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'''外務事務次官'''(
==概要==
[[外務省]]における[[事務次官]]ポストであり、事務方において外務本省の最高ポストであ
外務省の[[キャリア
==歴代外務事務次官==
*出身官庁はすべて外務省
{|
▲! 氏名
!
▲! 退任日
▲! 前職
▲! 備考
|-
|[[太田一郎 (外交官)|太田一郎]]
|1949
|1951
|外務次官
|駐[[タイ王国|タイ]]大使
|-
|[[井口貞夫]]
|1951
|1952
|nowrap|[[終戦連絡中央事務局]]総務部長<br>兼政治部長
|駐[[アメリカ合衆国|米]]大使:1954
|-
|[[渋沢信一]]
|1952
|nowrap|1952
|外務省条約局長
|駐タイ大使、海外技術協力事業団理事長
|-
|[[奥村勝蔵]]
|nowrap|1952
|1955
|
|駐[[スイス]]大使
|-
|[[門脇季光]]
|1955
|1957
|
|駐[[ソビエト連邦|ソ連]]大使、駐[[イタリア|伊]]大使、[[ホテルニューオータニ]]社長
|-
|[[大野勝巳]]
|1957
|1958
|駐[[西ドイツ]]大使
|駐[[イギリス|英]]大使、[[帝国ホテル]]社長
|-
|[[山田久就]]
|1958
|駐[[イラン]]大使
|駐ソ連大使、衆議院議員:1967
|-
|[[武内竜次|武内龍次]]
|1963
|駐西ドイツ大使
|駐米大使
|-
|[[島重信]]
|1963
|1964
|
|駐英大使
|-
|[[黄田多喜夫]]
|1964
|1965
|外務審議官
|
|-
|[[下田武三]]
|1965
|1967
|駐ソ連大使
|駐米大使、最高裁判事、[[日本野球機構]]コミッショナー
|-
|[[牛場信彦]]
|1967
|1970
|rowspan="7"|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、{{Nowrap|対外経済担当国務大臣}}:1977
|-
|[[森治樹 (外交官)|森治樹]]
|1970
|1972
|駐英大使
|-
|[[法眼晋作]]
|1972
|1974
▲|初代[[国際協力事業団]]総裁:1974(昭和49)-1980(昭和55)年
|-
|[[東郷文彦]]
|1974
|1975
|駐米大使、終戦時の外務大臣[[東郷茂徳]]の女婿
|-
|[[佐藤正二]]
|1975
|1977
|駐中国大使、[[国際交流基金]]理事長
|-
|[[有田圭輔]]
|1977
|1979
▲|[[国際協力事業団]]総裁:1980(昭和55)-1988(昭和63)年
|-
|[[高島益郎]]
|1979
|1981
▲|駐ソ連大使、最高裁判所判事
|-
|[[須之部量三]]
|1981
|1983
|駐韓大使
|日韓文化交流基金理事長
|-
|[[松永信雄]]
|1983
|1985
|外務審議官(経済担当)
|駐米大使、日本国際問題研究所理事長
|-
|[[柳谷謙介]]
|1985
|1987
|rowspan="5"|外務審議官(政務担当)
|国際協力事業団総裁:1988
|-
|[[村田良平]]
|1987
|1989
|駐米大使、駐独大使
▲|駐米大使、駐独大使<br>[[2010年]](平成22年)10月3日放映の[[NHKスペシャル]]「核を求めた日本」では、[[核拡散防止条約]]調印後の[[1969年]](昭和44年)に、日本の外務省高官が西ドイツ外務省の関係者を箱根に招いて、核保有の可能性を探る会合(当時、分析課長の[[岡崎久彦]]、国際資料室の鈴木孝、調査課長の村田良平と政策企画部長の[[エゴン・バール]]、[[参事官]]のペア・フィッシャーとクラウス・ブレヒ)を持っていた事を証言した。交渉相手の[[エゴン・バール]]も認めた。
|-
|[[栗山尚一]]
|1989
|1991
|駐米大使、[[宮内庁]]参与
|-
|[[小和田恆]]
|1991
|1993
▲|国連大使、[[国際司法裁判所]](ICJ)所長、[[皇后雅子]]の実父
|-
|[[斎藤邦彦 (外務官僚)|斎藤邦彦]]
|1993
|1995
▲|駐米大使、国際協力事業団総裁:2000(平成12)-2003(平成15)年
|-
|[[林貞行]]
|1995
|1997
|外務審議官(経済担当)
|駐英大使、[[東京電力]]監査役
|-
|[[柳井俊二]]
|1997
|1999
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、[[国際海洋法裁判所]]所長
|-
|[[川島裕]]
|1999
|2001
|駐イスラエル大使
|[[宮内庁侍従職|侍従長]]、[[宮内庁式部職|式部官長]]
|-
|[[野上義二]]
|2001
|2002
|外務審議官(経済担当)
|駐英大使、[[内閣官房参与]]、日本国際問題研究所理事長
|-
|[[竹内行夫]]
|2002
|2005
|駐インドネシア大使
|最高裁
|-
|[[谷内正太郎]]
|2005
|2008
|内閣官房副長官補
|[[内閣官房参与]]、 [[内閣官房]][[国家安全保障局 (日本)|国家安全保障局]]長、[[富士通]]取締役、東京電力顧問
|-
|[[薮中三十二]]
|2008
|2010
|rowspan="2"|外務審議官(政務担当)
|[[立命館大学]]特別招聘教授、[[三菱電機]]取締役、[[小松製作所]]取締役
|-
|
|2010
|2012
|駐米大使、[[日本国際問題研究所]]理事長、[[ホテルオークラ]]取締役、[[セーレン]]取締役、[[三菱自動車工業]]取締役
|-
|[[河相周夫]]
|2012
|2013
|内閣官房副長官補
|[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]侍従長、(天皇[[明仁]])侍従長、式部官長、[[伊藤園]]顧問
|-
|[[齋木昭隆]]
|2013
|2016
|
|nowrap|[[中東調査会]]理事長、[[三菱商事]]取締役、伊藤園顧問、[[プリンスホテル]]顧問
|-
|[[杉山晋輔]]
|2016
|2018
|駐米大使
|-
|[[秋葉剛男]]
|2018
|2021
|[[内閣官房]][[国家安全保障局 (日本)|国家安全保障局]]長兼[[内閣顧問#令和の内閣特別顧問|内閣特別顧問]]
|-
|[[森健良]]
|2021
|2023
|
|-
|[[岡野正敬]]
|2023
|
|
|}
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
==参考文献==
*{{Cite book|和書|author=藤澤志穂子|title=出世と肩書|publisher=[[新潮社
*{{Cite book|和書|author=河東哲夫|authorlink=河東哲夫|title=新・外交官の仕事|publisher=[[草思社
*{{Cite book|和書|author=川北隆雄|authorlink=川北隆雄|title=官僚たちの縄張り|publisher=新潮社
*{{Cite book|和書|author=矢田部厚彦|authorlink=矢田部厚彦|title=職業としての外交官|publisher=[[文藝春秋
== 関連項目 ==
*[[次官]]
*[[事務次官等の一覧]]
|