ルネ・ド・シャロン

これはこのページの過去の版です。220.102.251.176 (会話) による 2007年6月14日 (木) 11:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ルネ・ド・シャロン(René de Châlon, 1519年2月5日 - 1544年7月15日)はオランジュ(オラニエ)公、およびホラント州ゼーラント州ユトレヒト州ヘルダーラント州総督ナッサウ家の最初のオラニエ公であり、オラニエ=ナッサウ家の祖と見なされることもあるが、一般に祖とされるヴィレム1世の従兄である。

ナッサウ=ブレダ伯ハインリヒ3世とクローディア・ド・シャロンの一人息子として生まれた。ドイツ語名はレナートゥス(Renatus)。母の弟フィリベール・ド・シャロンはシャロン家最後のオランジュ公だった。フィリベールが1530年に嗣子なしに死去したため、レナートゥスは叔父から、シャロンの家名と紋章を用いることを条件に、オランジュ公領やフランシュ=コンテの所領を相続した。一方、父からライン川左岸およびネーデルラントの所領も相続している。

1540年、ルネはロレーヌ公アントワーヌの娘アンヌと、ロレーヌのバル=ル=デュックで結婚した。2人の間の一人娘マリーは生後3週間で死亡し、他に子は生まれなかった。

シャロン家は代々ブルゴーニュ公の廷臣として仕え、ルネもブルゴーニュ公である神聖ローマ皇帝カール5世に仕えた。第4次イタリア戦争にも参陣したが、1544年のサン=ディジエの包囲戦のさなかに、若くして戦死した。

ルネは生前に、父方の叔父ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルムの長男ヴィルヘルム(ヴィレム)を相続人に定めていた。そのためルネの死後、オランジュ公領やネーデルラントの所領などは全て、この11歳の従弟が相続した。

先代
フィリベール・ド・シャロン
オランジュ公
1519 - 1544
次代
ヴィレム1世