「辰馬本家酒造」の版間の差分
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| 代表者 = 辰馬清(代表取締役社長 2020年4月-)
| 資本金 =
| 売上高 = 71.05億円([[2014年]]3月)<ref name=ゆめ>[https://www.yume-hyogo.com/wp-content/uploads/2017/05/gb-hanshin4b_5.pdf 辰馬本家酒造(株)] 2024年5月閲覧</ref><br>68.72億円([[2015年]]3月)<ref name=ゆめ/><br>63.9億円([[2016年]]3月)<ref name=ゆめ/><br>60億円([[2017年]]3月期)<br>45.7億円([[2022年]]3月)<ref name=ナビ>[https://job.mynavi.jp/25/pc/search/corp231186/outline.html マイナビ2025 辰馬本家酒造(株)] 2024年5月閲覧</ref>
| 総資産 =
| 従業員数 =
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現在は[[白鹿グループ]]に属し、酒造業を営んでいる。この[[白鹿グループ]]の中には関西の有名進学校である、[[甲陽学院中学校・高等学校]]もあり、[[灘]]の嘉納治郎右衛門([[菊正宗酒造]])、嘉納治兵衛([[白鶴酒造]])、山邑太左衛門([[櫻正宗]])によって設立された[[灘中学校・高等学校]]と並び、酒造メーカーが設立した学校としても著名である。
2016年4月には、江戸・明治期に築造された白壁造りの土蔵を活用した蔵元直営の「[http://classics.hakushika.co.jp/ ショップ&レストラン 白鹿クラシックス]」を建て替え、“木漏れ日のある酒蔵の店”をコンセプトに全面リニューアルオープンした。▼
[[みどり会]]の会員企業であり[[三和グループ]]に属している<ref name="みどり会">
[[茨城県]][[石岡市]]にある[[石岡酒造]]でも『白鹿』の銘柄で日本酒を製造・販売しているが、石岡酒造との資本・業務提携関係は無い。(辰馬本家酒造の白鹿は縦書き、石岡酒造の白鹿は横書きで区別されている)▼
=== 銘酒「白鹿」の由来 ===
▲2016年4月には、江戸・明治期に築造された白壁造りの土蔵を活用した蔵元直営の「[http://classics.hakushika.co.jp/ ショップ&レストラン 白鹿クラシックス]」を建て替え、“木漏れ日のある酒蔵の店”をコンセプトに全面リニューアルオープンした。
『白鹿』の名前は、長生を祈る中国の[[神仙思想]]に由来する。唐の時代、[[玄宗皇帝]]の宮中に一頭の鹿が迷いこみ、仙人の王旻(おうびん)がこれを千年生きた白鹿と看破した。鹿の角の生え際には「宜春苑中之白鹿」と刻んだ銅牌があり、唐の時代から千年遡った漢の武帝の時代のものとわかった。皇帝はこれを瑞祥と歓んで慶宴を開き、白鹿を愛養したと伝わる。その後にこの話を詠った瞿存斎(くぞんさい)の詩には「長生自得千年寿」の一節がある。「白鹿」の名は、縁起のよいこの故事にならい名付けられた<ref>{{Cite web |url=https://www.hakushika.co.jp/company/history.php |title=白鹿の歩み 銘酒「白鹿」の由来 |access-date=2024-01-04 |publisher=辰馬本家酒造}}</ref>。
▲なお、[[茨城県]][[石岡市]]にある[[石岡酒造]]でも『白鹿』の銘柄で日本酒を製造・販売しているが、石岡酒造との資本・業務提携関係は無い。
▲[[みどり会]]の会員企業であり[[三和グループ]]に属している<ref>[http://www.midorikai.co.jp/member.html メンバー会社一覧 - みどり会]</ref>。
== 歴史 ==
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* [[1909年]] - 汽船部門が「辰馬汽船合資会社」として独立し、[[1916年]]に「辰馬汽船株式会社」に改組(のち吸収合併を繰り返し[[商船三井]]に発展)<ref name=yamagata/>
* [[1912年]] - [[大連]]に合資会社辰馬商会設立<ref name=ohshima/>
* [[1917年]] - 辰屋の酒造部が一部を除いて法人化され、辰馬本家酒造株式会社となる。13代当主が相談役に、実弟の[[浅尾豊一]]が社長に、常務取締役に辰馬勇治郎が就く<ref name=ohshima/>。
* [[1919年]] - 火災海上保険部門が[[東京海上日動火災保険|東京海上火災保険]]との共同出資で「辰馬海上火災保険」として独立(その後吸収合併を経て[[損害保険ジャパン|損害保険ジャパン日本興亜]]に発展)<ref name=yamagata/>。夙川土地株式会社設立し、「花の夙川園」運営や住宅地の造成を行なう<ref name=ohshima/>。
* [[1920年]] - 高級酒「黒松白鹿」を発売。学校法人辰馬育英会を創設し、[[甲陽学院中学校・高等学校]]、松秀幼稚園が発足。
* [[1924年]] - 酒造経営のすべてが辰馬本家酒造株式会社の経営となる<ref name=ohshima/>
* 1924年 - 有価証券、船舶不動産の取得および利用ならびに各種事業に対する投資を目的とした持株会社「辰馬合資会社」設立<ref name=ohshima/>。
* [[1940年]] - [[甲陽高等商業学校]]設立<ref name=ohshima/>。
* [[1943年]] - 分家の南辰馬家の事業を合併。
* [[1971年]] - 学校法人千歳学園松秀幼稚園開園。
* [[1981年]] - 辰馬章夫社長就任。
* [[1983年]] - 創業320年記念に[[白鹿記念酒造博物館]]を開設。
* [[1992年]] - 甲子園都ホテル(現・ホテルヒューイット甲子園)開業。
* [[1993年]] - 「六光蔵」竣工。
* [[2010年]] - 旧「白鹿館」瓶詰工場閉鎖。新工場「白鹿館」竣工。
* [[2011年]] - 社会福祉法人清松学園かえで保育園開園。
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[[File:Tatsuuma Kichizaemon.jpg|thumb|13代辰馬吉左衛門]]
当主は代々「辰屋吉左衛門(のち辰馬吉左衛門)」を名乗る。7代辰馬吉左衛門の時代(18世紀末)に酒業栄え、その後西宮有数の酒造家に発展。[[安政]]2年([[1855年]])に10代辰馬吉左衛門が急逝し、11代辰馬吉左衛門が家督を継ぐも若年のため、10代吉左衛門未亡人の辰馬きよ(1809 - 1901)が、番頭の辰栄之介とともに切り盛りする<ref name=ozaki>{{cite book|和書|url=http://library.otemae.ac.jp/document/publication/extension2011.pdf |format=pdf|chapter=歴史にみる西宮・阪神―近代黎明期をめぐって|author=尾﨑耕司|title=『歴史と文化の旅』|series=大手前大学公開講座 (平成23年度)|page=70}}</ref>。この時期に酒業ますます栄え、明治初頭に4000石だった生産高を20年ほどで約4倍に伸ばし、江戸積[[樽廻船]]の運航、[[宮水]]の販売など、経営も多角化する<ref name=ozaki/>。
この時期分家も進み、北辰馬家、南辰馬家、松辰馬家、柳辰馬家などが生まれた。北辰馬家は、10代辰馬吉左衛門の三女の婿である[[白鷹 (企業)#創業者|辰馬悦蔵]]が興し、[[白鷹 (企業)]]として存続する<ref name=ozaki/>。南辰馬家は10代吉左衛門の四男である[[辰馬喜十郎]](日本摂酒株式会社社長)が興し(1943年に本家と合併)、洋館「[[旧辰馬喜十郎住宅]]」で知られる<ref name=ozaki/><ref>{{
11代辰馬吉左衛門には子がなく、妻の辰馬たきが12代当主を務めた<ref name=ohshima>{{cite journal|和書|url=http://www.kigyoka-forum.jp/JES/JES07/JES07_02_Oshima.pdf |format=pdf|title=灘酒造家による事業の多角化と資産管理-辰馬本家を事例として|author=大島 朋剛|journal=企業家研究|number=第7号|date=2010-10}}</ref>。[[辰馬吉左衛門 (13代)|13代辰馬吉左衛門]](1868 - 1943)は分家の北辰馬家の辰馬悦蔵の長男で、明治16年([[1883年]])16歳で辰馬本家の養子となり、1897年に家督を相続、酒造経営の近代化と合理化に努めた<ref name=kichi13>[https://kotobank.jp/word/%E8%BE%B0%E9%A6%AC%E5%90%89%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%2813%E4%BB%A3%29-1135186 辰馬吉左衛門(13代)(読み)たつうま・きちざえもん]『コトバンク』</ref>。汽船部を設立し、[[第1次世界大戦]]により好景気となり、教育事業も始めた<ref name=jokyo/>。妻は[[松平直致]]の四女。13代の姪の婿である[[山県勝見]]は、辰馬海上火災保険社長、辰馬汽船社長を経て参議院議員となり、[[吉田内閣]]で[[国務大臣]]、[[厚生大臣]]を歴任した。
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戦後の社長を務めた辰馬力(1896 - 1981)は南辰馬家初代の養子・辰馬利一(恵美酒銀行頭取、日本摂酒社長)と妻のあい([[児島惟謙]]の娘)の長男で、戦前より社長を務めていた実家の日本摂酒が辰馬本家と合併したことにより社長となった<ref>[http://kingendaikeizu.net/seizi/akagi.htm 赤城徳彦系図]近現代・系図ワールド</ref><ref>{{harvnb|大正人名辞典|1917|page=641}}</ref>。妻は[[若尾璋八]]、毛利忠三([[毛利元亮]]の子)の娘、弟・俊夫の岳父に[[平賀譲]]がいる。
その後継社長で14代当主の辰馬吉男(1906 - ?)は13代辰馬吉左衛門の長男。[[山口吉郎兵衛]]の長女を妻とし、15代当主となる長男・辰馬章夫(1941 -)をもうける。章夫は[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶応義塾大学法学部]]法律学科卒業後、[[朝日麦酒]]を経て昭和43年(1968年)に辰馬本家酒造に入社し、昭和56年(1981年)代表取締役社長に就任、全国各地に「白鹿会」結成し、白鹿記念酒造博物館を開館するなどし、平成18年(2006年)から代表取締役会長、平成25年(2013年)からは取締役相談役を務める<ref name=jokyo>{{cite journal|和書|author=吉村博臣|title=辰馬本家酒造|journal=日本釀造協會雜誌|year= 1987|volume= 82|number= 4|page=282|doi=10.6013/jbrewsocjapan1915.82.282|publisher=日本醸造協会}}</ref><ref>[https://www.nishi.or.jp/shisei/shinogaiyo/shiminhyosho/bunka/h25-29/h27/h27tatsuuma.html 平成27年度西宮市民文化賞受賞者紹介(辰馬章夫さん)]西宮市役所、2015年12月28日</ref>。妻は[[野田醤油]](現・キッコーマン)の[[高梨兵左衛門]](小一郎)の娘、辰馬本家酒造現会長の辰馬健仁は章夫夫妻の次男。四男の辰馬伸介は、ホテルヒューイット甲子園を経営するロテルド甲子園株式会社代表取締役<ref>{{cite journal|和書|url=http://sci.hitsdb.net/pdf_lib/articles/121102-107-119.pdf |format=pdf|work=リーダー達の決断|title= 創業350年の生活創造型企業が地域活性化のために下した決断生活創造型企業としての思いを共有できるパートナーと手を組み、地域の活性化に取り組む|author=岩本大輝|journal=Hoteres|date= 2012.11.21| page=110}}</ref><ref>[https://www.hotel-hewitt.com/recruit/ 企業情報] ホテルヒューイット甲子園</ref>。14代目吉男の次女は[[星島二郎]]の甥・星島和一郎に嫁いだ。平成18年([[2006年]])、辰馬章夫社長が代表取締役会長に就任し、新代表取締役社長に辰馬健仁が就任。令和2年([[2020年]])、会長兼社長の辰馬健仁が代表権のない会長になり、辰馬清が社長に昇格した。
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