「1983年イギリス総選挙」の版間の差分
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[[image:Houses.of.parliament.overall.arp.jpg|thumb|250px|イギリス議会議事堂([[ビッグベン]])]]
'''1983年イギリス総選挙'''(1983ねん いぎりす そうせんきょ、英語名
==選挙データ==
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前回の総選挙で政権の座についた保守党が、前回総選挙より労働党に圧倒的大差をつけて勝利し、引き続き政権の座を担うこととなった。一方、前回79年の総選挙で政権の座から転落した労働党は、[[イギリス労働党の派閥|党内左右両派の路線対立]]が激化し、左派系優位の状態で選挙を戦うことになり、[[マニフェスト]]も社会主義的的色彩が創党強い内容となった。このような状況に反発した党内の社民主義グループ(右派)が党を離脱して新たに「社会民主党」を結成し、現職議員30名余りが自由党との連合に鞍替えして出馬する事態となった。選挙の結果、労働党は「[[不満の冬]]」直後に行われた前回総選挙の得票率36.9%を大きく下回る27.6%に留まり惨敗した。他方で、自由党と社民党の「連合」が25.4%を獲得し、労働党はかろうじて野党第一党の座を確保する状況にまで追い込まれる結果となった。
選挙結果に衝撃を受けた労働党では、党内左派の発言力が相対的に低下し、[[1983年イギリス労働党党首選挙|11月の党指導部の選挙]]において穏健派の[[ニール・キノック]]を新党首に、右派の[[ロイ・ハタズリー]]を副党首に選出し、党再建に乗り出すこととなった。
===得票率と獲得議席===
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