「伊号第五十八潜水艦」の版間の差分

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S-alfeyev (会話 | 投稿記録)
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7月28日、グアムとレイテ湾を結ぶ航路に出た伊58は、[[パラオ]]北方300浬地点付近で輸送船と駆逐艦を発見。魚雷戦と回天発進両方の準備を行ったが、目標までの距離が遠かったため回天のみの攻撃に決した<ref>小灘、片岡, 313ページ、橋本, 287ページ</ref>。2番艇の小森一之 一飛曹([[海軍飛行予科練習生|甲飛]]13期)艇と1番艇の伴修二中尉(兵科3期)艇を発進させ<ref>小灘、片岡, 312、313、314ページ</ref>、やがて爆発音が聞こえたものの、雨のため何も見えなかった<ref>小灘、片岡, 314ページ、橋本, 288ページ</ref>。この頃、駆逐艦の護衛を受けて航行中の米C2-S-B1型[[戦時標準船]]のワイルド・ハンター(Wild Hunter、6,214トン)は1620に潜望鏡を発見し、これに向かって砲座から砲撃を行った結果、潜望鏡は見えなくなった。
 
7月29日2305、伊58は{{coor dm|12|02|N|134|48|E|}}の[[パラオ]]北方250浬地点付近で、浮上して電探使用中、右舷真横約10kmの位置に[[テニアン島]]に[[原子爆弾]]を搬送し帰路に着いていた[[重巡洋艦]]'''[[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]''' (''USS Indianapolis, CA-35'') を電探により発見。橋本艦長はインディアナポリスを[[ニューメキシコ級戦艦|アイダホ型戦艦]]と識別し、12ノットで直進していると判断した。橋本艦長は潜航し、魚雷戦と6番艇の白木一郎 一飛曹(甲飛13期)艇と5番艇の中井昭 一飛曹(甲飛13期)艇の発進準備を行った<ref>小灘、片岡, 312、314ページ</ref>。しかし、回天の短い特眼鏡では闇夜でインディアナポリスを発見するのは難しいと判断し、まず魚雷攻撃をすることにした。その時、インディアナポリスが左に舵をきったため、伊58は右に舵をきって攻撃位置についた。2326、伊58はインディアナポリスの右舷側60度、約1500mに位置し、3門ずつ、2秒の間隔をあけて魚雷6本を発射。魚雷は3本がインディアナポリスに命中し、1本目がインディアナポリスの1番砲塔直下に命中。2本目が1本目の爆発で空いた穴に命中、3本目は艦橋付近の2番砲塔後部に命中した。この衝撃でインディアナポリスは2番砲塔の弾薬庫が誘爆。インディアナポリスが停止し、右舷に傾斜し艦首から沈み始めたのを確認した橋本艦長は、深度30mに潜航して止めの魚雷の装てんを行った。この時、白木艇からは「敵が沈まないなら出してくれ」と発進を催促していた<ref name="f">小灘、片岡, 315ページ</ref>。しかし、橋本艦長はインディアナポリスに魚雷を3本命中させた時点で、この攻撃での回天使用を止めていたのである<ref name="f">小灘、片岡, 315ページ</ref>。翌30日0027、インディアナポリスは沈没した。30分後、魚雷の装てんを終えて潜望鏡深度に戻った伊58ではあったが、観測、次いで浮上しても周囲には何も見えなかった<ref name="f">小灘、片岡, 315ページ</ref>。ここで橋本艦長は[[ニューメキシコ級戦艦|アイダホ型戦艦]]撃沈と判断したが大物撃沈というを知らせる艦内放送は通常2~3分で行われるのに対し、きは10分ぼどかかったため、衝撃音を感じるだけだったも相手が大型艦だと気がつき<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170908/k00/00m/040/009000c 伊58潜水艦:特定に「複雑」 89歳元乗組員 - 毎日新聞]</ref>士気はいやがうえにも高まった<ref>小灘、片岡, 315ページ、橋本, 299ページ</ref>。しかし、これとは対照的に回天乗員は悔しがり、特に林義明 一飛曹(甲飛13期)は「戦艦の如き好目標になぜ回天を使用しなかったのか」と涙を流していた<ref>小灘、片岡, 315ページ、橋本, 300ページ</ref>。インディアナポリス撃沈は、日本海軍の潜水艦としては最後となる大型戦闘艦の撃沈であり、[[第二次世界大戦]]で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である<ref>艦種を問わなければ、これより後の1945年8月6日に、潜水艦[[ブルヘッド (潜水艦)|ブルヘッド]] (''USS Bullhead, SS-332'') が[[ロンボク海峡]]で[[九九式軍偵察機]]の爆撃により撃沈されている</ref>。回天乗員に不満の種を残しつつ、伊58 は北上していった。8月1日から2日ごろにかけて、伊58 は[[大和田通信所]]から「敵重要艦船遭難、捜索中らしき敵信多数あり」との情報を受信した<ref name="g">橋本, 301ページ</ref>。8月7日ごろには、新聞電報によって[[広島市への原子爆弾投下]]を知ることとなった<ref name="g">橋本, 301ページ</ref>。
 
8月9日、伊58は輸送船団と思しき集団を発見し、橋本艦長は回天の発進を命じたが、白木艇および3番艇の林艇は故障発生のため発進できず<ref>小灘、片岡, 317ページ</ref>、中井艇と4番艇の水井淑夫少尉(兵科4期)艇を発進させ、やがて爆発音が聞こえた。この回天攻撃では、[[護衛空母]][[サラマウア (護衛空母)|サラマウア]] (''USS Salamaua, CVE-96'') を基幹とするハンターキラー・グループの一艦として補給路の間接護衛と対潜掃討に従事していた[[護衛駆逐艦]]{{仮リンク|ジョニー・ハッチンス (護衛駆逐艦)|label=ジョニー・ハッチンス|en|USS Johnnie Hutchins (DE-360)}} (''USS Johnnie Hutchins, DE-360'') が、僚艦とともに爆雷攻撃と砲撃を行って、何とかしてジョニー・ハッチンスへの体当たりを試みた回天を撃沈した<ref>小灘、片岡, 317,318,319ページ</ref>。8月12日、伊58は[[水上機母艦]]と思しき艦艇を発見して林艇を発進させ、潜望鏡で観測した結果、水上機母艦から大水柱が吹き上がって撃沈と判断した<ref>小灘、片岡, 321ページ、橋本, 307ページ</ref>。この頃、[[ドック型揚陸艦]]{{仮リンク|オーク・ヒル (LSD-7)|label=オーク・ヒル|en|USS Oak Hill (LSD-7)}} (''USS Oak Hill, LSD-7'') は護衛駆逐艦{{仮リンク|トーマス・F・ニッケル (護衛駆逐艦)|label=トーマス・F・ニッケル|en|USS Thomas F. Nickel (DE-587)}} (''USS Thomas F. Nickel, DE-587'') を伴ってレイテ湾に向かっていた。伊58が林艇を発進させてからしばらくして、トーマス・F・ニッケルはオーク・ヒルに並走する魚雷を発見<ref>小灘、片岡, 322ページ</ref>。この「魚雷」はトーマス・F・ニッケルの艦底をかすめ去って、しばらくたってから爆発した<ref>小灘、片岡, 323ページ</ref>。