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{{競走馬
|名 = デヴィルズバッグ
|画 = no
|種 = [[サラブレッド]]
|性 = [[牡馬|牡]]
|英 = {{lang|en|Devil's Bag}}
|色 = [[馬の毛色#鹿毛|鹿毛]]
|生 = [[1981年]][[2月19日]]<ref name="acp">{{cite web|url=http://www.americanclassicpedigrees.com/devils-bag.html |title=Devil's Bag (horse) |author=Avalyn Hunter |publisher=American Classic Pedigrees |accessdate=2019-10-30}}</ref><ref name="equibase">{{cite web|url=https://www.equibase.com/profiles/Results.cfm?type=Horse&refno=835369&registry=T&rbt=TB |title=Horse Profile for Devil's Bag |publisher=equibase.com |accessdate=2019-10-30}}</ref>
|生 = [[1981年]]
|死 = {{死亡年月日と没馬齢|p=0|1981|2|19|2005|2|3}}<ref name="acp" /><ref name="espn050204">{{cite web|url=https://www.espn.com/horse/news/2005/0204/1984074.html |title=Devil's Bag euthanized due to broken leg |author=Glenye Cain |publisher=ESPN.com |date=2005-02-04 |accessdate=2019-10-30}}</ref>
|死 = [[2005年]]
|父 = [[ヘイロー (競走馬)|Halo]]
|母 = Ballade
|母父 = [[エルバジェ (競走馬)|Herbager]]
|国 = {{USA}}[[メリーランド州]]
|産 = [[エドワード・プランケット・テイラー|E. P. Taylor]]<ref name="equibase" />
|主 = Hickory Tree Stable<ref name="equibase" />
|調 = WoodyWoodford C. Stephens<ref name="equibase" />
|績 = 9戦8勝<ref name="equibase" />
|金 = 445,860[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]<ref name="equibase" />
}}
'''デヴィルズバッグ'''({{lang|en|Devil's Bag}}、[[1981年]] - [[2005年]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[サラブレッド]]の[[競走馬]]、および[[種牡馬]]。2歳時に無敗の5連勝を飾り、[[1983年]]の[[エクリプス賞]]最優秀2歳牡馬を受賞した馬で翌年怪我より早期に引退した。種牡馬として成功も実績を残し[[日本]]の[[顕彰馬]][[タイキシャトル]]などの父となった。
 
== 経歴 ==
=== 出生 ===
[[エドワード・プランケット・テイラー]]の所有する[[ウンドフィールズファーム]][[メリーランド州|メリーランド]]支場で、1981年に生まれた[[サラブレッド]]の牡馬である<ref name="espn050204" />。父[[ヘイロー (競走馬)|ヘイロー]]、母バラッドとの間に生まれた馬で、全姉に[[グローリアスソング]]、全弟に[[セイントバラード]]などがいる<ref name="espn050204" />
 
デヴィルズバッグは1歳のときに[[キーンランド]]のジュライセレクトセールに出品され、325000[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]でジェームズ・P・ミルズの率いるヒッコリーツリーステーブルに購入された<ref name="espn050204" />。デヴィルズバッグはヒッコリーツリーステーブル名義で登録され、ウッディ・スティーヴンス調教師のもとで競走馬としての訓練を積んだ
 
=== 2歳時(1983年) ===
スティーヴンス調教師はデヴィルズバッグはヒッコリーツリーステーブル名義で登録され、ウッディ・ステファンズ調教師もとで競走馬となった。才能に感じ入り、2歳時は冬頃から[[アメフロカ東海岸|東海岸ダ州]]で長始動しく調教を重ね、初戦として迎えたのは8月20日の未勝利戦([[サラトガ競馬場]]・ダート6[[ハロン (単位)|ハロン]])であった<ref name="si831017">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1983/10/17/620371/hes-at-the-head-of-his-class |title=He's at the head of his class |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author=William Leggett ||date=1983-10-17 |accessdate=2019-10-31}}</ref><ref group="c" name="h47">早野 p.47</ref>。9頭立てで行われたこの競走において、デヴィルズバッグは後続を7[[着差 (競馬)|馬身]]半も突き放す圧勝で初勝利を挙げた。スティーヴンスはこの勝利後、「あれの走りを見たか? あれはランナーだ。怪物の類いだ」と喜びを語っている<ref name="si831017" />。このとき騎乗していたエディ・メイプルは以後もほとんどの競走でデヴィルズバッグの鞍上を務めている。
 
同年、デヴィルズバッグは負け知らずの5連勝を記録した。その競走内容も濃く、2戦目の一般競走([[ベルモントパーク競馬場]]・ダート6ハロン)では5馬身1/4差の勝利、また3戦目のカウディンステークス(G2・ベルモントパーク・ダート7ハロン)で記録した1分21秒40のタイムは当時の[[ベルモントパーク競馬場]]のダート7ハロン(約1408[[メートル]])でのトラックレコード、さらに翌戦[[シャンペンステークス (アメリカ合衆国)|シャンペンステークス]](G1・ベルモントパーク・ダート8ハロン)では1976年に[[シアトルスルー]]が記録していた記録を破る同競馬場ダート8ハロン(約1609メートル)トラックレコードであった。さらに同年最終戦の[[ローレルフューチュリティ]]においても[[ローレルパーク競馬場]]ダート8.5ハロン(約1709メートル)で1分42秒20のタイムを叩きだし、[[スペクタキュラービッド]]の保持していたトラックレコードを塗り替えた。全競走で平均して5馬身半の差を付けており、その世代において圧倒的な力を持っていることを示し続けた<ref name="si831017" /><ref group="c" name="h47" />
 
さらに同年最終戦の[[ローレルフューチュリティ]]においても[[ローレルパーク競馬場]]ダート8.5ハロンで1分42秒20のタイムを叩きだし、[[スペクタキュラービッド]]の保持していたトラックレコードを塗り替えた<ref name="acp" /><ref group="c" name="k70">加藤 p.70</ref>。全競走で27馬身、平均して5馬身半の差を付けており、その世代において圧倒的な力を持っていることを示し続けた<ref group="c" name="k70" /><ref group="c" name="h47" />。本来は同年の最終戦として11月12日の[[レムゼンステークス]]へ登録されていた<ref name="si831017" />が、[[挫石]]のため出走を取りやめ、翌年までの休養に入った。
本来は同年の最終戦として12月の[[レムゼンステークス]]へ登録されていたが、[[挫石]]のため出走を取りやめ、翌年までの休養に入った。この12月の20日、[[クレイボーンファーム]]総帥のセス・ハンコックはデヴィルズバッグに対する、1株100万ドル、合計3600万ドルの種牡馬[[シンジケート]]を結成したことを発表した<ref>[http://www.nytimes.com/1983/12/21/sports/devil-s-bag-syndicated.html Devil's Bag Syndicated] - New York Times(1983年12月21日、英語)</ref>。この金額は2歳馬にかけられたものとしては史上最高額のもので、アメリカの全競走馬においても歴代3位という大規模なものであった。また、ハンコックは同馬を3歳シーズン終了後にクレイボーンファームへと引退させること予定を語り、種付け初年度(1985年)の種付け料を100万ドルにするとも宣言した。
 
本来は同年最終戦として12月の[[レムゼンステークス]]へ登録されていたが、[[挫石]]のため出走を取りやめ、翌年までの休養に入った。この12月の20日、[[クレイボーンファーム]]総帥の[[セス・ハンコック]]はデヴィルズバッグに対する、1株100万ドル、合計3600万ドルの種牡馬[[種牡馬#シンジケート|シンジケート]]を結成したことを発表した<ref>[http://www.nytimes.com/1983/12/21/sports/devil-s-bag-syndicated.html Devil'sname="espn050204" Bag Syndicated] - New York Times(1983年12月21日、英語)</ref>。この金額は2歳馬にかけられたものとしては史上最高額のもので、アメリカの全競走馬においても歴代3位という大規模なものであった。また、ハンコックは同馬を3歳シーズン終了後にクレイボーンファームへと引退させること予定を語り、種付け初年度(1985年)の種付け料を100万ドルにするとも宣言した。
=== 3歳 ===
前年の活躍からデヴィルズバッグは大いに人気を集め、冬時点での[[アメリカクラシック三冠]]シリーズ展望において大本命に推されていた。1984年1月2日号の[[タイム (雑誌)|タイム]]においては「次代の[[セクレタリアト]]」とも評されていた<ref>[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,921463,00.html
Sport: A Ticket to Green Pastures] - TIME(1984年1月2日号、英語)</ref>。
 
後に[[エクリプス賞]]表彰において、デヴィルズバッグは1983年の最優秀2歳牡馬に選出された<ref name="acp" />。この時点でデヴィルズバッグの評価は最大級のものになっており、「[[セクレタリアト]]以来最高の2歳馬」「セクレタリアトの再来」などとの評価を得て、[[アメリカクラシック三冠]]も確実視されていた<ref group="c" name="k70" /><ref name="acp" /><ref name="si840507">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1984/05/07/626588/the-fast-the-fat-the-game-the-gals |title=The Fast, The Fat, The Game, The Gals, |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author=William Nack |date=1984-05-07 |accessdate=2019-10-31}}</ref>。
1984年は[[フロリダ州]]から始動し、2月20日の[[ハイアリアパーク競馬場]]で行われた一般競走において7馬身差の圧勝で年初を飾った。翌戦にフロリダにおける最大のプレップレースである3月7日の[[フラミンゴステークス]]が登録されたが、この競走において突然不可解な失速で先頭からずるずると後退、7馬身差の4着に沈み、初の敗北を喫してしまった。12日の[[スポーツ・イラストレイテッド]]誌はこの競走について、「近年の競馬における、1973年の[[セクレタリアト]]のそれ以来の衝撃的な事件であった。」と評している。
 
=== 3歳時(1984年) ===
4月19日、デヴィルズバッグは[[キーンランド競馬場]]のフォアランナーステークスを15馬身差で圧勝してやはり力のあるところを見せつけた。さらに4月28日のチャーチルダウンズ競馬場のダービートライアルステークスでも優勝したが、[[ケンタッキーダービー]]を4日後に控えた5月1日ステファンズはダービーの回避を発表し、[[プリークネスステークス]]より本戦に加わるとした。
1984年はフロリダで行われる3歳戦から始動し、2月20日の[[ハイアリアパーク競馬場]]で行われたフラミンゴプレップステークス(ダート7ハロン)において7馬身差の圧勝で年初を飾った<ref name="si840305">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1984/03/05/569001/hes-got-the-horse-right-here |title=He's Got The Horse Right Here |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author=William Nack |date=1984-03-05 |accessdate=2019-10-31}}</ref>。翌戦にフロリダ路線における最大の前哨戦である3月3日の[[フラミンゴステークス]](G1・ハイアリアパーク・ダート9ハロン)に出走、32,240人の観衆が詰めかける中で断然の1番人気に推されたが、超ハイペースのなか強引に前に行く競馬が祟ってずるずると後退、勝ち馬タイムフォーアチェンジから7馬身差の4着に沈み、初の敗北を喫してしまった<ref group="c" name="h47" /><ref name="tmg">{{cite web|url=https://news.google.com/newspapers?nid=1946&dat=19840305&id=-oU0AAAAIBAJ&sjid=jKUFAAAAIBAJ&pg=876,2351395 |title=Time For a Change throws Derby race wide open |publisher=The Montreal Gazette |author=Knight Ridder ||date=1984-03-05 |accessdate=2019-10-31}}</ref>。鞍上を務めたメイプルは「何が起こったのかわからない」と語り<ref name="tmg" />、また[[スポーツ・イラストレイテッド]]誌の記者ウィリアム・ナックは3月12日の同誌において「近年の競馬における、1973年のセクレタリアトのそれ以来の衝撃的な事件であった」と評している<ref name="si840312">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1984/03/12/569081/it-sure-wasnt-in-the-bag |title=It Sure Wasn't In The Bag |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author=William Nack |date=1984-03-12 |accessdate=2019-10-31}}</ref>。
 
初の敗戦後、デヴィルズバッグはその後[[アケダクト競馬場]]のゴーサムステークスに登録していたが、馬場状態の悪さを理由にこれを回避<ref name="si840416">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1984/04/16/619792/scorecard |title=SCORECARD |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author= Jerry Kirshenbaum
しかし、5月7日にデヴィルズバッグを担当した[[獣医]]のアレックス・ハーシルは、デヴィルズバッグの右前脚の膝に亀裂が入っていることを発見したと報告し、これによってクラシック出走を目前としながら引退が決定した。
|date=1984-04-16 |accessdate=2019-10-31}}</ref>、その先4月19日の[[キーンランド競馬場]]で行われたフォアランナーパース(ダート7ハロン)に出走してこれを15馬身差で圧勝、依然として力のあるところを見せつけた<ref name="si840507" />。さらに、4月28日のチャーチルダウンズ競馬場のダービートライアルステークス(ダート8ハロン)でも2着馬ビロクシインディアンに2馬身1/4差をつけて快勝している<ref name="si840507" />。
 
しかし、[[ケンタッキーダービー]]を4日後に控えた5月1日にスティーヴンスはダービーの回避を発表<ref name="si840514">{{cite web|url=https://www.si.com/vault/1984/05/14/627333/alls-swale-that-ends-swale |title=All's Swale That Ends Swale |publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]] |author=William Nack |date=1984-05-14 |accessdate=2019-10-31}}</ref>し、[[プリークネスステークス]]より本戦に加わるとした。ダービーには同厩舎の[[スウェイル]]が参戦し、これに勝利している<ref name="si840514" />。その後、デヴィルズバッグの右前脚の膝に亀裂が入っていることが発見され、これによってクラシック出走を目前としながら引退が決定した<ref name="espn050204" />。
 
== 引退後 ==
引退後は予定通りクレイボーンファームでの種牡馬となり、生涯で4045以上のステークス競走勝ち馬を輩出した<ref name="acp" />。コンスタントに良績を残したものの、大きすぎる期待にそぐうほどのものを出すことはなかった<ref group="c" name="k70" />。アメリカ国内における代表産駒として名の挙がる馬に[[デヴィルヒズデュー]]({{lang|en|Devil His Due}} 1989年生、牡馬)がおり、[[サバーバンハンデキャップ]]や[[ガルフストリームパークハンデキャップ]]など[[ハンデキャップ競走]]路線で活躍、G1競走4勝を挙げた。
 
国外での活躍馬の代表として、[[日本]]で競走馬となった[[タイキシャトル]](1994年生、牡馬)がいる。同馬は日本国内で[[マイルチャンピオンシップ]]連覇などの実績を重ね、さらに[[フランス]]に遠征して[[ジャック・ル・マロワ賞]]に優勝、1998年の[[JRA賞|年度代表馬]]に選出された。
 
このほかでは、[[アイルランド]]とアメリカの2か国で競走生活を送ったトワイライトアジェンダ({{lang|en|Twilight Agenda}} 1986年生、牡馬)、[[サンタモニカハンデキャップ]]などに勝ったデヴィルズオーキッド({{lang|en|Devil's Orchid}} 1987年生、牝馬)、[[ガゼルステークス|ガゼルハンデキャップ]]などに優勝したバイザスポー({{lang|en|Buy the Sport}} 2000年生、牝馬)などがいる。
 
後継の種牡馬も多く、その血統は現在も各地に広まっている。前述のデヴィルヒズデューやタイキシャトルのほか、戦績こそG2勝ちどまりながら種牡馬として成功重賞勝ち馬を輩出した[[ディアブロ (競走馬)|ディアブロ]]({{lang|en|Diablo}} 1987年生、牡馬)などもいる。
 
ブルードメアサイアーとしては、2016年の[[菊花賞]]と[[有馬記念]]を制した[[サトノダイヤモンド]](2013年生、牡馬)の母父でありかつ1998年のG1[[モルニ賞]]を制したオーペン({{lang|en|Orpen}} 1994年生、牡馬)がいる。
後継の種牡馬も多く、その血統は現在も各地に広まっている。前述のデヴィルヒズデューやタイキシャトルのほか、戦績こそG2勝ちどまりながらも種牡馬として成功した[[ディアブロ (競走馬)|ディアブロ]]({{lang|en|Diablo}} 1987年生、牡馬)などもいる。
 
2005年2月3日の早朝にデヴィルズバッグは馬房内で右後脚を骨折した、このため[[予後不良 (競馬)|安楽死]]の処置がとられた<ref name="espn050204" />。24歳であった。遺骸は牧場内のマーチモント墓地に埋葬された<ref name="espn050204" /><ref name="claibone">{{cite web|url=https://claibornefarm.com/history/hof/devils-bag/ |title=DEVIL'S BAG |publisher=[[クレイボーンファーム|claibornefarm.com]] |accessdate=2019-10-31}}</ref>
 
== 評価 ==
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;1983年(2歳) 5戦5勝
:カウディンステークス (G2)、[[シャンペンステークス (アメリカ合衆国)|シャンペンステークス]] (G1)、ローレルフューチュリティ (G1)
 
;1984年(3歳) 4戦3勝
:フォアランナーステス、ダービートライアルステークス
 
=== 年度代表馬 ===
* 1983年 - [[エクリプス賞]]最優秀2歳牡馬<ref name="acp" />
 
=== 表彰 ===
* [[ローレルパーク競馬場]]に、同馬の名を冠した「デヴィルズバッグステークス」が創設される<ref name="acp" />
 
== 血統表 ==
{{競走馬血統表
|name = デヴィルズバッグ
|ref1 = <ref name="JBIS_pedigree">{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000337092/pedigree/ |title=血統情報:5代血統表|Devil's Bag(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search) |work=JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2019-10-30}}</ref>, <ref name="netkeiba_ped">{{Cite web|和書|url=https://db.netkeiba.com/horse/ped/000a001a8f/ |title=Devil's Bagの血統表 |work=[[netkeiba.com]] |accessdate=2019-10-30}}</ref>
|inf = ([[ヘイロー系]]/Mahmoud 4x4=12.50%、 [[ブルーラークスパー|Blue Larkspur]] 5x5x5=9.38%、 Firdaussi 母内5x5=6.25%)
|mlin = [[ヘイロー系]]
|ref2 = <ref name="netkeiba_ped" />
|FN = [[12号族|12-c]]
|ref3 = <ref name="JBIS_pedigree" /><ref name="netkeiba_ped" />
|infinbr = ([[ヘイロー系]]/MahmoudMahmoud 4x4=12.50%、 [[ブルーラークスパー|Blue Larkspur]] 5x5x5=9.38%、 Firdaussi 母内5x5=6.25%
|ref4 = <ref name="JBIS_pedigree" /><ref name="netkeiba_ped" />
|f = [[ヘイロー (競走馬)|Halo]]<br />1969 青毛 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]
|m = Ballade<br />1972 黒鹿毛 アメリカ
|ff = [[ヘイルトゥリーズン|Hail to Reason]]<br />1958 青鹿毛 アメリカ
|fm = [[コスマー|Cosmah]]<br />1953 鹿毛 アメリカ
|mf = [[エルバジェ (競走馬)|Herbager]]<br />1956 鹿毛 [[フランス]]
|mm = Miss Swapsco<br />1965 黒鹿毛 アメリカ
|fff = [[ターントゥ|Turn-to]]
|ffm = Nothirdchance
|fmf = [[コズミックボム|Cosmic Bomb]]
|fmm = [[アルマームード|Almahmoud]]
|mff = Vandale
|mfm = Flagette
|mmf = Cohoes
|mmm = [[ソアリング (競走馬)|Soaring]]
|ffff = [[ロイヤルチャージャー|Royal Charger]]
|fffm = Source Sucree
100 ⟶ 110行目:
|mmfm = Belle of Troy
|mmmf = [[スワップス|Swaps]]
|mmmm = Skylarking [[ファミリーナンバー|F-No.]][[12号族|12-c]]
}}
 
107 ⟶ 117行目:
バラッドの代表産駒といえるものがデヴィルズバッグの全姉弟たちであるが、このほかで特筆できる産駒にエンジェリックソング({{lang|en|Angelic Song}} 1988年生、牝馬)がいる。同馬は未出走ながらも、繁殖牝馬として[[ハリウッドターフカップステークス]]勝ち馬のスライゴベイ({{lang|en|Sligo bay}} 1998年生、牡馬)や、日本で[[クイーン賞]]などに勝った[[レディバラード]](1997年生、牝馬)などを出している。
 
== 備考脚注 ==
=== 参考文献 ===
<references />
* {{Cite book|和書
|author = 早野仁
|year = 1997
|title = World Stallions 世界の種牡馬事典
|publisher = 競馬通信社
|isbn = 4-7952-5687-X
}}
* {{Cite book|和書
|author = [[加藤栄 (競馬評論家)|加藤栄]]
|year = 2004
|title = 世界の種牡馬 全訂第3版
|publisher = [[自由国民社]]
|isbn = 9784426749026
}}
{{Reflist|group=c}}
 
=== 3歳注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=000a001a8f|jbis=0000337092|racingpost=}}
* [https://claibornefarm.com/history/hof/devils-bag/ DEVIL'S BAG] - [[クレイボーンファーム]]
 
{{Keiba-stub}}
{{DEFAULTSORT:てういるすはつく}}
[[Category:1981年生 (競走馬)|米てういるすはつく]]
116 ⟶ 152行目:
[[Category:アメリカ合衆国生産の競走馬]]
[[Category:アメリカ合衆国調教の競走馬]]
[[Category:アメリカ合衆国供用種牡馬]]
{{Keiba-stub}}
[[Category:安楽死された競走馬]]
 
[[en:Devil's Bag]]