アリバイ|不在証明]]、見る・見られるという自他関係の認識、人間の「[[帰属]]」についての追求を試みると同時に<ref name="kyoudou">[[安部公房]]「『箱男』を完成した安部公房氏――談話記事」([[共同通信]]、1973年4月6日号に掲載)</ref><ref name="shosai">安部公房「書斎にたずねて――談話記事」(『箱男』投込み付録)([[新潮社]]、1973年)</ref><ref name="album">[[高野斗志美]]『新潮日本文学アルバム51 安部公房』(新潮社、1994年)</ref>、人間がものを書くということ自体への問い、従来の物語世界や小説[[構造]]への[[異化]]を試みた[[ヌーヴォー・ロマン|アンチ]][[小説|ロマン]](反・小説)の発展となっている<ref name="kyoudou"/><ref name="hiraoka3">[[平岡篤頼]]「二重化と象徴(迷路の小説論11)」([[早稲田文学]]、1973年12月)</ref><ref name="sugiura">[[杉浦幸恵]]「安部公房『箱男』における語りの重層性」([[岩手大学]]大学院人文社会科学研究科紀要、2008年7月)</ref><ref name="kudoh">[[工藤智哉]]「『箱男』試論―物語の書き手をめぐって」([[国文学]]研究、2002年6月)</ref>。
 
[[1973年]](昭和48年)3月30日に[[新潮社]]より刊行された。『箱男』は書下ろしという形ではあるが、執筆中いくつかの予告編や短編が、雑誌『波』の「周辺飛行」に掲載された(改稿を経て本編に組み入れられたものや破棄された部分が混在している)。翻訳版はE. Dale Saunders訳(英題:The Box Man)をはじめ、各国で行われている。
 
様々な映画化が試みられたが、幻惑的な手法と難解な内容で映像化が困難と言われたことでも知られた。2024年に『[[箱男 (映画)|箱男]]』として映画化された<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202408240000139.html|title=永瀬正敏、97年ドイツで撮影前日に頓挫「箱男」公開に「言葉にならない…感無量」と言葉詰まる|publisher=日刊スポーツ|date=2024-08-24|accessdate=2024-08-24}}</ref>。
 
== 作品成立・発想 ==
『箱男』は『[[燃えつきた地図]]』の次に書かれた長編であるが、[[安部公房]]は『燃えつきた地図』発表直後、次回作の構想を「逃げ出してしまった者の世界、[[失踪者]]の世界、ここに住んでいるという場所をもたなくなった者の世界を描こうとしています」と語り<ref>安部公房「国家からの失踪」(インタビュー 1967年11月)</ref>、それから約5年半の間、あさってには終わる感じで時が経ち、書き直すたびに振り出しに戻っては手間がかかり、原稿用紙300枚の完成作に対して、書きつぶした量は3千枚を越えたという<ref name="kyoudou"/>。「箱男」の発想のきっかけとしては、[[浮浪者]]の取り締まり現場に立ち会った際、上半身に[[ダンボール]]箱をかぶった浮浪者と直に遭遇してショックを受け、小説のイマジネーションが膨らんだと語っている<ref name="hassou">安部公房「小説を生む発想――『箱男』について・現代[[乞食]]考」(第66回新潮社文化講演会・新宿・[[紀伊國屋ホール]]、1972年6月2日)。新潮カセット『小説を生む発想――「箱男」について』([[新潮社]]、1993年10月20日)</ref>。
 
作中に登場する「贋医者」の発想については、戦争中の[[医者]]不足の時代に医者の心得や技術をかなり持っていた「[[衛生兵]]」がいたことに触れ、自分のように[[医学部]]を卒業している者より、そういった経験を積んだ贋医者の方が実質的技量が上だったとし、現在では国家登録か否かで本物か贋物かを判断し、一般的には「贋医者」をこの世の悪かのように決めつけられるが、本物の医師の間でも大変な技術差があり、[[素人]]と変わらないいい加減な医師も多く、そういう[[免状]]だけの医師の方が危険で怖いと医学界の内部事情を語りつつ<ref name="hassou"/>、ある意味で一切のものが登録されていないダンボールをかぶった「[[乞食]]」である「箱男」と「贋物の〈箱男〉」の関係について、「とにかく本物と贋物ということが、実際の内容であるよりも登録で決まる。そういうことから、全然登録を拒否した時点で、何でもないということは乞食になるわけです。これが乞食でない限りは全部贋物になる。その贋物がいっぱい登場してくる、贋物と箱男の関係で、とにかくイマジネーションとしては膨らんでいったわけです」と説明している<ref name="hassou"/>。
 
なお、[[自殺]]したがっている[[アルコール依存症|アル中]]の浮浪者を仲間の浮浪者が同情し首吊りを手伝ったという新聞記事からも発想を受けて、それを書いた独立した章もあったが、最終稿からはずしたという<ref name="hassoutane">安部公房「発想の種子――周辺飛行29」( 1974年3月号に掲載)</ref>。安部のノートには、「自殺者が発見されたとき、その仲間は近くの石に腰をおろして泣いていた。[[警官]]の[[尋問]]に対して、男はただ〈待っていた〉とだけ答えた。〈何を待っていたのか〉と訊かれても、それには答えることが出来なかった」と記されている<ref name="hassoutane"/>。
 
== 主題・構成 ==
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さらに、「覗き」の意味を、作中で触れられている[[生物]]の[[縄張り|テリトリー]]の理論や、[[カメラ]]の[[レンズ]]を介した[[パーソナルスペース|テリトリーの侵害]]と関連して以下のように語っている<ref name="kairo"/>。
{{Quotation|縄張りの中に入り込んでも、こちらが変装していれば、相手に気づかれずにすむ。だから覗き魔はふつう卑劣漢あつかいされてしまう。しかし、よく考えてみると、すごく繊細で知的な存在なんじゃないか。(中略)ふつう縄張りのラインを越えるときには、[[暴力]]か、さもなければ[[求愛]]かどっちかの行動をともなうことになる。覗きはそのどちらの行動もともなわない、完全な[[抽象的]]な行為だからね。[[ドストエフスキー]]が「人間を愛することはできても[[隣人]]を愛することはできない」というようなことを言っていたけど、まさしく覗き魔宣言だと思うな。覗きという行為は、人間的な繊細な[[感受性]]の産物なのかもしれない。とにかく動物には一切あり得ないことだからね。|安部公房「都市への回路」<ref name="kairo"/>}}
 
=== 「書くという行為」について ===
上記のような主題を通じ、安部は『箱男』を書くに際し、「[[小説]]」とは何か、「人間がものを書くという行為について、こんどほど考えたことはなかった」とし、「現代小説のもつ[[ヌーヴォー・ロマン|アンチ]][[小説|ロマン]]の方向を、どうしたら少しでも飛躍させられるか、そんな冒険もやってみたんです」と述べつつ、各章を独立させた作品構成の意図について以下のように語っている<ref name="kyoudou"/>。
{{Quotation|二回読んでもらうとわかると思うのですが、バラバラに[[記憶]]したものを勝手に、何度でも積み変えてもらうように工夫してみたんですよ。つまり作者にとって一人称のタッチでは手法的に限定があるし、三人称では勝手すぎて作品の信用が薄れる危険がある。そこで両方を自由に操る方法はないかと考えた結果で、読者にとっては小説への参加という魅力が生まれるんじゃないか。|安部公房「『箱男』を完成した安部公房氏――談話記事」<ref name="kyoudou"/>}}
 
このように安部は、読者自身が断章のテクストを読みながら「再構成」することによって、小説に参加できる形式を試みているが<ref name="karibe"/>、こういった「遺された手記」の形式は『[[人間そっくり]]』や『[[他人の顔]]』、錯雑する形式も『[[壁 (小説)#第一部・S・カルマ氏の犯罪|S・カルマ氏の犯罪]]』や『[[榎本武揚 (小説)|榎本武揚]]』などでも散見され、『箱男』はそれまでの手法の活用や、実験の集大成ともされている<ref name="karibe"/><ref name="album"/>。
 
なお、安部は『箱男』の執筆中に発表した短編挿話(《夢のなかでは箱男も箱を脱いでしまっている。箱暮しを始める前の夢をみているのだろうか、それとも、箱を出た後の生活を夢みているのだろうか……》の章)の削除された冒頭部で、「[[物語]]」というものについて以下のように示唆している<ref name="monokatari">安部公房「〈物語とは〉――周辺飛行1」(波 1971年3・4月号に掲載)</ref>。
{{Quotation|物語とは、[[因果律]]によって世界を梱包してみせる[[思考]][[ゲーム]]である。[[現在]]というこの[[瞬間]]を、[[過去]]の結果と考え、[[未来]][[原因]]とみなすことで、その重みを歴史の中に分散し、かろうじて現在に耐え、切り抜けていくための生活技術としての物語。|安部公房「〈物語とは〉――周辺飛行1」<ref name="monokatari"/>}}
 
この主題に関し、一部の[[批評家]]のあいだ安部は『箱男』で小説形式というものを破壊してしまい、とりわけ結末部分が意味するのは、「[[文学]]の死そのもの」だといわれていることについて問われると、安部は、『箱男』は「[[サスペンス]]・ドラマないし[[推理小説|探偵小説]]と同じ構造」だと答え、以下のように語っている<ref name="nancy">安部公房(聞き手:[[ナンシー・S・ハーディン]])「安部公房との対話」([[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 1974年8月号に掲載)</ref>。
{{Quotation|あの男は[[]]を犯した男ですから、したがってぼくがあの小説を書くためにその罪を犯したことになると思います。でもあの男の[[正体]]はだれにもわかりません。ぼくが「箱男」の中で読者に伝えようとしたのは、[[]]の中に住むことはどういうことなのかと考えてもらうことでした。|安部公房(聞き手:[[ナンシー・S・ハーディン]])「安部公房との対話」<ref name="nancy"/>}}
 
=== 予告編など ===
なお、『箱男』の本編では組み込まれず、予告編のみで紹介されていた章には、箱男Bが何者かの襲撃に会って争い、どちらか一人が死んだことになっていており、死んだ男は、「人造皮の[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]の腋の下が裂け、裾がめくれて、小さな花模様のシャツがのぞいている」と記されている<ref name="yokoku">安部公房「箱男 予告編――周辺飛行13」(波 1972年11月号に掲載)</ref>。これについて安部は、「ところで、やっかいなのは、ここから先の計算だ。いったい、どっちが死んで、どっちが生き残ったのだろう」と述べ<ref name="yokoku"/>、襲撃者が襲撃に失敗し逆に箱男Bに殺され、箱男Bが立ち去ったのなら別に問題ないとしながら、以下のように語っている。
{{Quotation|殺されたのがBの方だった場合は、どういう事になるのだろう。あいにく、事情はまったく変わらないのだ。原因不明の[[事故]]による、ごくありふれた[[変死体]]。前には彼を守ってくれた同じ条件が、今度は彼を見殺しにする。箱男に化けた襲撃者は、一見して箱男だというだけで、無事[[容疑者]]リストから除外してもらえるのだ。たしかに箱は理想の避難所である。箱の外見に変化がないかぎり、内容にどんな変更があろうと、同じ箱男で通用してしまう。本来箱男殺しは、[[完全犯罪]]なのだ。そしてBは何時までたってもBなのである。|安部公房「箱男 予告編――周辺飛行13」<ref name="yokoku"/>}}
 
この、箱男の「[[匿名性]]」から導かれる「確定不能を生み出す形式」という概念は、本編の『箱男』の仕組みでも踏襲されていると[[工藤智哉]]は説明している<ref name="kudoh"/>。
 
== あらすじ・内容 ==
;《上野の浮浪者一掃 けさ取り締り 百八十人逮捕》
:冬ごもりの季節を控え、[[上野恩賜公園|上野公園]]や[[上野駅]]周辺の[[浮浪者]]を一斉検挙したという新聞記事。
 
;《ぼくの場合》
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:ダンボール箱をかぶった変死体が〈軍医殿〉に間違いないと証言するC(贋医者)の〈供述書〉の続きが書かれている。
 
:戦時中、〈軍医殿〉は[[材木]]から人間が[[腸]]吸収できる[[糖分]]の研究中に重病となり、苦痛を抑えるため[[麻薬]]依存になったため、戦後はCに診療所の代診をさせていた。精神状態がますます悪化する〈軍医殿〉は[[自殺]]願望が募り、Cの内縁の妻〈奈々〉(軍医の正妻で看護婦)の発案で〈軍医殿〉の名義はCに譲渡された。また、〈軍医殿〉の自殺を思い留まらせる代りに、見習看護婦の〈戸葉子〉の裸体を鑑賞させることを〈軍医殿〉はCに要求していた。二階の一室を部屋にしていた〈軍医殿〉が、ときどき非常梯子で外出していた可能性を、ダンボール箱をかぶった浮浪者の徘徊に関連してCは示唆する。
 
;《死刑執行人に罪はない》
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;《そして開幕のベルも聞かずに劇は終った》
:今日、〈彼女〉は出て行った。〈ぼく〉と〈彼女〉は、2か月ほど裸で暮らしたが、結局、彼女は服を着て出て行った。〈ぼく〉が箱をかぶって[[食料]]や[[日用品]]の買い出しから帰り、[[避難階段|非常階段]]から家に入ると、いつも〈彼女〉は裸で階段を上って迎えてくれたが、今日〈彼女〉は服を着ていた。階段脇の遺体安置室の存在が二人の間に影を落していたとは言えず、〈ぼく〉と〈彼女〉は、それを黙殺し、[[臭気]]も放置した[[生ゴミ]]の臭いでごまかしていた。
 
;《………………………》
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== 登場人物 ==
; ぼく
: 箱男。元[[カメラマン]]。ダンボール箱をかぶって、港近いT市を放浪し、箱の中で記録をつけている。[[醤油]]工場の塀の近くで突然[[空気銃]]で肩を撃たれ怪我をする。戸籍の上では29歳だが、本当は32、3歳らしい。もう3年間「箱男」をやっている。少年時代、わざわざ暗いところで[[活字]]の小さい本や雑誌を読み、自らすすんで[[近視]]眼になる。[[ストリップ (性風俗)|ストリップ小屋]]に通いつめ、写真家に弟子入りし、仕事の途中で「箱男」となった。
; 医者(贋医者)、C
: 贋箱男。T市で[[診療所]]を開業している[[中年]]男。姓名はC。生年月日は[[昭和]]元年(1927年)3月7日(架空の年月日。誕生日の日付は原作者である安部公房の誕生日と同じ){{refnest|group="注釈"|昭和元年に、「3月7日」という日付は存在しない。1927年3月7日は「昭和2年」とならなければならないため。安部公房は自己を作中に刻印すると同時に、消してもいると[[工藤智哉]]は解説している<ref name="kudoh"/>。}}。独身。医師見習(看護夫)。脛毛が目立つ白い筋張った足。戦時中、軍で[[衛生兵]]をしていた。昨年まで[[内縁]]の妻・奈々が[[看護婦]]として同居していた。奈々は、Cが医療行為に際し名義を借用した[[軍医]]の正妻。
; 彼女
: 看護婦見習。名前は戸山葉子。元[[美術モデル|モデル]]。貧しい画学生で、個人経営の画塾や[[アマチュア]][[画家]]クラブの連中相手に絵のモデルをして生計を立てていた。2年前、[[中絶]]手術を受けに贋医者の病院を訪れ、そのまま見習看護婦として居ついた。代りに贋医者の内妻・奈々は出てゆき、[[ピアノ]]塾を開業する。
; 軍医
: 戦時中に重病に倒れ、激しい筋肉痛を抑えるために[[麻薬]]を常用して中毒になる。自分の名義をCに貸して診療所を開設させ、自分の妻もCの内妻にさせていた。常に[[目やに]]を[[硼酸|硼酸水]]の[[脱脂綿]]で拭っている。毛が薄く皮をむいた生[[イカ]]のような湿った足。
; A
: アパートの窓のすぐ下に出没する或る一人の箱男を、窓から[[空気銃]]で撃ち退治するが、のちに自分自身も[[冷蔵庫]]が梱包されていたダンボールで箱を作り、箱男になる。
; B
: 箱男Bの抜け殻のダンボール箱は、[[公衆便所]]と板塀との隙間で朽ちていた。ぼろぼろと砕け落ちる小型の手帳があった。
; サラリーマン風の中年男
: 突然、〈ぼく〉の目の前で、街の歩道で倒れて死ぬ。
; 学生風の男
: 倒れた中年男の死に、偶然〈ぼく〉と居合わせる。
; ワッペン乞食
: 箱男の〈ぼく〉を目の敵にする老人の浮浪者。全身[[鱗]]のように[[ワッペン]]や玩具の[[勲章]]をつけ、帽子には[[ケーキ]]を飾る[[蝋燭]]のようにぐるりと[[日の丸]]の小旗を立てている。箱を小旗で突き刺す。
; 少年D
: 中学生。手製の[[角度|アングル]][[光学機器|スコープ]]で女教師のトイレ姿を覗こうとして、女教師に見つかる。
; 体操の女教師
: 少年Dの家の隣家の離れで、ピアノの練習をしている。[[フレデリック・ショパン|ショパン]]がお気に入りの曲。
; ショパン
: 父親の引く[[荷馬車]]に乗り花嫁の家の近くに着いたところで立[[小便]]をし、それを花嫁に見られて、父親と町を出てゆく。
; ショパンの父
: 自分の息子をショパンと呼ぶ。60歳すぎ。貧しくて[[馬車]]を雇えないので、息子の結婚式のために馬車の代りに自分がダンボール箱をかぶって荷車を引く「箱男」。
 
== 作品評価・解釈 ==
『箱男』は複雑な構成を持ち、読み手がそれぞれの断章の転換や、その関連性を理解するのが困難な作品で、安部自身が自作解説で、〈[[ヌーヴォー・ロマン|アンチ]][[小説|ロマン]]〉(反・小説)としているように、その構造が簡単には見通せない工夫となっており<ref name="karibe"/>、最終的には、「小説を書くという問題」にまで発展する構造を孕んでいるために、物語世界の読解も複雑で多くの論究がなされているが<ref name="sugiura"/><ref name="kudoh"/><ref name="hiraoka"/><ref name="manabe">[[真銅正宏]]「『箱男』の寓意―遮蔽・越境・迷路」(国文學─解釈と教材の研究─、1997年8月号に掲載)</ref>、成功作か失敗作か、未だ定まった評価はなされていない<ref name="kudoh"/>。総体的には、その複雑な構成が実験的な手法だと評価されている傾向があるが、否定的な評価も見られ、[[岡庭昇]]などは、『箱男』は物語世界の「[[図式]]しか」書かれていないと、その手法について手厳しく批評し、主人公が「自分は[[現実]]なのだろうか、幻影なのだろうかと、そういうことばでいっているだけ」と指摘している<ref>[[岡庭昇]]『[[花田清輝]]と安部公房―アヴァンガルド文学の再生のために』([[第三文明社]]、1980年)</ref>。
 
[[高野斗志美]]は、〈箱男〉とは「[[都市]]の内部に[[失踪]]し、無視され、廃棄された者たち」を象徴し、「見る=見られるという関係から脱落することは、[[市民社会]]の[[日常]]{{要曖昧さ回避|date=2023年6月}}性から脱落していること」であり、〈箱男〉は「内部に他者を喪失している群衆の[[生]]の状況」の形象だとし、以下のように解説している<ref name="album"/>。
{{Quotation|見られずに見るという特権は、箱男が、見られるという位置を失うことで社会から廃棄された一種に死んだ[[有機物]]にすぎないことをしめしている。[[廃棄物]]がだれであるかは問題にならない。だれでもが箱男になることができる。かぎりなく交換可能な箱男の[[運命]]は、だれのものとも分らぬ[[モノローグ]]が紡いでいく[[迷路]]のなかに[[分解]]されていく。「箱男」はこの点で、都市の深部にひそむ[[疎外]]へのあらたな照射をしめす転機の作品である。|[[高野斗志美]]「悪夢としての都市」<ref name="album"/>}}
 
[[田中裕之]]は、自分だけの世界に閉じこもる「箱男」に、[[おたく]]や[[引きこもり]]の若者たちを想起し、「箱男」が、夜中に病院の窓を覗いて〈彼女〉(見習看護婦)に欲望を抱いてゆく過程に、「[[ストーカー行為]]」の類似を看取し、社会現象に対する安部の先駆性を見出している<ref>[[田中裕之]]「『箱男』論(1)「箱男」という設定から」([[梅花女子大学]]文学部紀要・比較文化編1号、1997年)</ref>。
 
[[苅部直]]は、『箱男』が多種な「再構成」を読者に投げている作品ではあるが、挿入された[[写真]]や[[詩]]などを除けば、「小説のほぼ全体を一つながらりの物語として把握することも、見かけほど困難ではない」とし、小説の最後の3章を、元カメラマンの〈箱男〉が実際に見聞あるいは思い描いた記録と解釈して、〈贋医者〉と〈見習看護婦〉が、元カメラマンが現実に出会った人物と定めて、《死刑執行人に罪はない》の章の話者を、〈贋医者〉に殺された〈軍医殿〉と見ることは可能だとしている<ref name="karibe"/>。
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[[平岡篤頼]]は、『箱男』における「ノート」の書き手を「〈記述者=箱男〉」(前半に登場する〈ぼく〉)一人だけに統一して、作品の[[物語]]を同じ世界で起こる出来事と見ながら、時系列順に解釈している<ref name="nepuu2">平岡篤頼「続フィクションの熱風〔安部公房『箱男』〕(迷路の小説論8)」(早稲田文学、1973年9月)</ref>。平岡は、《書いているぼくと 書かれているぼくとの不機嫌な関係をめぐって》の章において、〈贋箱男〉が「ノート」の中で「ノート」自身に言及することから生じる「[[矛盾]]」に関しては、「〈記述者=箱男〉」の書かれうる[[未来]]の[[選択]]肢として捉え<ref name="nepuu2"/>、「〈記述者=箱男〉」は、箱を脱ぎ〈贋箱男〉の前にいるか(記述者であることを止めるか)、[[海岸]]で「ノート」を書いているか(交渉を諦めて正当な箱男であることを容認するか)のいずれかを選ばなければならないとし、「〈記述者=箱男〉」は結局、「記述者」を捨て「行為者」を選択するが、その「矛盾」を引き受けながら書き続けると説明しつつ、「ああ、なんという矛盾! そう書いているのも〈ぼく〉なのである」と述べて<ref name="nepuu2"/>、別の記述者の可能性が仄めかされている「ノート」は、「フィクション」の領域に位置づけている<ref name="nepuu2"/>。そして平岡は、「箱男」([[認識]]者)となり「[[自由]]」であったはずの〈ぼく〉が、ぼく自身でなくなった〈贋のぼく〉にならざるを得なくなる経過が、全体の物語に収まっていると解説している<ref name="hiraoka"/>。
 
平岡は、『箱男』では「〈見る〉ことが〈見られる〉ことを呼び、〈ほんもの〉が〈贋もの〉を誘発する」とし、それらが絶えず相互に交換され、「対になる[[言葉|ことば]]を誘い出す[[言語]]そのものの自律的な運動の発現」と同じになるとし<ref name="hiraoka">平岡篤頼「解説」(文庫版『箱男』)([[新潮文庫]]、1982年)</ref>、物語の連続性が、「言葉の[[概念]]と概念の呼応、[[音]]と音との呼応」により成立し、「〈死んでいるのかもしれない〉→〈[[変死体]]の発見〉」、「〈贋箱男〉→〈贋医者〉→〈贋供述書〉」の連動の例を挙げている<ref name="hiraoka3"/>。よって、この小説で展開されているのは、「箱の覗き窓から見た外の光景」という実在ではなく、「すべて箱の内側に記された[[落書]]」、「現在進行中の〈物語〉」であり、「そこに吹き荒れているのは、[[フィクション]]の熱風」だと平岡は説明しながら、「その〈物語〉を記録してゆく箱男とは誰なのだ」ということは、「現代小説における作者の位置」について思いめぐらすことと同様だとし、作家・[[安部公房]]の存在を示唆し<ref name="hiraoka"/>、それに関連して以下のように論考している<ref name="hiraoka3"/>。
{{Quotation|小説を書くという作業の大きな部分が言語を解放するということだとしたら、書くのは[[作家]]なのか、言語なのか。〈贋箱男〉の職業を医者としたのは作者安部公房かも知れないが、彼を〈贋医師〉にしたのは安部公房だろうか。彼の〈解放〉した言語なのだろうか。作家は何かを表現しようとして言語という[[道具]]を用いるのか、それとも言語という一つの空間のなかで、みずから言語の道具となって書くものなのか。|平岡篤頼「二重化と象徴(迷路の小説論11)」<ref name="hiraoka3"/> }}
 
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{{Quote|じっさい箱というやつは、見掛けはまったく単純なただの[[直方体]]にすぎないが、いったん内側から眺めると、百の[[知恵の輪]]をつなぎ合せたような迷路なのだ。もがけば、もがくほど、箱は体から生え出たもう一枚の[[外皮]]のように、その迷路に新しい道をつくって、ますます中の仕組みをもつれさせてしまう。|安部公房「箱男」}}
 
[[八角聡仁]]は、カメラと人間の二種の眼差しについて、「有用なものだけを、意味のあるものだけを取り出し、無用なもの、無意味なものを捨象すること」により、「初めて何かを見ることができる」人間の[[知覚]]と、「一切を無差別、無関心に見てしまう」写真の[[視点]]の違いから、『箱男』の「写真」が「見慣れていたものを[[異化]]し、いわば[[無意識]]の領域を写し出す」と説明している<ref>[[八角聡仁]] 「箱男の光学装置─写真・都市・演劇」([[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 1994年8月号に掲載)</ref>。
 
[[杉浦明恵]]は、『箱男』の構成が従来の小説のように読者が「物語世界」に没頭できない仕組みで、「〈語り〉行為そのもの」に読者の意識や注意を向けさせ、「小説を読む読者の態度を問い直している」とし<ref name="sugiura"/>、作品における「語り手が錯綜する点」と、「物語の成立に関わる語りの問題」(物語世界の出来事や登場人物が、語り手の「想像の産物」だと、「[[虚構]]性の自己言及」がなされている点)の二つの側面から分析考察している<ref name="sugiura"/>。
 
杉浦はまず、〈軍医〉の語る章《Cの場合》が、〈軍医〉=〈ぼく(箱男)〉が語っているのだとしたら「視点の侵略」になるとし、「〈ぼく〉の語る物語に無関係な〈軍医〉が語り手となりうる仕組み」を分析しながら、語り手が〈ぼく(箱男)〉以外の人物に変ったからといっても、「語り手としての箱男という立場」が「客体」になるわけではなく、〈ぼく〉が完全に語り手(記述者)としての立場を失ってはいない点(自分が本物でなくなることを自覚しながらも一貫して「主体」として語っていること)などを指摘し<ref name="sugiura"/>、「物語世界内の出来事のすべてを統一するような視点を持った特権的な語り手の不在により、〈ぼく〉と〈贋箱男〉、〈軍医〉は同列の立場となり、語り手が錯綜するという事態が起こった」と説明し、本物と贋物の対立という「読者に期待感を起こさせる手法」を用いながらも、それを「空所」(読者が知ったと感じた真相や解釈が絶えず否定・破棄され更新されるという繰り返しの作品構造)にさせて、従来の小説ジャンルの手法の機能を「意図的に否定すること」を目的にしている語りの構造を解説している<ref name="sugiura"/>。
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そして杉浦は、もう一つの「物語の成立に関わる語りの問題」の側面から分析し、「虚構性の自己言及」がなされる〈ぼく〉と〈贋箱男〉の対話(《書いているぼくと、書かれているぼくとの不機嫌な関係をめぐって》の章)において、人物たちが「[[空想]]の産物」であることを自覚していることで「物語の決壊」が起こり、〈語り〉は内容伝達するための「[[透明]]な[[記号]]」でなく、〈語り〉自体へ注意を向けさせる「不透明な記号」となるため、上記で考察してきた「語り手の変遷」の分析はすべて無意味となり、〈贋医者〉は〈ぼく〉の空想の産物となることで、〈贋医者〉も〈軍医〉の存在も消滅し、すべては〈ぼく〉の創作したフィクション(語り手〈ぼく〉による一つの物語)になると説明し<ref name="sugiura"/>、『箱男』は「物語の中で〈誰が〉語り手となっているのかというよりも、物語の外部に向けて物語ること、それも語り手が虚構性を認識しながら語ることに重点が置かれている」とし、「虚構性の自己言及は、物語世界〈の〉ことではなく、読者が受け取る物語世界〈について〉の言及で、物語世界の一つ上の水準、いわば[[メタ]]レベルに属する」と解説している<ref name="sugiura"/>。
 
[[永野宏志]]は、安部が『箱男』で掲げている〈帰属〉のテーマは、読者や観客との「コミュニケーション空間・編成の仕方を問う作品」をそれまでも送り出してきた安部の「本質的な課題」であり、安部がそこで実験してきた「[[異化]]」の点から、〈帰属〉のテーマがどう構成されているかに着目し、『箱男』を読む際に最も問われるのは「読者自身の〈帰属〉」だとしながら、様々な側面から論考している<ref name="naganonote"/>。永野は、安部が『[[燃えつきた地図]]』執筆時期に、〈いま必要なのは、けっして都市からの解放などではなく、まさに都市への解放であるはずだ〉と述べていたことから<ref>安部公房「都市について」([[新潮]] 1967年1月号に掲載)</ref>、『燃えつきた地図』が「物語世界のみならず読者と同時代の[[生活]]を、現代の[[環境]]として描く役割」を担うとし、「〈都市〉という言葉の意味の転換」を作品に課す際、「作品を物語世界の内側に収束させず、むしろ、読者を促し、〈都市〉の〈相対化〉と〈物〉の断片性の[[体験]]を促す契機が必要になる」と考察している<ref name="naganotenkai">永野宏志「書物の「帰属」を変える (II) : 安部公房『箱男』の折込付録「〈書斎にたずねて〉」の展開可能性」(工学院大学研究論叢、2013年10月)</ref>。
 
そして、『燃えつきた地図』の終盤において、「〈都市〉もまた物語世界と読者の実際世界をメタレベルで包括する環境なる類ではなく、両者を知覚次元で〈相対化〉する一例ではないかと解釈できる場面」(過去の作品記述が引用される場面)があることや、『[[人間そっくり]]』で語られる「そっくり」の論理([[トポロジー]]論)の挿入には、「物語の経過する[[時間]]を一瞬止め、物語から離脱して他の作品へ注意を向ける契機」があり、読者にとって、「物語の時間によって消去されつつある書物のページの物質性や読者の生きる実際世界への通路となる可能性を秘めている」と永野は説明しつつ<ref name="naganotenkai"/>、これらの「手法」が、「読者が物語世界の外の作品を埋め込んだページを知覚する[[次元]]への指示([[引用]])と、読者が物語世界に入りつつも実際世界をそのまま投影できない空間の指示(挿入)という、『箱男』の知覚次元における書物と、虚構内に広がる無際限の〈ノート〉の広がりの関係」に繋がるとし<ref name="naganotenkai"/>、『箱男』では「〈ノート〉の物質性を虚構内で主張する写真や別紙の挿入へと展開」し、それらの「時間的整序から逃れて出現する空間」の断片の散在は、安部の描く〈都市〉〈都市的なもの〉のようだと考察して、以下のように解説している<ref name="naganotenkai"/>。
{{Quotation|この時、書物は物語や作者の発想を指示する閉じた[[時空]]ではなく、読者の関与によって開かれる「都市」に転換するのではないだろうか。ここにおいて「都市的なもの」は、作者の主張を離れ、書物として手渡された読者との対話という段階に移ることが可能となるだろう。というのも、諸部分の世界を強調し、包括する類自体を拒否することは、作者の包括的な位置をも脅かしているからである。個別性が優位の世界では、習慣がメタレベルを形成しようとすると、「都市的なもの」のダイナミックな[[対話]]が、作品の外へと「可能な展開」を始めるといえる。|永野宏志「書物の「帰属」を変える (II) : 安部公房『箱男』の折込付録「〈書斎にたずねて〉」の展開可能性」<ref name="naganotenkai"/>}}
 
[[工藤智哉]]は、『箱男』の物語内部の書き手である「箱男」と、『箱男』という物語の書き手である「作家・安部公房」の相似性の関係から考察し、安部が[[ソール・スタインバーグ|スタインベルグ]]の[[漫画]](自分で自分の[[肖像]]を描いている[[画家]]が、その自分の姿を同じ[[ペン]]で[[絵]]に描くという[[パラドックス]])に言及していることを鑑みて、『箱男』全体を貫くテーマが、物語の[[因果律]]を否定する「パラドックス」により、「作品内部で確定不能な状況が作り出されるという[[からくり|カラクリ]]」ではないかとし<ref name="kudoh"/>、物語世界にある「ノート」(挿入的な記述を除いて、一人の記述者と想定される)を「架空のノート形式」と呼びつつ、様々な側面からその「ノート」の語り手が実在の人物(物語世界において)なのかを分析している<ref name="kudoh"/>。
 
工藤は、〈軍医〉が〈贋医者〉の「供述書」を見て書き写すという物理的な不可能性や矛盾点から、〈軍医〉の記述する章は〈軍医〉の妄想と仮定できるとし、一冊の「ノート」の記述者という「連続性」を考慮するなら、挿入や注解を除いて基本的に一人であると想定されるため、一見、〈軍医〉=〈ぼく〉(箱男)と見なされるが、時間的な矛盾から〈ぼく〉と〈軍医〉は同一人物ではありえず、どちらかが架空でなければならず、〈軍医〉が架空人物と仮定できるが、そうなると必然的に〈贋医者〉も存在しなくなりパラドックスに陥ると説明し<ref name="kudoh"/>、〈軍医〉の死体(死臭)があり、〈軍医〉の存在が仄めかされている点などを挙げつつ、どちらにしても整合性のとれない構造となっている物語世界を指摘し<ref name="kudoh"/>、『箱男』が「実に反物語的な物語」であり、「〈架空のノート形式〉の持つ危険性を逆手に取って、物語性を否定した位置」に立ち、さらには、「作家の[[存在]][[証明]]」も脅かされる「小説観の[[寓意]]」にもなっているとして以下のように評している<ref name="kudoh"/>。
{{Quotation|作家として作品を提示することはできる。しかし、我々読者が作家と作品を結びつけているものは制度以外の何物でもない。この結びつきを否定することはできないが、そこには何らの根拠もない。自分が書いているということを書くこと、つまり自己の存在証明を自ら書くことは不可能なのである。このような「書く」ということに関する根源的な矛盾は、おそらく[[論理]]的には解決不可能だろう。しかし、そのような矛盾を演じることはできる。『箱男』という物語は、作家・安部公房が自己の存在証明をも犠牲にして、「書く」という行為の持つ矛盾を演じて見せた物語と言えよう。その意味でこの物語は「物語」という形式の持つ根拠不在な不確かさの寓意なのである。|[[工藤智哉]]「『箱男』試論―物語の書き手をめぐって」<ref name="kudoh"/>}}
 
[[手塚治虫]]は『[[ばるぼら]]』の作中において『箱男』に言及している。
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== おもな刊行本 ==
*『箱男』([[新潮社]]、1973年3月30日)
** 本文写真:[[安部公房]]。函(表)文:安部公房。函(裏)文:[[石川淳]]、[[ドナルド・キーン]]。投込み付録:「書斎にたずねて」(安部公房談話記事)。191頁
* 文庫版『箱男』([[新潮文庫]]、1982年10月25日。改版2005年) ISBN 4-10-112116-8
** カバー装幀:[[安部真知]]。本文写真:安部公房。付録・解説:[[平岡篤頼]]。
** ※
**※ 2005年改版より、カバー装画:[[近藤一弥]](フォト:安部公房)。
* 英文版『The Box Man』(訳:E. Dale Saunders)(Tuttle classics、1975年1月)
 
== 派生作品教養番組 ==
* [[文學ト云フ事]]『'''箱男'''』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*ゲーム『[[メタルギアシリーズ]]』に登場するアイテム「ダンボール箱」は、ゲーム製作者[[小島秀夫 (ゲームデザイナー)|小島秀夫]]によると本作のオマージュである。
** 1994年(平成6年)6月28日 火曜日 24:55 - 25:25
*[[進ぬ!電波少年]]の企画の「[[進ぬ!電波少年#電波少年的箱男|電波少年的箱男]]」
** 演出:[[片岡K]] 音楽:[[佐々木貴]] 企画:[[斎藤秋水]]、[[鈴木吉弘]](企画協力:[[和田晃]])プロデュース:[[小島美佳]](デスク:[[松田敦子]]
** 出演:[[緒川たまき]]、[[長谷川大作]]、[[遠山俊也]] 文學ノ予告人:[[原ひさ子]]
** エンディング・テーマ:[[原田知世]]「[[哀しみのアダージョ|T'en va pas]]」
 
== 映像化 ==
{{main|箱男 (映画)}}
*[[文學ト云フ事]]『箱男』([[フジテレビ]])
[[2024年]][[8月23日]]公開<ref name="rs1682961">{{Cite web2|url=https://realsound.jp/movie/2024/06/post-1682961.html|title=永瀬正敏主演×石井岳龍監督『箱男』ポスタービジュアル&予告編 公開日は8月23日に決定|website=リアルサウンド映画部|publisher=blueprint|date=2024-06-06|accessdate=2024-10-04}}</ref>。[[映画のレイティングシステム#PG12|PG12指定]]<ref name="eiga.com101069">{{Cite web2|url=https://eiga.com/movie/101069/|title=箱男:作品情報|website=映画.com|publisher=エイガ・ドット・コム|accessdate=2024-10-04}}</ref>。本作の映画化は1997年に日本と[[ドイツ]]の合作映画となるはずだったが、クランクイン直前に日本側の製作資金の問題によって撮影が頓挫し、27年の時を経て実現に至った<ref name="eiga.com202408056">{{Cite web2|url=https://eiga.com/news/20240805/6/|title=「箱男」企画頓挫の悲劇から27年、沈黙の期間に何があった? 当時の貴重写真&映画化までの軌跡が初公開|website=映画.com|publisher=エイガ・ドット・コム|date=2024-08-05|accessdate=2024-10-04}}</ref>。監督は[[石井岳龍]]、主演は[[永瀬正敏]]が1997年当初の企画と同じく担当した{{R|rs1682961|eiga.com202408056}}。
**1994年(平成6年)6月28日 火曜日 24:55 - 25:25
 
**演出:[[片岡K]] 音楽:[[佐々木貴]] 企画:[[斎藤秋水]]、[[鈴木吉弘]](企画協力:[[和田晃]])プロデュース:[[小島美佳]](デスク:[[松田敦子]])
[[第74回ベルリン国際映画祭]]の「ベルリナーレ・スペシャル」部門に正式招待された<ref>{{Cite web|title=ベルリンで世界に注目「箱男」主演・永瀬正敏、石井岳龍監督が掴んだ手応え {{!}} Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/69711|website=forbesjapan.com|accessdate=2024-04-05}}</ref>。
**出演:[[緒川たまき]]、[[長谷川大作]]、[[遠山俊也]] 文學ノ予告人:[[原ひさ子]]
 
**エンディング・テーマ:[[原田知世]]「[[哀しみのアダージョ|T'en va pas]]」
== その他の派生作品 ==
*箱男 BOXMAN (未公開)
* ゲーム『[[メタルギアシリーズ]]』に登場するアイテム「ダンボール箱」は、ゲーム製作者[[小島秀夫 (ゲームデザイナー)|小島秀夫]]によると本作のオマージュである。
**監督:[[石井聰亙]]
*[[進ぬ!電波少年]]の企画の「[[進ぬ!電波少年#電波少年的箱男|電波少年的箱男]]」
**出演:[[永瀬正敏]]、[[佐藤浩市]]、[[岸部一徳]]、[[夏生ゆうな]]
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* 文庫版『箱男』(付録・解説 [[平岡篤頼]])([[新潮文庫]]、1982年。改版2005年)
* 『安部公房全集 23 1970.02-1973.03』([[新潮社]]、1999年)
* 『安部公房全集 24 1973.03-1974.02』(新潮社、1999年)
* 『安部公房全集 25 1974.03-1977.11』(新潮社、1999年)
* 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』(新潮社、1994年)
* [[苅部直]]『安部公房の都市』([[講談社]]、2012年)
*[[ 工藤智哉]]「『箱男』試論―物語の書き手をめぐって」(国文学研究、2002年6月) [https://cicir.nii.ac.jp/naidcrid/1200054817931050001202467335808]
*[[ 杉浦幸恵]]「安部公房『箱男』における語りの重層性」([[岩手大学]]大学院人文社会科学研究科紀要、2008年7月) [https://cicir.nii.ac.jp/naidcrid/1200011242731390290699641868160]
*[[ 永野宏志]]「書物の「帰属」を変える―安部公房『箱男』の構成における「ノート」の役割―」([[工学院大学]]研究論叢、2012年10月) [https://cicir.nii.ac.jp/naidcrid/1100094791331390581533761122688]
* 永野宏志「書物の「帰属」を変える (II) : 安部公房『箱男』の折込付録「〈書斎にたずねて〉」の展開可能性」(工学院大学研究論叢、2013年10月) [https://cicir.nii.ac.jp/naidcrid/1100096319081520009407694897152]
 
== 関連項目 ==
* [[メタフィクション]]
* [[窃視症]]
* [[安楽死]]
 
== 外部リンク ==
{{安部公房}}
{{dl2
| 小説 |
* [https://www.shinchosha.co.jp/book/112116/ 『箱男』安部公房] - 新潮社
| 映画 |
* [https://happinet-phantom.com/hakootoko/ 映画『箱男』オフィシャルサイト]
** {{Twitter|hakootoko_movie|映画『箱男』 𝟾.𝟸𝟹 𝙵𝚁𝙸 𝚁𝙾𝙰𝙳𝚂𝙷𝙾𝚆 📦|公式アカウント}}
* {{Allcinema title|395380|箱男}}
* {{Kinejun title|99555|箱男}}
}}
 
{{安部公房}}
{{石井岳龍監督作品}}
{{Movie-stub}}
{{DEFAULTSORT:はこおとこ}}
[[Category:安部公房の小説]]
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[[Category:夢を題材とした小説]]
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