イサーク・シュワルツ
イサーク・イオシフォヴィチ・シュワルツ(ロシア語: Исаак Иосифович Шварц, ラテン文字:Isaac SchwartzまたはIsaak Shvarts, 1923年5月13日 - 2009年12月27日)は、ロシアの作曲家。
イサーク・イオシフォヴィチ・シュワルツ | |
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生誕 | 1923年5月13日 |
出身地 | ソビエト連邦 ウクライナロムヌイ |
死没 | 2009年12月27日(86歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
経歴
編集ウクライナのロムヌイ出身。1930年に一家はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に移住した。そこでイサークはピアノを学び始め、1935年にレニングラード・フィルハーモニー交響楽団との共演でコンサートデビューを果たした。
しかし1936年にレニングラード大学の考古学教授だった父が大粛清で逮捕される[1]と、家族はキルギスに追放された。イサークはフルンゼ(現在のビシュケク)で個人的に音楽の勉強を続け、また無声映画のピアノ伴奏者として働いた。
独ソ戦が始まると、赤軍合唱隊の指揮者となった。このころドミートリイ・ショスタコーヴィチと面識を得、ショスタコーヴィチの尽力でレニングラード音楽院に入学できた。1951年に音楽院を卒業し、1955年にソビエト連邦作曲家同盟に加入した。
100本以上の映画音楽を作曲し、代表作にはドストエフスキー原作の『カラマーゾフの兄弟』(1969年)や黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)などがある。
映画音楽以外の作品には、バレエや劇付随音楽などがある。2000年にサンクトペテルブルクで初演された管弦楽曲『黄色いダビデの星』はリトアニアのコヴノ・ゲットーでの実話に着想を得ている。
外部リンク
編集脚注
編集- ^ “Isaac Schwartz, Soviet Composer, Dies at 86”, New York Times, (30 December 2009).