「ミッドウェー海戦」の版間の差分

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10時10分頃に襲来したマッセイ少佐指揮のヨークタウンの雷撃機隊12機が、飛龍を攻撃する。唯一戦闘機隊の護衛がつく事が出来ていた同隊では戦闘機隊指揮官[[ジョン・S・サッチ]]少佐の発案した対ゼロ戦空戦戦術「サッチ・ウィーブ」が初めて試され、5機を撃墜する成果を挙げたが数の差が歴然としていた(この時点での直掩機は30機以上でその内の20数機が襲いかかってきたがヨークタウン戦闘機隊は6機だけだった)ので雷撃隊全てを護衛できず10機が撃墜され、残りの2機も燃料切れで不時着水し全機損失、24名中21名が戦死した。戦闘機隊も1機を失っている<ref>20機以上の零戦に6機で挑み5機を撃墜し損害1という結果はこの戦法の有効性を証明し米戦闘機隊隊員に自信を持たせた。サッチ・ウィーブが浸透していくにつれ米戦闘機隊は無敵零戦と互角に渡り合うようになっていく。</ref>。
 
なお、駆逐艦「[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]」は海面に漂うウェスリー・フランク・オスムス海軍少尉を救助したという。オスムスは谷川清澄水雷長にカルピスを勧められつつ尋問に答えた<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』149頁</ref>。[[有賀幸作]]第四駆逐隊司令は尋問内容を受けて、「一、空母はヨークタウン、エンタープライズ、ホーネット、巡洋艦6隻、駆逐艦10隻。二、ヨークタウンは巡洋艦2隻、駆逐艦3隻を一団とし、他の部隊と別働す。三、米機動部隊は6月2日、ミッドウェー付近着、午後南北に移動哨戒なす」という暗号電報を発信した<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』150頁</ref>。だが暗号解読には時間がかかるため、この情報は有効に生かされなかった。後に、オスムス少尉は「赤城」炎上を見て激昂にかられた水兵よって斬殺されたとされる<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』155頁</ref>。戦争終結後、谷川は第一機動部隊の[[戦闘詳報]]を分析した占領軍によって追及されたが、捕虜殺害は有賀、渡辺保正艦長、松浦砲術長(全員戦死)の命令として殺害者を庇った<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』166-169頁</ref>。
 
その頃先に発艦していた[[クラレンス・マクラスキー|マクラスキー]]少佐率いるエンタープライズ爆撃機隊33機は日本の機動部隊を見つけられず、予想海域の周辺を捜索した。その時、駆逐艦「嵐」を発見する。ただし「嵐」の戦友会は、同時刻の嵐は赤城直衛で傍を離れていなかったと結論づけている<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』150頁</ref>。この駆逐艦(爆撃機隊は巡洋艦と判断)は空母部隊へ向かっているものと判断してその進路上を索敵した結果、10時20分頃日本の機動部隊を発見した。
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蒼龍と赤城は爆弾そのものの被害は復旧可能な範疇であったが、被弾して生じた火災が、兵装転換時に格納庫内に乱雑に置かれた爆弾、魚雷、また準備中だった航空機の燃料へと次々と誘爆を起こし、大火災が発生した。両艦のダメージコントロールの悪さもたたって(蒼龍では応急班の応援に駆け付ける筈の機関部員が火災で機関部に取り残され人出が不足していた。これは加賀も同じであった)火災の鎮火ができなかったため復旧が進まず、蒼龍は17時32分過ぎから乗員の駆逐艦への移乗を開始。19時頃に火災が少し収まったので[[楠本幾登]]飛行長は防火隊を編成して再度乗艦の準備を始めるが直後に再度の爆発が起こり救出は不可能と判断、19時13分に磯風の魚雷により自沈された。あえて艦内に残った[[柳本柳作]]艦長以下准士官以上35名、下士官兵683名、計718名が戦死した。搭乗員戦死者は機上・艦上合わせて10名で、[[江草隆繁]]飛行隊長以下、搭乗員の多くは救助された。
 
赤城では、南雲以下第一機動部隊指揮官達が内火艇に乗り、第十駆逐隊司令駆逐艦「巻雲」に移乗した。赤城では、11時半に負傷者と搭乗員の移送が始まり13時50分には機関が停止する。[[青木泰二郎]]艦長は消火作業を続行させるが4時半に総員退艦を決意<ref name="生出161"/>、乗組員は嵐と野分に移乗を開始する。南雲は赤城の処分を承認し、駆逐艦に雷撃させる許可を山本に申請した<ref name="生出161"/>。赤城の処置をめぐって連合艦隊司令部では議論が交わされたが、山本長官は赤城の処分を中止させた。有賀はこれを受けて「今夜は『赤城』の警戒に任じ、敵艦来たらば刺し違え戦法をもってこれを撃滅せんとす」と打電する<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』162頁</ref>。青木は錨甲板の柱に綱で身体を縛り付けていたが、20時半に[[増田正吾]]飛行長によって無理やり退艦させられ、嵐に移乗した<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』162-163頁</ref>。翌5日午前1時50分に処分命令を受取った有賀は、が下り第四駆逐隊の4隻(萩風・舞風・野分・嵐)雷撃させた。午前2時40分、赤城は艦尾から沈没していった<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』165頁</ref>。上記2隻と比べて赤城では機関部員が閉じ込められずに脱出できたので戦死者はそれらと比べ少なく准士官以上8名、下士官兵213名の計221名で搭乗員の戦死者は機上・艦上合わせて7名である。[[淵田美津雄]]中佐、[[板谷茂]]少佐、[[村田重治]]少佐の3飛行隊長ら多くの搭乗員が救助された。
 
=== 空母「飛龍」の反撃 ===