アラビアンナイト・シンドバッドの冒険 (映画)
『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(アラビアンナイト・シンドバッドのぼうけん 英: ARABIAN NIGHT'S SINDBAD THE SAILER)は、東映動画制作の日本の長編アニメーション映画。カラー、東映スコープ、81分。1962年6月16日に「丸の内パラス」で先行公開[2]され、続いて同年7月21日より全国一斉公開となった[2]。
アラビアンナイト・ シンドバッドの冒険 | |
---|---|
ARABIAN NIGHT'S SINDBAD THE SAILER[1] | |
監督 |
藪下泰司 黒田昌郎(「演出」名義) |
脚本 |
手塚治虫 北杜夫 |
製作 |
大川博 高橋勇、吉田信、籏野義文(以上「企画」) |
出演者 |
木下秀雄 黒柳徹子 |
音楽 |
冨田勲 米山正夫 |
配給 | 東映 |
公開 |
1962年6月16日(先行)[2] 1962年7月21日(全国)[2] |
上映時間 | 81分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 安寿と厨子王丸 |
次作 | わんぱく王子の大蛇退治 |
キャッチコピーは「痛快な冒険と素晴らしいロマンス! 動物や怪獣も大活躍! 夢と希望の東映が放つ動画千一夜物語!」[3]。
概要
編集東映動画制作による劇場用長編アニメーション映画の第5作目にあたる作品で、初めて中国や日本の民話を離れ、中近東を舞台にした作品となった。DVDはちょうど40年後の2002年11月21日に発売された。
あらすじ
編集ラサール[注 1]の若者シンドバッドと少年アリーは、海への憧れと、港に流れ着いた老船乗りに聞いた五色に輝く宝石の島に対する強い好奇心のため、輸送船ボルダー号に密かに乗り込む。途中で密航を発見されるが、勇気と行動力を老船長に見込まれ、正式に見習い船乗りとして働くことになった。仕事の合間に、シンドバッドはギター[注 2]を弾いて歌を歌う。
ボルダー号がバーレーンの港に入った時、上陸したシンドバッドたちは王宮に召喚される。その国のアーマッド王は宝物を欲しがり、船員の一人であるアブダラが、ギターを弾きながら宝物が山ほど出て来るようなデタラメな歌を歌ったためであった。王は好々爺然とした人物であったが、大臣トルファは卑怯な手で権力をつかもうとしており、歌の宝物を差し出せなかったシンドバッドたちを地下牢に閉じ込めてしまう。しかし、王女のサミール姫はシンドバッドらを気の毒に思い、牢から逃がした。姫はトルファから求婚されており、それから逃れるために、また不自由な宮廷での生活を厭い、さらにシンドバッドに対する好意もあって、自分も船旅に加わることを望んだのである。
船長は、当初は宝の島へ行きたいというシンドバッドとアリーの希望を聞き入れなかったが、サミール姫を乗せて無事船出すると、舳を宝島に向ける。一方トルファも、姫を追いかけるとともに宝を手に入れようと、家来を引き連れてシンドバッドの船を追跡する。
シンドバッドたちは、苦難の末に宝の島を見つけて上陸した。その島は大昔の龍の骨の散乱する不気味な所で、老船乗りが言った通り、洞窟には五色に輝く宝石の山があった。そこへトルファと家来たちが現れる。彼らは欲をかいて宝石を持ち去ろうとするが、島を守る怪鳥パドランの怒りを招いた。パドランは石像のような外見でほとんど動かないが恐るべき魔力を発揮し、島に大洪水を起こす。トルファたちは激流に飲み込まれ、シンドバッドらも危機に陥るが、彼のアッラーへの祈りが通じ、危うく助かった。
再び船に乗ったシンドバッドはサミール姫への思いを告げ、憧れの島を去るのであった。
スタッフ
編集挿入歌
編集いずれも、作詞:米山正夫、作曲:冨田勲。
キャスト
編集脚本について
編集脚本を担当した手塚治虫と北杜夫は、このときが初対面であった[4]。なお、北によれば、実際に脚本の大部分を執筆したのは手塚である[5]。シンドバッドの船に乗るペットの設定に関して、手塚は子猫を提案したのに対し、北は子クジラを提案した[5]。手塚はそのアイデアに驚きつつもその通りに絵コンテを描いたが、東映動画側に「くじらが船の上に乗れるはずない」という理由で没にされたという[4]。
北は企画が持ち上がった当初は、親友の辻邦生への手紙の中で、「一寸うれしいこと」「案外ぼくに打ってつけの仕事かと思います」(1960年8月12日付)と喜んでいたが、制作が進むにつれ「マンガ映画ダメだ。上の連中はとんでもない。ろくな映画になりそうにありません」(同年10月14日付)、「僕の思ってたものとは全くちがったものになる」(同年11月7日付)と、東映動画上層部の介入に対する不満を述べるようになる[6]。北が同時期に執筆した少年向け作品『船乗りクプクプの冒険』(1961年 - 1962年連載、1962年刊)は、こうした不満から、自分流の『シンドバッドの冒険』のつもりで書いたものという[7][8][5]。一方で、すでに『どくとるマンボウ航海記』でベストセラー作家となり、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞していたにもかかわらず、兄(斎藤茂太)の子供たちからは馬鹿にされていたが、この映画で児童漫画の第一人者であった手塚と一緒に仕事したことで、ようやく尊敬されることになったという[5]。
また、手塚も東映動画側の介入に不満を抱いており、同じく東映動画作品で原案・構成を担当した『わんわん忠臣蔵』(1963年)とともに、「それこそ、めちゃくちゃに作りかえられてしまい、ボクの感じはなにひとつ残っていません」と記している[9]。手塚は北の起用自体にも批判的で、芥川賞作家であり優れたエッセイストでもある北を起用するのなら、既存の物語の脚色ではなくオリジナル作品を依頼すべきであったこと、同じ船乗りでも商人のシンドバッドと船医の北では視点が全く異なること、アニメーションの面白さの本質は物語ではなく動きにこそあるのであるが、熱心な漫画ファンではあってもアニメーションの制作現場に通じていない北にそのことを求めることは無理であること、の三点を挙げて東映動画を批判している[10]。
推薦
編集賞歴
編集- 第1回リミリ国際動画映画祭監督賞
- 第14回ヴェネツィア国際児童映画祭サンマルコ青銅賞
- ヴェネツィア国際映画祭児童映画部門聖マルコ獅子賞(グランプリ)
リバイバル
編集同時上映
編集- 1962年6月版(先行版)
- 世界の地理と風俗シリーズ アフリカ編
- 1962年7月版(全国版)
- 1968年版
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 「東映動画 長編アニメ大全集 上巻」(徳間書店)117頁 1978年
- ^ a b c d e 「東映動画アーカイブス」(ワールドフォトプレス)139頁 2010年
- ^ 「東映動画アーカイブス」20頁
- ^ a b 北杜夫; 手塚治虫「教育委員会から抗議された性教育マンガ」『マンボウぱじゃま対談』集英社〈集英社文庫〉、1982年10月25日、30頁。
- ^ a b c d 北杜夫「手塚さんの偉大さ 手塚治虫さん」『見知らぬ国へ』新潮社、2012年10月20日、108-110頁。
- ^ 辻邦生; 北杜夫『若き日の友情――辻邦生・北杜夫 往復書簡』新潮社〈新潮文庫〉、2012年11月1日、345, 370, 384頁。ISBN 978-4-10-113161-0。
- ^ 辻邦生; 北杜夫「『星の王子さま』とぼくたち」『完全版 若き日と文学と』中央公論新社〈中公文庫〉、2019年7月25日、295頁。ISBN 978-4-12-206752-3。
- ^ 北杜夫「「船乗りクプクプの冒険」「奇病連盟」」『見知らぬ国へ』新潮社、2012年10月20日、182-185頁。
- ^ 手塚治虫『ボクのまんが記』朝日新聞出版〈シリーズ昭和の名作マンガ〉、2008年5月31日、214頁。ISBN 978-4-02-214000-5。
- ^ 手塚治虫「マンガ映画「シンドバッドの冒険」のころ」『手塚治虫エッセイ集』 7巻、講談社〈手塚治虫漫画全集 別巻15〉、1997年、44-48頁。ISBN 4-06-175997-3。初出『北杜夫全集』月報、1977年3月。