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== 沿革 ==
=== 1980年代 ===
オーナーの賀山茂が[[1979年]]に[[東京]]・[[六本木]]に開設した会員制[[SM (性風俗)|SM]]サロン、「SAMM」を母体に[[1981年]]に創業。サロンの名を冠した「サム・ビデオ・センター」として、当初は「本格派のSM」をうたったマニアックなSM作品をリリースしていた<ref name=":0">{{Cite web |url=https://adult.skyperfectv.co.jp/column/label/column-label1906.php |title=連載コラム「アダルトレーベルの歴史研究」|スカパー!アダルト第5回 h.m.p「ブランドの危機に何をすべきか」 |access-date=2023/1/7 |publisher=スカパー!アダルト |archive-url=https://web.archive.org/web/20200920111933/https://adult.skyperfectv.co.jp/column/label/column-label1906.php |archive-date=2020/9/20 |deadlinkdate=2023/1/7}}</ref>。
[[1984年]]3月、株式会社芳友舎が設立され、サムは同社のメインレーベルとなるとともに、作品の傾向も一般的な路線へとシフトした。[[1985年]]、[[九鬼 (アダルトビデオ)|九鬼]]で監督デビューしていた[[豊田薫 (AV監督)|豊田薫]]が加入。「マクロ・ボディ 奥までのぞいて」等の性表現の限界を追求した作品群を世に送り出し、サムへの注目度を一気に高めた。豊田は[[1990年]]に[[ダイヤモンド映像]]に移籍するまでの間、[[斉藤唯]]の「禁姦色II」などのヒット作品を数多く制作し、80年代のサムの牽引役となった。また神野龍太郎、東良美季などの職人肌の監督が、キャッチーかつハード路線というサムのレーベルカラーを演出。[[1988年]]ごろから始まった「淫乱ブーム」では、80年代中盤の美少女ブームを主導した[[メディアステーション|宇宙企画]]が失速する一方で、サムは存在感を強くアピールした。
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=== 銀河映像、ビデオバンク ===
銀河映像株式会社は元々販社の位置づけで[[1989年]]に設立されたが、1990年代から2000年代にかけて、「姦」レーベルや「SEX 9」レーベル等で独自に作品をリリースしている。株式会社ビデオバンクは[[1993年]]に設立され、映像コンテンツの再活用による編集版を中心にリリースしている。一時、[[バクシーシ山下]]監督による「DOCUMENT」レーベル
2020年時点の代表である菊間は営業時代を振り返り、芳友舎といえば単体女優の会社、エイチエムピィに社名変更してからは、総合デパート的なメーカーというイメージだあったと答えている<ref name=":0" /。
== 主要新作レーベルと活動期間、発売会社の変遷 ==
'''芳友舎(新)は現・芳友舎(旧・芳友舎J)を示す'''
*サム (SAMM)(1981年~2004年)…サム→芳友舎→芳友メディアプロデュース→h.m.p<ref name=":0" />
*ミス・クリスティーヌ (Miss Christine)(1984年~2003年)…芳友舎→クリスティーヌ→芳友舎→芳友メディアプロデュース→h.m.p
*ゴールデン・サム (Golden SAMM)(1986年~1989年)…芳友舎→メディア・プランニング
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