「滋賀県道558号高島大津線」の版間の差分

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== 沿革 ==
=== 国道161号時代の沿革 ===
[[1952年]]([[昭和]]27年)の現行道路法公布に伴い滋賀県唯一の二級国道として二級国道161号敦賀大津線定された当時は舗装が完備している区間はわずかであり、[[観光バス]]が砂ぼこりを上げるため沿線の家屋で窓を開けられない状態になり、トラックが通過することで表土が掘り返されるなどの有様だった{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|p=367}}。このとき、旧[[志賀町]]の区間では[[和邇村]]の約300 mが舗装されているに過ぎなかった{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|p=367}}。
 
当時管理していた滋賀県は国道161号の改修工事を実施し、整地作業が行われることになった{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|pp=367-368}}。旧志賀町の区間では[[1958年]](昭和33年)7月に小松地区の660 mで舗装に着手し、同年10月に完成した{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|p=368}}。次いで、[[1959年]](昭和34年)9月には木戸地区を中心とした4.5 km([[キロメートル]])が完成し、昭和30年代には国道161号の整備が完成した{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|p=368}}。和邇地区では既存の道路が狭く、江若鉄道との踏切もあった状態だったため、湖岸に[[バイパス道路|バイパス]]が新設された{{Sfn|志賀町誌編集委員会|2002|p=368}}。旧大津市域でも雄琴・下阪本・尾花川・観音寺などで交通渋滞を避けるために集落内部を通る道路に対して新道の建設が行われている{{Sfn|大津市|1983|p=454}}。特に観音寺と浜大津を結ぶ道路は急カーブが3つあり交通の上で重大な障害となっていた{{Sfn|大津市|1983|p=454}}。[[1958年]](昭和33年)には市街地から外れて第二[[琵琶湖疏水|琵琶湖疎水]]の上に架橋する計画が立てられたが、[[京都大学大学院理学研究科・理学部|京都大学理学部]]付属臨湖実験所が予定路線上のあって適切な移動先が見つからず、尾花川橋として架橋が実現されたのは[[1963年]](昭和38年)6月だった{{Sfn|大津市|1983|pp=454-455}}。こうした改良があったものの、国道161号の渋滞を解消するには更なる抜本的な対策が必要となり、西大津バイパスなどのバイパス道路が要望されることになった{{Sfn|大津市|1983|p=455}}。
 
[[19661965年]](昭和4140年)[[4月1日]]に一般国道161号へ改称され、
[[1966年]][[5月30日]]に国道161号全線が[[建設省]](現在の[[国土交通省]])の管理になった<ref>{{Cite web|url=https://www.kkr.mlit.go.jp/shiga/syoukai/history.html|title=事務所・事業の沿革|accessdate=2020-06-10|publisher=国土交通省近畿地方整備局滋賀国道事務所}}</ref>、北陸と京阪を結ぶ大動脈となった
 
[[1978年]](昭和53年)[[3月1日]]に大津市際川二丁目 - 浜大津間で近畿で初めてのリバーシブルレーンが導入された{{Sfn|全日本建設技術協会滋賀県支部滋賀県建設技術協会|2013|p=14}}。