「フォークロック」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== アメリカ合衆国 ===
1964年6月9日の19時から翌10日の1時30分にかけ、[[ボブ・ディラン]]はニューヨークのコロムビア・スタジオで14曲をレコーディングした<ref name="Still-On-The-Road-1964">{{cite web |author=[[:en:Olof Björner|Olof Björner]] |url=https://www.bjorner.com/DSN00630%20(64).htm | title=Still On The Road 1964 Concerts and Recording Sessions | publisher=Still On The Road | date= | accessdate=2024-9-7 }}</ref>。同年8月8日、そのうちの11曲を収録した4作目のアルバム『[[アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン]]』が発売された。収録から漏れたのは「デニス」、「ママ、ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」、そして[[ランブリン・ジャック・エリオット]]とデュエットした「[[ミスター・タンブリン・マン]]」<ref>{{cite web |author=Bob Dylan | url=https://www.youtube.com/watch?v=n-jO7D-P9WE | title=Mr. Tambourine Man (Alternate Take) | publisher=YouTube | date=2015-07-27 | accessdate=2024-09-24 }}</ref>であった。同年8月、[[ロジャー・マッギン]]、[[ジーン・クラーク]]、[[デヴィッド・クロスビー]]、マイケル・クラークから成るグループ「ジェット・セット」のマネージャーのジム・ディックソンはディランの音楽出版社から「ミスター・タンブリン・マン」のアセテート盤を入手した{{Sfn|Heylin|2009|pp=181-186}}{{Sfn|Hjort|2008|pp=14-21}}。バンドのメンバーは当初、同曲にあまり感銘を受けなかったが、[[ロジャー・マッギン]]は拍子を変え、[[ビートルズ]]のようなサウンドを目指し、メンバーとともにリハーサルを開始した<ref name=professor>{{cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=of7GzEuHc2w|title= Roger McGuinn interview in LEGENDARY BAND TELLS Why Bob Dylan GAVE His Only #1 SONG to Them in the 60s|date= June 11, 2021|publisher= Professor of Rock|access-date=June 22, 2021}}</ref>{{Sfn|Creswell|2006|p=59}}。ちょうど8月11日に米国でも『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!]]』が公開され<ref name="IMDb-0058182">{{IMDb title|0058182|A Hard Day's Night}}</ref>、メンバーはたちまち映画の4人にとりこになった。マッギンは[[リッケンバッカー]]の12弦ギター、クラークは[[ラディック・ムッサー|ラディック]]のドラム・キットを揃えた{{Sfn|Hjort|2008|pp=19-20}}<ref>{{cite web|last=McGuinn|first=Roger|author-link=Roger McGuinn|title=Byrds FAQ: What instruments did they play?|publisher=Roger McGuinn Home Page|url=http://www.ibiblio.org/jimmy/mcguinn/ByrdsFAQ.html#inst|access-date=May 26, 2010|archive-date=May 16, 2010|archive-url=https://web.archive.org/web/20100516145636/http://www.ibiblio.org/jimmy/mcguinn/ByrdsFAQ.html#inst|url-status=live}}</ref>。10月、[[クリス・ヒルマン]]がベーシストとして加わり<ref>{{cite web|last=McGuinn|first=Roger|title=Byrds FAQ: How and When did they get together?|publisher=Roger McGuinn Home Page|url=http://www.ibiblio.org/jimmy/mcguinn/ByrdsFAQ.html#HowDid|access-date=May 26, 2010|archive-date=May 16, 2010|archive-url=https://web.archive.org/web/20100516145636/http://www.ibiblio.org/jimmy/mcguinn/ByrdsFAQ.html#HowDid|url-status=live}}</ref>、ジェット・セットはバンド名を[[バーズ (アメリカのバンド)|バーズ]]に変えた。
 
1965年1月13日、14日、15日の3日間、ディランはエレクトリック・セットの楽曲と従来のスタイルの楽曲の両方をレコーディングした。その中には「ミスター・タンブリン・マン」の再録音も含まれていた<ref name="Still-On-The-Road-1965">{{cite web |author=[[:en:Olof Björner|Olof Björner]] |url=https://www.bjorner.com/DSN00785%20(65).htm | title=Still On The Road 1965 Concerts and Recording Sessions | publisher=Still On The Road | date= | accessdate=2024-9-7 }}</ref>。それから5日後の1月20日、バーズはロサンゼルスのコロムビア・スタジオで、テリー・メルチャーのプロデュースの下、「ミスター・タンブリン・マン」のレコーディングに取り掛かった。メルチャーの判断により、演奏はマッギンのみが12弦ギターで参加し、ラリー・ネクテル(ベース)や[[ハル・ブレイン]](ドラム)らによってベーシック・トラックが録られた。
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=== 西欧、南欧、北欧、東欧 ===
スウェーデンではガルバナ、ジェゼベル、ビョルン&ベニーなどが活躍した<ref>[https://bandcamp.com/tag/swedish-folk-rock Swedish folk rock] 2023年11月1日閲覧</ref>。[[フランス]]のフォークロックではTri Yannらが活動した。[[アイルランド]]では、[[ヴァン・モリソン]]{{Efn|ゼムを脱退後に発表した「[[ブラウン・アイド・ガール]]」がヒットした。}}とゼム{{Efn|代表曲は「グローリア」。}}が活躍した。後年、[[ザ・ポーグス]]らがアイルランド民謡と[[パンク・ロック]]を結び合わせた。
 
[[ドイツ]]のフォーク・ロックには、オライリー・バンド、ダルタニアンらがいた。[[ノルウェー]]では、[[ゴーテ]]が、ノルウェーの[[口承文学|伝承文学]]のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合が試みられた。東欧の[[ルーマニア]]では、[[1962年]]に結成された[[トランシルヴァニア・フェニックス]]や、[[スピタルル・デ・ウルジェンツァ]]が活動した。また、ウクライナの西方に位置する[[モルドバ]]の[[ズドッブ・シ・ズドッブ]]は、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表した。