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==人柄と逸話==
フォーキオンはアテネが軍事的に弱体化していたことを臆することなくアテネ市民に指摘し続け、[[ボイオティア]]との国境紛争もカイロネイアの戦いもラミア戦争も思いとどまらせようとした<ref>{{Cite book|和書|author=ブルクハルト|year=1998|title=ギリシア文化史7|publisher=筑摩学芸文庫|pages=P.524}}</ref>{{Efn|ボイオティアに出兵するために、将軍に任命されたフォーキオンは触れ役に「60歳までの男子は全員5日分の食糧を持って、民会終了後直ちに私と行動を共にするように」と伝令させた。老人たちが怒声を発して抗議するとフォーキオンは「諸君が恐ろしい目に遭うことは決してない。80歳の私が将軍として諸君たちと一緒にいるのだから」と言った。これを聞いたアテネの市民たちは戦争を始めようとする意欲をなくし、考えをあらためた<ref>{{Cite book|和書|author=ポリュアイノス|year=1999|title=戦術書|publisher=国文社|pages=P.162}}</ref>。}}。政治家としてのフォーキオンは断固として買収されないという点で、アテネでは異例の存在だった<ref>{{Cite book|和書|author=ブルクハルト|year=1998|title=ギリシア文化史7|publisher=筑摩学芸文庫|pages=P.273}}</ref>。「高士 Ho clestos」というのが彼のあだ名であり、一人のアテネ人も彼が笑ったり泣いたりしたところを見たことがなかったという。自分を軍人として育ててくれたカブリアスへの恩義のため、カブリアスの息子クテシッポスが軽薄でどうしようもない奴と知りながら面倒を見てやっていた<ref>{{Cite book|和書|author=ブルクハルト|year=1998|title=ギリシア文化史7|publisher=筑摩学芸文庫|pages=P.280}}</ref>。自負の念に満ち、その処刑に臨んでも嘆いている仲間に向かって「君はフォーキオンといっしょに死ねて嬉しいと思わないのか?」と語りかけたという。
 
==参考資料==