アンシャン・レジーム
アンシャン・レジーム(仏: Ancien régime、直訳:古い体制)とは、フランス革命以前のブルボン朝、特に16 - 18世紀の絶対王政期のフランスの社会・政治体制をさしている。アレクシス・ド・トクヴィルが『アンシャン・レジームと革命』、イポリット・テーヌが『近代フランスの起源』を著した事によって歴史用語として定着した。日本語では、旧体制[1]、旧秩序[2]、旧制度[3]などと訳語があてられる。転じて、(フランス以外での)旧体制を指す比喩としても用いられる。
概要
編集身分制度
編集アンシャン・レジームで、国民は三つの身分に大別されていた。第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民である。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていた。第三身分は通常国政に関与する事はできないが、身分別議会である三部会に代表を送り込む権利を持っていた。しかし、アンシャン・レジーム下で三部会はほとんど行われなかった。
この身分制度は固定的なものではなく、裕福な第三身分は売官制によって貴族の身分を買う事ができた。これを法服貴族という。法服貴族で構成される高等法院はしばしば国王と対立した。一方世襲的な帯剣貴族の中には没落するものも現れた。
崩壊
編集ルイ14世、ルイ15世の時代の相次ぐ戦争は、フランス国家の財政困窮を招いた。ルイ16世は高等法院の復活や三部会開催により打開しようとしたが第一・第二身分の抵抗によって行き詰まり、不満を持ったブルジョワ層によるフランス革命の勃発でアンシャン・レジームは崩壊した。その後、ナポレオン政権下においては圧殺されていたが、王党派による白色テロは続いた。1815年のナポレオンの失脚によりアンシャン・レジームは復活したが、国内には王党派とボナパルティストとの深刻な対立が残された。もっともフランス復古王政下の反動的な政治体制は長続きせず、やがて七月革命で打倒される。
脚注
編集- ^ 『中学社会 歴史』(教育出版。中学校 社会科用 平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 156, 157に「しかし, 第三身分の代表は, 自分たちこそが国民の代表であると主張して, 国民議会をつくった。国王がこの動きを武力でおさえようとすると, 国民議会を支持するパリの民衆は, 専制の象徴であったバスチーユの牢獄をおそった。旧体制への攻撃はたちまち全国に広まり, フランス革命へと発展した」と記載されている。
- ^ 『【新制版】世界史辞典』(数研出版)
- ^ 『【改訂版】詳説世界史』(山川出版社。高等学校 地理歴史科用1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 208の脚注③には「革命前のフランスの政治・社会体制は, 旧制度(アンシャン=レジーム)とよばれる」と記載されている。
関連項目
編集外部リンク
編集- 小山勉, 「アンシャン・レジームにおける権力体系の変容と「後見政治」の構造化 : トックヴィルの「行政的専制」国家解剖を中心に」『法政研究』 53巻 4号 1987年 p.1-72, doi:10.15017/1871, 九州大学法政学会
- 『アンシャン・レジーム』 - コトバンク