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原始教会の女性について
宗教観: ルターの別の言及
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===宗教観===
{{main|{{ill2|女性と宗教|en|Women and religion}}}}
* [[キリスト教]]においては、[[布教]]の過程に於いてその地域のその時代の[[社会通念|社会観念]]を受け継いだことにより相対的に女性の地位が男性のそれに比べて低いとされる部分もあった。[[プロテスタント]]の生みの親[[マルティン・ルター|ルター]]も「女児は男児より成長が早いが、それは有益な植物より雑草の方が成長が早いのと同じである」という言葉を残している。その一方でルターは、「女性たちは信仰においては男性よりもはるかに堅固で熱烈であり、男性よりもはるかに屈強にして頑強に信仰を重んじる」とも述べている<ref>{{cite book|和書|title= 母権制|volume= 上巻|author= J・J・バハオーフェン|authorlink= J・J・バッハオーフェン|year= 1992|origyear= 1861|publisher= 白水社|page= 381}}</ref>
** しかし、男性中心主義的な[[パウロ書簡]]に反し、同時期に成立した[[福音書]]においては、むしろ女性[[使徒]]が男性使徒より肯定的な評価を下されている{{Sfn|荒井|1988|p=65}}。一方でパウロ書簡にも高く評価されている女性は存在し、例えば『[[ローマの信徒への手紙]]』に登場する「{{仮リンク|フィベ|en|Phoebe (biblical figure)}}」の身分は「教会の diaconos」である{{Sfn|荒井|1988|pp=204-205}}。これは「[[執事 (キリスト教)|執事]]・[[助祭]]」と訳すべきはずが、女性を聖職者に就けない[[カトリック教会]]の意向により、[[新共同訳聖書]]では「奉仕者」と広い意味で訳されている{{Sfn|荒井|1988|pp=204-205}}。同じく『ローマの信徒への手紙』において、パウロに先んじてキリストに帰依したとされる傑出した使徒「{{仮リンク|ユニア|en|Junia (New Testament person)}}」の名も、長らく男性名である「ユニアス」と誤訳されていた{{Sfn|荒井|1988|pp=214-217}}。同じくパウロ書簡には、夫より地位の高い妻として「[[プリスキラとアクラ]]」の「プリスキラ」が登場するが、これは[[西方教会|西方系]]写本ではほぼ例外なく「アクラとプリスキラ」に改変されていた{{Sfn|荒井|1988|p=209}}。また、[[初期キリスト教]]において「家の教会」の指導者は多くの場合女性であったが、その一人である『[[コロサイの信徒への手紙]]』の「ヌンパ」の名も、西方系写本では「ヌンパス」という男性名に改変されていた{{Sfn|荒井|1988|pp=210, 214}}。同じく西方系の{{仮リンク|ベザ写本|en|Codex Bezae}}は、『[[使徒言行録]]』1章14節に「そして子供たち」を加えることで、イエスのもとに集まった女性たちを、使徒の「妻と家族」であるかのように改変している<ref name="フィオレンツァ">{{cite book|和書|title= 彼女を記念して――フェミニスト神学によるキリスト教起源の再構築|year= 1990|origyear= 1983|publisher= 日本基督教団出版局|page= 100|author= E.S. フィオレンツァ}}</ref>。17章4節では「そして少なからぬ高貴な女性たち」を、「高貴な男性の妻」であるかのように書き換えている<ref name="フィオレンツァ"/>。17章12節からも「高貴な女性たち」という強調を除去し、17章34節からは「アテネのダマリス」という女性の個人名を除去している<ref name="フィオレンツァ"/>。
** キリスト教によって女性差別が緩和された例も少ないながらある。たとえば売買婚を禁止した例がある(そもそも売買婚はなかったとの説{{要出典|date=2012年10月}}もある)。ただし、奴隷との性行為に関しては、教会自身が多くの奴隷を保有していたため禁止できなかった。ローマ帝国の法律では、既婚女性の財産の所有権や発言権には非常に制約が課せられていた。しかし、その後、キリスト教の布教により緩和された。つまり、一定の相続権や離婚の請求権などを得たのである。姦通の罪は女性のみに適用されていたが、男性も罪に問われた。このように、主に結婚に関係して女性の権利が部分的ではあるが解放された。しかし、こういった解放は、中世初期において集中的に発生し、後期においては締付けは逆に厳しくなったりもした。