== 歴史的概念 ==
=== 古代ギリシア ===
[[古代ギリシア]]時代の[[アレクサンドリアのフィロン]]が著した『世界の創造』の中には、[[エレジー]]の形式で書かれた[[ソロン]]の子供ども観を載せた部分がある。これは、人の一生を7年刻みの段階で表した。[[男性|男子]]の場合、身体が成熟する時期は第4の7年(22-28歳)、精神が成熟する時期は第6の7年(31-42歳)であり、これに満たない年齢は成年とはみなしていない。フィロンは、同じ7年刻みによる[[ヒポクラテス]]の見解も採録しており、7歳以下は小児 ({{lang|grc|παιδιον}})、14歳までは子供ども ({{lang|grc|παις}})、21歳までは少年 ({{lang|grc|μειρακιον}})、28歳までを若者 ({{lang|grc|νεανισκος}}) と呼んだ<ref name="Kakiki">{{cite journal|和書|author=柿本昭人 |date=2011-03 |url=https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012374 |title=大人/子供 : 古代ギリシアからの眺め |journal=同志社政策研究 |ISSN=1881-8625 |publisher=同志社大学政策学会 |volume=5 |pages=20-38 |doi=10.14988/pa.2017.0000012374 |CRID=1390290699890274432 |accessdate=2023-08-29}}</ref>。ただし、当時の子供を指す用語は、{{lang|grc|παις}} と {{lang|grc|τεκνον}} の2つが主流であったと考えられる。{{lang|grc|παις}} は子供ども以外にも「奴隷」や「同性愛者たち」など他の概念も指す広い用語で、その意味は[[インド・ヨーロッパ語族|インド・ヨーロッパ語]]系の「小さい」「重要ではない」が語源である。{{lang|grc|τεκνον}} は「生む」の {{lang|grc|τικτω}} から派生した単語である。例外はあるが、{{lang|grc|παις}} は子供どもと父親の、{{lang|grc|τεκνον}} は子供と母親の関係を元に作られた言葉と考えられる<ref name=Kakiki /><ref> Mark Golden, Children and Childhood in Classical Athens, Johns Hopkins Univ. Pr., 1993 (1990), p. 12-13.</ref>。そして概念的には、男子の場合は「デモス」([[人民]])登録以前、女子の場合は結婚前を「子供ども」と考えることが一般的だった<ref name=Kakiki />。
[[プラトン]]や[[アリストテレス]]は、この7年段階での成熟を基礎に子供どもが大人になる時期を考察した。プラトンの『法律』や『政治学』では、結婚可能となる年齢を男性では30-35歳、女性は16-20歳に法律で定めるべきと論じられている。その根拠には、それぞれの性においてこの年齢時から生殖能力が充実するためであり、また男子の場合は父親が生殖限界となる70歳を迎え、[[相続]]に適するタイミングになる点を挙げた<ref name=Kakiki />。アリストテレスは『[[動物誌 (アリストテレス)|動物誌]]』にて、人間の成長を7年刻みの説で人間の成長段階を表し、大人とは[[アテネ]]の[[五百人評議会]] ({{lang|grc|βουλη}}) に名を連ねて公職に就く資格を持つ者を指し、それ以前の段階では「想定上の」または「見習い」市民に過ぎないと述べた。そして『[[ニコマコス倫理学]]』の中で、子供と動物は自発的行動を取る事は可能だが節度に欠き、選択を行使することはできず、[[欲望]]や激情に左右される。そのため理性を持つ者に[[監視]]されなければならないと言った<ref name=Kakiki />。
[[File:Jean-Jacques Rousseau (painted portrait).jpg|200px|thumb|「子供の発見者」とも評される<ref name=Ichi64 />[[ジャン=ジャック・ルソー]]。]]
=== 子供どもという概念の形成 ===
[[フランス]]の[[歴史学|歴史学者]][[フィリップ・アリエス]]が著書『[[〈子供〉の誕生]]』で述べたところによると、[[ヨーロッパ]]では[[中世]]に至るまで、「子供ども」という概念は存在しなかったという。[[幼児死亡率|年少時の死亡率]]が高い社会だったので、生まれ出ただけでは家族の一員とみなされなかった。やがてある程度の成長を遂げると、今度は[[徒弟]]や[[奉公]]など[[労働]]に勤しむようになり、「小さな大人」として扱われる。そのため、[[服装]]や[[娯楽]]等において成長した大人と区別される事は無く、[[子供の性|性]][[道徳]]に関しても何らかの[[配慮]]がされることも無かった<ref name="Watanabe">{{Cite web|和書|title=バダンテール『母性という神話』コメント アリエス『<子供>の誕生‐アンシャンレジーム期の子供と家族』|url=http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f3/bosei-watanabe.htm|author=渡辺朋昭|publisher=[[慶応義塾大学]]湘南藤沢キャンパス 小熊英二研究会|accessdate=2012-03-03}}</ref>。ただし、13世紀[[イギリス]]では、[[宗教]]および[[法律]]の観点から、大人とは異なる子供どもの概念があったという主張もある<ref name=Tsunoda />。
[[ジャン=ジャック・ルソー]]は1762年の著書『エミール』で展開した消極教育論において、子供どもを「小さな大人」と扱う事の非を説いた。彼は、誕生してから12歳になるまでの期間は、子供時代という<ref name="Fushi">{{Cite web|和書|title=ルソーの教育論 <アクセスしようとしているサイトを見つけられません>|url=http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class04/rousseau.htm|author=伏木久始|publisher=[[信州大学]]教育学部|accessdate=2012-03-03}}{{404|date=2023-08}}</ref>[[能力]]と[[器官]]が内部的に発展する段階であると述べ<ref name="Kimura">{{cite journal|和書|author=木村吉彦|title=ルソーの「消極教育」論について : 教育方法としての「自由」の適用原理|url=https://hdl.handle.net/10513/1111|journal=上越教育大学研究紀要|volume=12|issue=1|pages=285-298|accessdate=2020-04-22|naid=110007651739|publisher=[[上越教育大学]]}}。</ref>、多く施される発展した能力や器官を利用する方法を教える教育(人間の教育)は逆効果であり<ref name=Fushi />、能力と器官を伸ばし完成させる教育(自然の教育)<ref name=Fushi />を行わなければならないと主張した<ref name=Kimura />。
成年ではない者としての子供という概念は、中世において男子に限り発生したが、[[女子]]については形成されなかった<ref name=Tsunoda />。幼児と成年の間としての子供ども観は、[[近世]]になってから確立された<ref name=Tsunoda />。16-17世紀頃から現れる[[家族]]意識の中で、家庭内などにおいて幼児は、その愛らしさから可愛がられる対象という視線が醸成された。また社会的にも、[[聖職者]]や[[モラリスト]]らによる[[理性的]]な[[習俗]]を実現させようとするグループから、子供どもに対する配慮が生まれた。これらが18世紀頃には結びついて、社会は子供どもを「小さな大人」という見方から、[[保護|庇護]]し、[[愛情]]を傾け、[[学校]]による<ref name=Tsunoda />[[教育]]を施してやらなければならない存在という風に認識が形成された<ref name=Watanabe />。
この変貌は[[絵画]]の変遷を追うことで確認できる。16世紀、子供どもたちのイメージにはっきりした幼い見かけが現れ始める。17世紀後半からは、遊戯を愉しむ姿が描かれるようになる。[[玩具]]や[[児童文学]]が発展を見せたのも、この頃である<ref>{{cite web|title=To what extent were there important changes in the way that children were brought up in this period?|url=http://www.elizabethi.org/uk/essays/childhood.htm|author=Heather Thomas|publisher=elizabethi.org|language=英語|accessdate=2012-03-03}}</ref>。
=== 家族の意味と教育の変化 ===
アリエスは同書にて、子供どもに教育を施す主体の変化にも触れている。中世まで、子供どもは家庭から出されるか、家庭内でも労働を課せられ、見習い修行の中で一人前に成長した。それは、[[家族]]が[[共同体]]の一部という性格を強く持っていたためであり、実の[[親子関係]]を醸成するような環境ではなかった<ref name=Watanabe />。これが近世になると、仕事・社交・私生活の分離が進み、ひとつの[[家屋]]の中で家族のみが生活をするようになる。ここでは共同体よりも家族という単位が重視され、その中で子供どもが占める位置が高まりを見せた。また、裕福な階層の子弟のために[[学校]]が作られるとともに、「教師」と「生徒」という区分がそのまま「大人」と「子供ども」の分離となった。学校は社会生活に必要な教育を施す通過点となり、学校を出れば「大人」、それまでは「子供ども」という区切りをつけるものになった<ref name=Watanabe />。
=== 日本 ===
日本では、子供どもは親の所有物という感覚が強かった。子供どもは家を継ぐことが当たり前であり、親に絶対服従しなければならなかった。農村など貧しい家では、貧困に見舞われると[[身売り]]や奉公に出されたり、[[捨て子]]や[[子殺し|間引き]]が行われたりした<ref name="Sugi63">[[子供ども#杉本ら2004|杉本ら (2004)、pp.63-64、第5章 児童問題と社会福祉、第1節 児童福祉の理念と意義、(1)児童観の変遷]]</ref>。
しかし、[[身売り]]や奉公、[[捨て子]]や[[子殺し|間引き]]のような抑圧は、西欧の奴隷貿易のような1000万人規模までに発展しなかったため、子どもの権利を芽生えさせるまでには至らなかった。
=== 子供どもに対する社会的態度 ===
子供どもに向けられる社会的態度は、世界中の文化圏によって違いがあり、また時代によっても異なる。1988年に[[ヨーロッパ]]諸国を対象に行われた調査では、[[イタリア]]は子供ども中心の傾向が強く[[オランダ]]では弱い。[[オーストリア]]、[[イギリス]]、[[アイルランド]]、[[西ドイツ]]など他の国々は中間的な位置を占めた<ref>{{Cite journal |author=Jones, Rachel K; Brayfield, April |year=1997 |title=Life's greatest joy?: European attitudes toward the centrality of children |url=https://doi.org/10.1093/sf/75.4.1239 |journal=Social Forces |volume=75 |issue=4 |pages=1239-1269 |publisher=The University of North Carolina Press |doi=10.1093/sf/75.4.1239 |language=en}}</ref>。
== 子供の社会化 ==
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