アンティパトロス朝
アンティパトロス朝(ギリシア語: Δυναστεία των Αντιπατριδών、紀元前305年 - 紀元前294年および紀元前279年 - 紀元前277年)は、アレクサンドロス3世(大王)のディアドコイの一人であったアンティパトロスの子カッサンドロスが創始したマケドニアの王朝。カッサンドロス朝ともいわれる。
歴史
編集カッサンドロスはアレクサンドロス大王の異母妹テッサロニカと結婚し王位継承権を得て、紀元前316年に大王の母オリュンピアスを殺害して実権を握り、さらに紀元前310年には大王の子アレクサンドロス4世を殺害し、王位を主張した。
カッサンドロスの死後は、その3人の息子が王位についたが、紀元前294年にデメトリオス1世に王位を奪われた。
紀元前279年に一族のアンティパトロス・エテシアスおよびソステネスが王位についたものの、エテシアスは在位数十日で王位を奪われ、ソステネスは紀元前277年に殺害され、デメトリオス1世の子アンティゴノス2世が王位につき、以後アンティゴノス朝がマケドニアを支配した。
歴代君主
編集系図
編集ピリッポス2世 マケドニア王 | アンティパトロス マケドニア摂政 | カッサンドロス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テッサロニカ | カッサンドロス | 二ケア | リュシマコス マケドニア王 トラキア王 | フィラ | デメトリオス1世 マケドニア王 | ピリッポス | エウリュディケ | プトレマイオス1世 エジプト王 | アンティゴネ | メガス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピリッポス4世 | アンティパトロス2世 | エウリュディケ | アレクサンドロス5世 | アンティゴノス朝 (マケドニア王家) | アンティパトロス・エテシアス | プトレマイオス・ケラウノス マケドニア王 | メレアグロス マケドニア王 | ベレニケ1世 | ピリッポス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プトレマイオス朝 (エジプト王家) | メガス キュレネ王 | アンティゴネ | ピュロス エピロス王 マケドニア王 | テオクセナ | アガトクレス シュラクサイ僭主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||