アール・モンロー
バーノン・アール・モンロー (Vernon Earl Monroe, 1944年11月21日 - ) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手である。
引退 | |
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ポジション | SG/PG |
基本情報 | |
愛称 | The Pearl |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1944年11月21日(79歳) |
出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
身長(現役時) | 190cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ウィンストン・セーラム州立大学 |
永久欠番 |
ニックス 15 ウィザーズ 10 |
選手経歴 | |
1967-1971 1971-1980 |
ボルティモア・ブレッツ ニューヨーク・ニックス |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
NBAのボルティモア・ブレッツでウェス・アンセルドとともに活躍し、1970年代以降はニューヨーク・ニックスの中心選手として1973年のニックスのチャンピオンシップ優勝の原動力となった。得点力もあり、ドリブルも上手くゲームメイキングにも長けたガードの選手として名高い。また、空中での優美な動きから「アール・ザ・パール(真珠)」の愛称で知られた。1990年にバスケットボール殿堂入りした。
経歴
編集カレッジ時代
編集モンローは地元のジョン・バートラム・イン・フィラデルフィア高校を1963年に卒業すると、、ウィンストン・セーラム州立大学に進学しバスケットを続けた。大学では1年目平均7.1ポイント、2年目23.2ポイント、3年目29.8ポイント、4年目41.5ポイントと着実に成績を上げていき、1967年にはNCAAのディヴィジョン・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞するまでになる。チームとしてもモンローの活躍でディヴィジョンチャンピオンシップを制するまでになった。4年間トータルの成績はゲーム平均26.7ポイント、6.9リバウンドである[1]。
ブレッツ時代
編集カレッジで目覚しい活躍をしたモンローは卒業後1967年のNBAドラフトで当時「ボルティモア・ブレッツ」の名称だった現在のワシントン・ウィザーズに1巡目全体2位で指名を受け入団する。モンロー入団翌年のドラフトでウィザーズにはウェス・アンセルドも加わり、2人の活躍でチームは大きく躍進する。モンローは1年目のシーズンで24.3ポイント、5.7リバウンド、4.3アシストをあげてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。 その後も、モンローとアンセルドのコンビはチームの成績に大きく貢献した。モンローは毎年20ポイント以上を稼いでいたが、しかし、ニューヨーク・ニックスの壁に阻まれ優勝は出来なかった。
ニックス時代
編集1971年にモンローは宿敵のニックスにトレードされる。1972-73シーズンでは15.5ポイントを上げ、チームもロサンゼルス・レイカーズを破って2回目の優勝に輝いた。
その後もモンローは活躍を続けたが、チーム状態は次第に悪くなりNBAファイナルまで進出する事すら出来なくなった。 モンローは1979-80シーズンが終了後に引退するが、1990年に殿堂入りを果した。また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
個人成績
編集† | NBAチャンピオン |
太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
編集Season | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967–68 | BAL | 82 | 36.7 | .453 | .781 | 5.7 | 4.3 | 24.3 | ||
1968–69 | 80 | 38.4 | .440 | .768 | 3.5 | 4.9 | 25.8 | |||
1969–70 | 82 | 37.2 | .446 | .830 | 3.1 | 4.9 | 23.4 | |||
1970–71 | 81 | 35.1 | .442 | .802 | 2.6 | 4.4 | 21.4 | |||
1971–72 | 3 | 34.3 | .406 | .722 | 2.7 | 3.3 | 21.7 | |||
NYK | 60 | 20.6 | .436 | .786 | 1.5 | 2.2 | 11.4 | |||
1972–73† | 75 | 31.6 | .488 | .822 | 3.3 | 3.8 | 15.5 | |||
1973–74 | 41 | 29.1 | .468 | .823 | 3.0 | 2.7 | .8 | .5 | 14.0 | |
1974–75 | 78 | 36.1 | .457 | .827 | 4.2 | 3.5 | 1.4 | .4 | 20.9 | |
1975–76 | 76 | 38.0 | .478 | .787 | 3.6 | 4.0 | 1.5 | .3 | 20.7 | |
1976–77 | 77 | 34.5 | .517 | .839 | 2.9 | 4.8 | 1.2 | .3 | 19.9 | |
1977–78 | 76 | 31.2 | .495 | .832 | 2.4 | 4.8 | .8 | .3 | 17.8 | |
1978–79 | 64 | 21.8 | .471 | .838 | 1.2 | 3.0 | .8 | .1 | 12.3 | |
1979–80 | 51 | 12.4 | .457 | .875 | .7 | 1.3 | .4 | .1 | 7.4 | |
Career | 926 | 32.0 | .464 | .807 | 3.0 | 3.9 | 1.0 | .3 | 18.8 | |
All-Star | 4 | 21.3 | .359 | .706 | 3.0 | 2.8 | .3 | .0 | 10.0 |
プレーオフ
編集Year | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1969 | BAL | 4 | 42.8 | .386 | .806 | 5.3 | 4.0 | 28.3 | ||
1970 | 7 | 42.7 | .481 | .800 | 3.3 | 4.0 | 28.0 | |||
1971 | 18 | 37.3 | .407 | .793 | 3.6 | 4.1 | 22.1 | |||
1972 | NYK | 16 | 26.8 | .411 | .789 | 2.8 | 2.9 | 12.3 | ||
1973† | 16 | 31.5 | .526 | .750 | 3.2 | 3.2 | 16.1 | |||
1974 | 12 | 33.9 | .491 | .855 | 4.0 | 2.1 | 0.7 | 0.8 | 17.4 | |
1975 | 3 | 29.7 | .267 | .818 | 3.0 | 2.0 | 1.3 | 0.7 | 14.0 | |
1978 | 6 | 24.2 | .387 | .611 | 0.8 | 2.8 | 1.0 | 0.0 | 9.8 | |
Career | 82 | 33.1 | .439 | .791 | 3.2 | 3.2 | 0.9 | 0.5 | 17.9 |
関連項目
編集脚注
編集- ^ Basketball-reference.com Earl Monroe Statisticsより引用。May 2, 2007。
外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、RealGM
- NBA公式サイトよりNBA史上50人の偉大な選手