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{{出典の明記|date=2017年4月}}
'''亀山藩'''('''かめやまはん''')は[[江戸時代]]に[[丹波国]]にあった[[藩]]のうちの一つ。現在の[[京都府]][[亀岡市]]を拠点とした。[[山陰道]]の入り口に当たるため、[[江戸幕府]]から特に重要視された。[[伊勢亀山藩]]との区別から'''丹波藩'''とも呼ばれる。[[明治]]時代に亀山の地名を亀岡に改称したため、これ以降は'''亀岡藩'''(かめおかはん''')とも言わ呼ばれる。藩庁は[[亀山城 (丹波国)|亀山城]]。
 
== 概要 ==
[[明智光秀]]は[[織田信長]]より丹波攻略を命じられると、まず[[亀岡盆地|亀山盆地]]に進出する。[[天正]]5年([[1577年]])に丹波[[亀山城 (丹波国)|亀山城]]を築いて入部したのが、亀岡の[[近世]]的な始まりといわれる。天正7年([[1579年]])に[[波多野秀治]]が討たれて丹波が織田領になると、その功績により光秀は信長より[[近江国|近江]][[坂本城]]と丹波1国の領有を許された。しかし天正10年([[1582年]])6月、光秀は[[本能寺の変]]を起こして信長を殺し、自らも信長の家臣・羽柴秀吉([[豊臣秀吉]])に討たれ、[[明智氏]]は滅亡した。
 
その後の[[清洲会議]]で羽柴秀吉が[[織田氏]]の主導権を握ると、亀山城は信長の四男で秀吉の[[養子]]となっていた[[羽柴秀勝]](於次)が入城する。天正13年([[1585年]])に秀勝が早世すると、秀吉の甥に当たる[[豊臣秀勝]](小吉)が代わって入部した。天正18年([[1590年]])に[[徳川家康]]が[[関東]]に移封されたため、豊臣秀勝が甲斐に入部することになると、亀山城は様々な武将が短期間で入れ替城主が変りした。秀吉の甥で養子となった羽柴秀秋([[小早川秀秋]])もその1人である。
 
[[文禄]]4年([[1595年]])に[[豊臣政権]]下の[[京都所司官・]]であった[[前田玄以]]が亀山城に入部する。[[慶長]]5年([[1600年]])、[[の戦い]]では前田玄以はやむを得ず西軍に加わったが、家康に西軍の情報を内通していたため、戦後に家康より所領安堵を受け、ここに丹波亀山藩が成立した慶長7年([[1602年5]])5月、前田玄以が死ぬと亀山城付近は[[天領]]とな去す。1609年徳川家康の信頼の厚い[[岡部長盛]]が亀山城主なり本格的な藩体制が始まった。彼が亀山城に入ったのは大坂対策の一つでもある。1610年西国大名総動員し亀山城の築城が始まる。1621年には松井松平の[[松平成重前田茂勝]]が亀山城主となる。以後継いだが1634年茂勝は丹波[[菅沼定芳]]、1648年藤井松平の[[松平忠晴]]、1685年[[久世重之]]、1697年[[井正岑]]、1702年[[青山忠重]]と続く。いずれも譜代大名で原則的は一代限りの領有であった。こ移封さも1749年に形原松平氏の[[松平信岑]]が亀山城主となると以後はこの家系が代々亀山藩主となった。1869年[[戊辰戦争]]。亀山藩は[[山陰鎮撫使天領]]に降伏。1869年、亀岡藩改称。1871年、亀岡県。同年11月に[[京都府]]に吸収される。
 
慶長14年([[1609年]])、[[徳川氏]]譜代の家臣である[[岡部長盛]]が[[下総国|下総]][[下総山崎藩|山崎藩]]から移封され、亀山藩が再立藩された。長盛が亀山藩に入ったのは、[[大坂藩]]の[[豊臣秀頼]]への対策の1つでもある。この岡部時代に亀山城下町の原型が出来上がったとされる。慶長15年([[1610年]])、西国大名を総動員して亀山城の築城が行われる。
==歴代藩主==
===岡部家===
譜代 3万2千石 (1609年 - 1621年)
#[[岡部長盛|長盛]]〔従五位下、内膳正〕
 
[[元和 (日本)|元和]]7年([[1621年]])、[[三河国|三河]][[西尾藩]]より[[大給松平家]]の[[松平成重]]が2万2000石で亀山藩主となる。
===松平(大給)家===
譜代 2万2千石 (1621年 - 1634年)
#[[松平成重|成重]]〔従五位下、右近将監〕
#[[松平忠昭 (大給松平家)|忠昭]]〔従五位下、信濃守〕
 
[[寛永]]11年([[1634年]])、近江[[膳所藩]]より[[菅沼定芳]]が4万1000石で入るが、第2代藩主・[[菅沼定昭]]が嗣子無くして[[慶安]]元年([[1648年]])に死去し、菅沼氏は[[改易]]となる。代わって[[藤井松平家]]の[[松平忠晴]]が3万8000石で入るが、第3代藩主の[[松平忠周]]の時代に[[武蔵国|武蔵]][[岩槻藩]]へ移封となる。
===菅沼家===
譜代 4万1千石 (1634年 - 1648年)
#[[菅沼定芳|定芳]]〔従五位下、織部正〕
#[[菅沼定昭|定昭]]〔従五位下、左近将監〕
 
[[貞享]]2年([[1685年]])、[[備中国|備中]][[庭瀬藩]]より5万石で[[久世重之]]が入るが、短期間で三河[[三河吉田藩|吉田藩]]へ移封となる。
===松平(藤井)家===
譜代 3万8千石 (1648年 - 1685年)
#[[松平忠晴|忠晴]]〔従五位下、伊賀守〕
#[[松平忠昭 (藤井松平家)|忠昭]]〔従五位下、伊賀守〕
#[[松平忠周|忠周]]〔従五位下、伊賀守〕
 
[[元禄]]10年([[1697年]])、[[美濃国|美濃]][[郡上藩]]より[[井上正岑]]が4万7000石で入るが、これも短期間で[[常陸国|常陸]][[下館藩]]へ移封される。
===久世家===
 
元禄15年([[1702年]])[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]、[[遠江国|遠江]][[浜松藩]]から[[青山忠重]]が5万石で入るが、第3代藩主・[[青山忠朝]]の時代に丹波[[篠山藩]]へ移封というように藩主家が定着しなかった。
 
[[寛延]]2年([[1749年]])、[[青山氏]]と入れ替わりで[[形原松平家]]の[[松平信岑]]が亀山藩主となると、以後はこの家系が代々の亀山藩主として定着した。[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では新政府の[[山陰鎮撫使]]に降伏する。[[明治]]2年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]([[1869年]][[7月27日]])、[[伊勢国|伊勢]][[伊勢亀山藩|亀山藩]]との混合を避けるため亀岡藩と改称する。明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]])、[[廃藩置県]]により亀岡県となる。[[11月 (旧暦)|11月]]に[[京都府]]に合併された。
 
[[天保]]期において現亀岡市を含む[[桑田郡]]内の総石高は4万6000石であったが、そのうち亀山藩領は1万8000石のみで、残りは丹波[[氷上郡]]、[[船井郡]]、備中[[浅口郡]]ほかに飛び地となっていた。このまとまりのない領国支配体制が亀山藩の経済を苦しめたともいえる。
 
== 歴代藩主 ==
=== 前田家 ===
[[外様大名|外様]] 5万石 (1600年 - 1602年)
#[[前田玄以|玄以]](げんい)
#[[前田茂勝|茂勝]](しげかつ)
 
=== 岡部家 ===
[[譜代大名|譜代]] 3万2千2000石 (1609年 - 1621年)
#[[岡部長盛|長盛]](ながもり)〔従五位下、内膳正〕
 
=== 松平(大給)家 ===
譜代 2万2千2000石 (1621年 - 1634年)
#[[松平成重|成重]](なりしげ)〔従五位下、右近将監〕
#[[松平忠昭 (大給松平家)|忠昭]](ただあき)〔従五位下、信濃守〕
 
=== 菅沼家 ===
譜代 4万1千1000石 (1634年 - 1648年)
#[[菅沼定芳|定芳]](さだよし)〔従五位下、織部正〕
#[[菅沼定昭|定昭]](さだあきら)〔従五位下、左近将監〕
 
=== 松平(藤井)家 ===
譜代 3万8千8000石 (1648年 - 1685年)
#[[松平忠晴|忠晴]](ただはる)〔従五位下、伊賀守〕
#[[松平忠昭 (藤井松平家)|忠昭]](ただあき)〔従五位下、伊賀守〕
#[[松平忠周|忠周]](ただちか)〔従五位下、伊賀守〕
 
=== 久世家 ===
譜代 5万石 (1685年 - 1697年)
#[[久世重之|重之]](しげゆき)〔従四位下、大和守・侍従〕
 
=== 井上家 ===
譜代 4万7千7000石 (1697年 - 1702年)
#[[井上正岑|正岑]](まさみね)〔従四位下、河内守・侍従〕
 
=== 青山家 ===
譜代 5万石 (1702年 - 1749年)
#[[青山忠重|忠重]](ただしげ)〔従五位下、因幡守〕
#[[青山俊春|俊春]](としはる)〔従五位下、因幡守〕
#[[青山忠朝|忠朝]](ただとも)〔従五位下、因幡守〕
 
=== 松平(形原)家 ===
譜代 5万石 (1749年 - 1871年)
#[[松平信岑|信岑]](のぶみね)〔従四位下、紀伊守〕
#[[松平信直|信直]](のぶなお)〔従五位下、紀伊守〕
#[[松平信道|信道]](のぶみち)〔従五位下、紀伊守〕
#[[松平信彰|信彰]](のぶかた)〔従五位下、紀伊守〕
#[[松平信志|信志]](のぶざね)〔従五位下、紀伊守〕
#[[松平信豪|信豪]](のぶひで)〔従五位下、紀伊守〕
#[[松平信義 (丹波亀山藩主)|信義]](のぶよし)〔従四位下、紀伊守・侍従〕
#[[松平信正 (丹波亀山藩主)|信正]](のぶまさ)〔従五位下、図書
 
== 幕末の領地 ==
==関連==
* [[藩の一覧丹波国]]
** [[桑田郡]]のうち - 58村
** [[船井郡]]のうち - 39村
* [[備中国]]
** [[浅口郡]]のうち - 7村
 
== 関連項目 ==
*[[天道流]]
*[[富田流]](丹波亀山藩では「中条流」と呼ばれた)
 
{{s-start}}
{{s-bef|before=([[丹波国]])|表記=前}}
{{s-ttl|title=行政区の変遷
|years=[[1609年]] - [[1871年]]|years2=亀山藩→亀岡藩→亀岡県}}
{{s-aft|after=[[京都府]]|表記=次}}
{{end}}
{{江戸時代の藩}}
 
== 脚注 ==
[[Category:藩|たんはかめやま]]
[[Category{{デフォルトソート:京都府の歴史|たんはかめやまはん]]}}
[[Category:丹波亀山藩|!]]
[[category:岡部氏|*]]
[[categoryCategory:久世氏|*]]
[[Category:丹波国の藩|かめやま]]
[[category:菅沼氏|*]]
[[Category:前田玄以家|藩たんはかめやま]]
[[category:青山氏|*]]
[[Category:岸和田岡部家|藩たんはかめやま]]
[[Category:府内松平家|藩たんはかめやま]]
[[Category:菅沼氏|たんはかめやま]]
[[Category:松平伊賀守家|藩たんはかめやま]]
[[Category:久世大和守家|藩たんはかめやま]]
[[Category:井上河内守家|藩たんはかめやま]]
[[Category:篠山青山家|藩たんはかめやま]]
[[Category:形原松平氏|藩たんはかめやま]]
[[Category:亀岡市の歴史]]