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'''外務事務次官'''(ほうがいむじむじかん)は、[[国家公務員]]における[[官職]]及び[[役職]]の一つである。略して称は'''外務次官'''(がいむじかん)
 
==概要==
[[外務省]]における[[事務次官]]ポストであり、事務方において外務本省の最高ポストであ{{SfnSfnp|河東哲夫|2015|p=67}}。[[在外公館]]に駐在する[[外交官]]のような外交については直接行うことはあまりないものの<ref>{{Cite journal|和書|author=[[斎木昭隆]]|title =拉致「一時帰国」を一蹴した安倍さん|journal=[[WiLL (雑誌)|月刊WiLL ]]|volume=2021年9月号|date= 2021-0907-26|publisher=[[ワック (メディア企業)|ワック]]|page=52|asin=B0986FJYQD}}</ref>、外交政策の企画立案や外務省の事務の統括を行い、様々な報告を受けて外交上の指示を出す立場にある。また外務省に絡む人事に大きな影響力を持ち、人事上負う責任は極めて重要である{{SfnSfnp|矢田部厚彦|19992002|p=210-211}}。
 
外務省の[[キャリア官僚 (国家公務員)|キャリア]]において、外務事務次官就任後に重要大使ポスト(駐米日本大使、駐英日本大使、駐ロ日本大使、駐国連日本大使など)を務めることが多い{{SfnSfnp|川北隆雄|1999|p=122}}{{SfnSfnp|藤澤志穂子|2017|pp=113-116}}。そのため外務事務次官は最終ポストではなく最高幹部ポスト級ではあるものの通過ポストの一つとして認識されている{{SfnSfnp|川北隆雄|1999|p=122}}。
 
==歴代外務事務次官==
*出身官庁はすべて外務省
{| class="wikitable" style="line-height:1.4em; font-size:95%small;"
! 氏名
|- style="white-space:nowrap;"
! 退任日
! 氏名
!退任日
! 前職
! 退任日
! 備考
! 前職
! 備考
|-
|[[太田一郎 (外交官)|太田一郎]]
|1949(昭和24)年6月{{0}}1日
|1951(昭和26){{0}}1月30日
|外務次官
|駐[[タイ王国|タイ]]大使
|-
|[[井口貞夫]]
|1951(昭和26){{0}}1月30日
|1952(昭和27){{0}}5月10日
|nowrap|[[終戦連絡中央事務局]]総務部長<br>兼政治部長
|駐[[アメリカ合衆国|米]]大使:1954(昭和29) - 1956(昭和31)年<br>駐[[中華民国]]大使:1959(昭和34) - 1963(昭和38)
|-
|[[渋沢信一]]
|1952(昭和27){{0}}5月10日
|nowrap|1952(昭和27)年10月17日
|外務省条約局長
|駐タイ大使、海外技術協力事業団理事長
|-
|[[奥村勝蔵]]
|nowrap|1952(昭和27)年10月17日
|1955(昭和30){{0}}3月1日
|
|駐[[スイス]]大使
|-
|[[門脇季光]]
|1955(昭和30){{0}}3月1日
|1957(昭和32){{0}}1月23日
|
|駐[[ソビエト連邦|ソ連]]大使、駐[[イタリア|伊]]大使、[[ホテルニューオータニ]]社長
|-
|[[大野勝巳]]
|1957(昭和32){{0}}1月23日
|1958(昭和33){{0}}3月15日
|駐[[西ドイツ]]大使
|駐[[イギリス|英]]大使、[[帝国ホテル]]社長
|-
|[[山田久就]]
|1958(昭和33){{0}}3月15日
| style="white-space:nowrap;" |1960(昭和35)年12月27日
|駐[[イラン]]大使
|駐ソ連大使、衆議院議員:1967(昭和42) - 1979(昭和54)年・4期<br>[[環境大臣|環境庁長官]]:1977(昭和52) - 1978(昭和53)年を歴任。
|-
|[[武内竜次|武内龍次]]
| style="white-space:nowrap;" |1960(昭和35)年12月27日
|1963(昭和38){{0}}1月18日
|駐西ドイツ大使
|駐米大使
|-
|[[島重信]]
|1963(昭和38){{0}}1月18日
|1964(昭和39){{0}}5月15日
|
|駐英大使
|-
|[[黄田多喜夫]]
|1964(昭和39){{0}}5月15日
|1965(昭和40){{0}}6月29日
|外務審議官
|
|-
|[[下田武三]]
|1965(昭和40){{0}}6月29日
|1967(昭和42){{0}}4月14日
|駐ソ連大使
|駐米大使、最高裁判事、[[日本野球機構]]コミッショナー
|-
|[[牛場信彦]]
|1967(昭和42){{0}}4月14日
|1970(昭和45){{0}}7月10日
|rowspan="7"|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、{{Nowrap|対外経済担当国務大臣}}:1977(昭和52) - 1978(昭和53)
|-
|[[森治樹 (外交官)|森治樹]]
|1970(昭和45){{0}}7月10日
|1972(昭和47){{0}}4月28日
|外務審議官(政務担当)
|駐英大使
|-
|[[法眼晋作]]
|1972(昭和47){{0}}4月28日
|1974(昭和49){{0}}2月19日
|初代[[国際協力事業団]]総裁:1974(昭和49) - 1980(昭和55)
|外務審議官(政務担当)
|初代[[国際協力事業団]]総裁:1974(昭和49)-1980(昭和55)年
|-
|[[東郷文彦]]
|1974(昭和49){{0}}2月19日
|1975(昭和50){{0}}8月15日
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、終戦時の外務大臣[[東郷茂徳]]の女婿
|-
|[[佐藤正二]]
|1975(昭和50){{0}}8月15日
|1977(昭和52){{0}}6月28日
|外務審議官(政務担当)
|駐中国大使、[[国際交流基金]]理事長
|-
|[[有田圭輔]]
|1977(昭和52){{0}}6月28日
|1979(昭和54){{0}}7月10日
|[[国際協力事業団]]総裁:1980(昭和55) - 1988(昭和63)
|外務審議官(政務担当)
|[[国際協力事業団]]総裁:1980(昭和55)-1988(昭和63)年
|-
|[[高島益郎]]
|1979(昭和54){{0}}7月10日
|1981(昭和56){{0}}7月28日
|駐ソ連大使、最高裁判所判事
|外務審議官(政務担当)
|駐ソ連大使、最高裁判所判事
|-
|[[須之部量三]]
|1981(昭和56){{0}}7月28日
|1983(昭和58){{0}}1月28日
|駐韓大使
|日韓文化交流基金理事長
|-
|[[松永信雄]]
|1983(昭和58){{0}}1月28日
|1985(昭和60){{0}}1月29日
|外務審議官(経済担当)
|駐米大使、日本国際問題研究所理事長
|-
|[[柳谷謙介]]
|1985(昭和60){{0}}1月29日
|1987(昭和62){{0}}6月30日
|rowspan="5"|外務審議官(政務担当)
|国際協力事業団総裁:1988(昭和55) - 1994(平成6)
|-
|[[村田良平]]
|1987(昭和62){{0}}7月1日
|1989(平成元){{0}}8月18日
|駐米大使、駐独大使<br>{{Efn2|[[2010年]](([[平成]]22年)10)10月3日放映の[[NHKスペシャル]]「核を求めた日本」では、[[核拡散防止条約]]調印後の[[1969年]](([[昭和]]44年)に、日本の外務省高官が西ドイツ外務省の関係者を箱根に招いて、核保有の可能性を探る会合(当時、(メンバーは分析課長の[[岡崎久彦]]、国際資料室の鈴木孝、調査課長の村田良平と政策企画部長の[[エゴン・バール]]、[[参事官]]のペア・フィッシャーとクラウス・ブレヒ)〈肩書きはいずれも当時のもの〉)を持っていたことを証言した。交渉相手の[[エゴン・バール]]も認めた。}}
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、駐独大使<br>[[2010年]](平成22年)10月3日放映の[[NHKスペシャル]]「核を求めた日本」では、[[核拡散防止条約]]調印後の[[1969年]](昭和44年)に、日本の外務省高官が西ドイツ外務省の関係者を箱根に招いて、核保有の可能性を探る会合(当時、分析課長の[[岡崎久彦]]、国際資料室の鈴木孝、調査課長の村田良平と政策企画部長の[[エゴン・バール]]、[[参事官]]のペア・フィッシャーとクラウス・ブレヒ)を持っていた事を証言した。交渉相手の[[エゴン・バール]]も認めた。
|-
|[[栗山尚一]]
|1989(平成元){{0}}8月18日
|1991(平成{{0}}3){{0}}8月2日
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、[[宮内庁]]参与
|-
|[[小和田恆]]
|1991(平成{{0}}3){{0}}8月2日
|1993(平成{{0}}5){{0}}8月1日
|国連大使、[[国際司法裁判所]](ICJ) (ICJ) 所長、[[皇后雅子]]の実父
|外務審議官(政務担当)
|国連大使、[[国際司法裁判所]](ICJ)所長、[[皇后雅子]]の実父
|-
|[[斎藤邦彦 (外務官僚)|斎藤邦彦]]
|1993(平成{{0}}5){{0}}8月1日
|1995(平成{{0}}7){{0}}8月4日
|駐米大使、国際協力事業団総裁:2000(平成12) - 2003(平成15)
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、国際協力事業団総裁:2000(平成12)-2003(平成15)年
|-
|[[林貞行]]
|1995(平成{{0}}7){{0}}8月4日
|1997(平成{{0}}9){{0}}7月1日
|外務審議官(経済担当)
|駐英大使、[[東京電力]]監査役
|-
|[[柳井俊二]]
|1997(平成{{0}}9){{0}}7月1日
|1999(平成11){{0}}8月13日
|外務審議官(政務担当)
|駐米大使、[[国際海洋法裁判所]]所長
|-
|[[川島裕]]
|1999(平成11){{0}}8月13日
|2001(平成13){{0}}8月10日
|駐イスラエル大使
|[[宮内庁侍従職|侍従長]]、[[宮内庁式部職|式部官長]]
|-
|[[野上義二]]
|2001(平成13){{0}}8月10日
|2002(平成14){{0}}2月19日
|外務審議官(経済担当)
|駐英大使、[[内閣官房参与]]、日本国際問題研究所理事長
|-
|[[竹内行夫]]
|2002(平成14){{0}}2月19日
|2005(平成17){{0}}1月4日
|駐インドネシア大使
|最高裁判所判事
|-
|[[谷内正太郎]]
|2005(平成17){{0}}1月}4日
|2008(平成20){{0}}1月17日
|内閣官房副長官補
|[[内閣官房参与]]、 [[内閣官房]][[国家安全保障局 (日本)|国家安全保障局]]長、[[富士通]]取締役、東京電力顧問
|-
|[[薮中三十二]]
|2008(平成20){{0}}1月17日
|2010(平成22){{0}}8月20日
|rowspan="2"|外務審議官(政務担当)
|[[立命館大学]]特別招聘教授、[[三菱電機]]取締役、[[小松製作所]]取締役
|-
| style="white-space:nowrap;" |[[佐々江賢一郎]]
|2010(平成22){{0}}8月20日
|2012(平成24){{0}}9月11日
| style="white-space:nowrap;" |外務審議官(政務担当)
|駐米大使、[[日本国際問題研究所]]理事長、[[ホテルオークラ]]取締役、[[セーレン]]取締役、[[三菱自動車工業]]取締役
|-
|[[河相周夫]]
|2012(平成24){{0}}9月11日
|2013(平成25){{0}}6月28日
|内閣官房副長官補
|[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]侍従長、(天皇[[明仁]])侍従長、式部官長、[[伊藤園]]顧問
|-
|[[齋木昭隆]]
|2013(平成25){{0}}6月28日
|2016(平成28){{0}}6月14日
| stylerowspan="white-space:nowrap;4" |外務審議官(政務担当)
|nowrap|[[中東調査会]]理事長、[[三菱商事]]取締役、伊藤園顧問、[[プリンスホテル]]顧問
|-
|[[杉山晋輔]]
|2016(平成28){{0}}6月14日
|2018(平成30){{0}}1月19日
| style="white-space:nowrap;" |外務審議官(政務担当)
|駐米大使
|-
|[[秋葉剛男]]
|2018(平成30){{0}}1月19日
|2021(令和3){{0}}6月22日
| style="white-space:nowrap;" |外務審議官(政務担当)
|[[内閣官房]][[国家安全保障局 (日本)|国家安全保障局]]長兼[[内閣顧問#令和の内閣特別顧問|内閣特別顧問]]
|-
|[[森健良]]
|2021(令和3){{0}}6月22日
|2023(令和5){{0}}8月10日
| style="white-space:nowrap;" |外務審議官(政務担当)
|
|-
|[[岡野正敬]]
|2023(令和5){{0}}8月10日
|
| style="white-space:nowrap;" |内閣官房副長官補
|
|}
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
==参考文献==
*{{Cite book|和書|author=藤澤志穂子|title=出世と肩書|publisher=[[新潮社]]|series=[[新潮新書]]|yeardate=2017-03-16|pageid={{全国書誌番号|22871525}}|isbn= 9784106107085978-4-10-610708-5|ncid=BB23302735|oclc=983825593|asin=4106107082|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=河東哲夫|authorlink=河東哲夫|title=新・外交官の仕事|publisher=[[草思社]]|series=草思社文庫|yeardate=2015-02-03|pageid={{全国書誌番号|22532652}}|isbn= 9784794221070978-4-7942-2107-0|ncid=BB18058238|oclc=904594320|asin=479422107X|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=川北隆雄|authorlink=川北隆雄|title=官僚たちの縄張り|publisher=新潮社|series=[[新潮]]|yeardate=1999-02-01|pageid={{全国書誌番号|99062075}}|isbn=97841060055894-10-600558-1|ncid=BA40166625|oclc=675886092|asin=4106005581|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=矢田部厚彦|authorlink=矢田部厚彦|title=職業としての外交官|publisher=[[文藝春秋]]|series=[[文春文庫)新書]]|yeardate=19992002-03-01|pageid={{全国書誌番号|20254364}}|isbn=9784166602353 4-16-660235-7|ncid=BA5612042X|oclc=674942586|asin=4166602357|ref=harv}}
 
== 関連項目 ==
*[[事務次官]]
*[[次官]]
*[[事務次官等の一覧]]