イソ-マールボロ・IR (Iso-Marlboro IR) は、フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ1973年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー1974年にはイソ-マールボロ・FWと改名された。IRは1年半で8名のドライバーがドライブした。

イソ-マールボロ・IR
ジィズ・ヴァン・レネップ出場のオランダGP(1973年7月)
ジィズ・ヴァン・レネップ出場のオランダGP(1973年7月)
カテゴリー F1
コンストラクター イギリスの旗フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ
デザイナー ジョン・クラーク
先代 イソ-マールボロ・FX3B
後継 ウィリアムズ・FW
主要諸元
エンジン フォード コスワースDFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90° V8, NA, ミッドエンジン
トランスミッション ヒューランド DG 400 5速 MT
重量 578 kg
燃料 フィナ
タイヤ ファイアストン
主要成績
ドライバー ニュージーランドの旗ハウデン・ガンレイ
イタリアの旗ナンニ・ギャリ
デンマークの旗トム・ベルソ
フランスの旗アンリ・ペスカロロ
ニュージーランドの旗グラハム・マクレー
オランダの旗ジィズ・ヴァン・レネップ
オーストラリアの旗ティム・シェンケン
ベルギーの旗ジャッキー・イクス
通算獲得ポイント 0
初戦 1973年スペイングランプリ
最終戦 1973年アメリカグランプリ
出走優勝表彰台ポールFラップ
120000
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背景

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現在のウィリアムズF1の前身であるフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは、1968年に元レーサーでありレースカーのディーラーを営んでいたフランク・ウィリアムズが設立した。F1参戦当初、ウィリアムズは純粋なカスタマーチームであり、中古のブラバム・BT23Cを購入してシーズンを戦った。1970年はデ・トマソ製のマシンを使用し、1971年はマーチのマシン(701および711)を使用した。1972年にウィリアムズはイタリアの玩具メーカーであるポリトイから資金提供を受け、最初の自社製マシンとなるポリトイ・FX3を開発した。FX3は1972年シーズン2回しか使用されなかった。

1973年シーズンが始まると、イタリアのスポーツカーメーカーのイソがメインスポンサーとなった。イソはマシンの命名権を持ったが、より広範な技術的コミットメントは存在しなかった。具体的には、イソはマシンの設計や製作に関与しなかった。

1973年シーズン序盤の3戦でフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは前年に使用したポリトイ・FX3に小改良を加え、新スポンサーの名前を冠したイソ-マールボロ・FX3Bを使用した。1973年シーズン、ヨーロッパのF1レースはいくつかの技術的ルールの変更が強制された。それは主に車両の衝突安全性に関連し、横方向の衝突の際にとりわけドライバーと燃料タンクを保護するように変更された[1][2]。いくつかのチームは新ルールに既存の車両を適応させた。しかしながら1971年設計のFX3では妥当なコストで適応させることは不可能であり、フランク・ウィリアムズは新車の開発を選択した[3]。その後2台のイソ-マールボロ・IRが完成し第4戦スペイングランプリで投入、3台目は第12戦オーストリアグランプリで投入された。

IR1 / FW01は1974年夏に放棄された。新造されたFW03の登場後、FW01はFW02を使用していたレギュラードライバーのアルトゥーロ・メルツァリオに与えられた。セカンドドライバーはその後FW02を使用することになった。

命名法則

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1973年はイソとマールボロがスポンサーとなったことから、イソ-マールボロの名称が使われた。IRはイソ・リヴォルタの頭文字である。1974年になるとイソは資金提供が滞りがちになり、ウィリアムズはマシンの名称をイソ-マールボロ・FW(FWはフランク・ウィリアムズの頭文字)に変更した。IR1はウィリアムズのFWファミリーの始祖といえるが、ウィリアムズ・FW01とは呼ばれなかった。

アルファベットの後に付く数字(1または01、2または02、03)は、初期のティレルのマシン同様個々のシャシーを区別するためのもので、現在のように形式を意味するものでは無かった。IR1はIRの最初のシャシーであった。1975年に製作されたFW04からウィリアムズは数字が形式を表す命名法を採用した。

開発

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フランク・ウィリアムズは、イソ-マールボロ・IRの製作をジョン・クラークを依頼した[4]。車体はシンプルなデザインであり、そのラインは角張っていた[5][2]。モノコックはアルミニウム製で、側面は衝撃吸収構造のためサイドポントゥーンが大型化された[6]。エンジンはコスワースDFVを搭載し、ギアボックスはヒューランドDG400が採用された。IRはオイル供給に問題点があり、それは効果が無いことが判明し、3つの損傷を引き起こすこととなった[3]

1973年の秋にジャンパオロ・ダラーラがサスペンションジオメトリーを見直した[4]

レース戦績

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FX3Bは1973シーズンの序盤3戦で使用され、ハウデン・ガンレイナンニ・ギャリがドライブした。南アフリカグランプリではギャリが負傷で欠場したため、ジャッキー・プレトリウスがドライブしている。IRは第4戦のスペイングランプリで初登場した。予選は最後方に2台並び、決勝ではギャリが11位、ガンレイは燃料切れでリタイアした[7]。続くベルギー、モナコと連続して両名ともリタイアしている。ベルギーではギャリがエンジントラブル、ガンレイはスロットルがスタックしてクラッシュした[8]。モナコはガンレイが予選10番手となったが、両名ともハーフシャフトのトラブルでリタイアとなった[9]。ギャリはこのレースを最後にF1から引退した[10]

スウェーデングランプリではレースの前に新型の冷却システムが装着された[11]。ドライバーはギャリに代わってトム・ベルソが起用されたが、スポンサーマネーでシートを得、プラクティスでは最下位であった。ガンレイはウォームアップでクラッシュしたためベルソの車を使用し、11位で完走した。ベルソは出走できなかった[12]。フランスグランプリではアンリ・ペスカロロがチームに復帰したが、オーバーヒートのためリタイアした。ガンレイは14位で完走した[13]。イギリスグランプリではグラハム・マクレーが起用されたが、予選最下位となり決勝は1周目にスロットルの問題でリタイアした。ガンレイは予選18位、決勝は9位となっている[14]

ウィリアムズは引き続いてセカンドドライバーにペイドライバーを起用し、オランダグランプリではジィズ・ヴァン・レネップがシートを得た。決勝はロジャー・ウィリアムソンが事故死し影を落とすことになったが、ヴァン・レネップは2周遅れではあるが6位に入り、ガンレイは9位で完走した。このレースはイソ-マールボロがポイントを獲得した初のレースとなった[15]。ドイツグランプリでは再びペスカロロがステアリングを握った。ペスカロロは予選12位で決勝10位となるが、ガンレイはプラクティスでブレーキトラブルのため大きくクラッシュ、決勝は出走しなかった[16]。交換部品はすぐに製作され、同じシャシー番号「02」を与えられた。オーストリアグランプリでは再びヴァン・レネップが起用され、決勝を9位で完走した。しかしガンレイは10周遅れで非完走扱いとなった[17]。イタリアグランプリではガンレイは11周遅れで再び非完走扱いとなり、ヴァン・レネップはオーバーヒートでリタイアした[18]

カナダグランプリではヴァン・レネップに代わってティム・シェンケンが起用された。レースは非常にウェットな状態で開始され、後に多くの事故が発生し、フォーミュラ1の歴史上初めてセーフティカーが導入された[19]。F1で公式にセーフティーカーが導入されたのは1993年であるが、このレースで使用されたのはポルシェ・914で、ドライバーは元F1プライベーターであったエーピー・ウィーツェスであった[20]。ウィーツェスは先頭車両を確認するのを失敗し、誤ってガンレイの前に留まり、最終的に勝利したピーター・レブソンを含む何名かのドライバーは周回数を稼ぐことができた[21]。その後の混乱で、何名かはガンレイがリーダーだと考えたし、チーム・ロータスのマネージャーのコーリン・チャップマンを含む何名かはエマーソン・フィッティパルディがリーダーだと考えた。順位は混乱していたが、セーフティーカーが撤収したときにはガンレイのIRがレースをリードしていた。ガンレイはその後「彼らは私が先頭にいると思ったので、おそらくもっと試してそこに留まることにした。」と言い、そのままフィッティパルディとジャッキー・スチュワートを従えて8ラップ走行した[22]。両者に抜かれた後、ガンレイはスチュワート、マイク・ヘイルウッド、レブソン、ジェームス・ハントと最後までバトルを続けた。フィッティパルディがゴールラインを越えたが、チェッカーフラッグは振られなかった。フラッグはレブソンに振られ、ガンレイは6位に入賞、今シーズン彼にとって初であり、チームにとっては2度目のポイント獲得となった。シェンケンは5周遅れの14位であった[23]。ラップチャートはそれぞれ異なっていたが、ガンレイのガールフレンドが管理していたチームのチャートを含むいくつかはガンレイが勝利していたことを示唆していた。彼は後に「私は優勝か3位で終えるべきだと思った。」と語っている[24]

最終戦のアメリカグランプリではシェンケンに代わってジャッキー・イクスが起用され、イクスは7位、ガンレイは12位で完走した[25]。これはIRに取って最後のレースで、結局シーズンで2ポイントを獲得、ウィリアムズはコンストラクターズランキング10位となった。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1973年 イソ-マールボロ・IR フォード コスワース・DFV 3.0 V8 F ARG
 
BRA
 
RSA
 
ESP
 
BEL
 
MON
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
NED
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
10位 2
  ハウデン・ガンレイ Ret Ret Ret 11 14 9 9 DNS NC NC 6 12
  ナンニ・ギャリ 11 Ret Ret
  トム・ベルソ DNS
  アンリ・ペスカロロ Ret 10
  グラハム・マクレー Ret
  ジィズ・ヴァン・レネップ 6 9 Ret
  ティム・シェンケン 14
  ジャッキー・イクス 7

参照

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  1. ^ Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 253.
  2. ^ a b David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. 1994, S. 121.
  3. ^ a b Maurice Hamilton: Frank Williams. The inside story of the man behind Williams-Renault. 1998, S. 43.
  4. ^ a b Pierre Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2000, S. 558.
  5. ^ David Hodges: A-Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 113.
  6. ^ Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 255.
  7. ^ Grand Prix results, Spanish GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  8. ^ Grand Prix results, Belgian GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  9. ^ Grand Prix results, Monaco GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  10. ^ Small, Steve (1996). The Grand Prix Who's Who Volume Two. Enfield, Middx: Guinness. pp. 164. ISBN 0851126235 
  11. ^ 1973 Swedish Grand Prix”. Motor Sport. 30 December 2015閲覧。
  12. ^ Grand Prix results, Swedish GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  13. ^ Grand Prix results, French GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  14. ^ Grand Prix results, British GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  15. ^ Grand Prix results, Dutch GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  16. ^ Grand Prix results, German GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  17. ^ Grand Prix results, Austrian GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  18. ^ Grand Prix results, Italian GP 1973”. grandprix.com. 24 December 2015閲覧。
  19. ^ Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. p. 244. ISBN 0-85429-321-3 
  20. ^ Kathri, Tarun (2012年2月7日). “First ever Safety Car in Formula 1 : Rewind to 1973”. aaFormula1.com. 2015年4月3日閲覧。
  21. ^ Eppie Wietzes biography”. F1 Rejects. August 16, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。October 9, 2010閲覧。
  22. ^ 1973 Canadian Grand Prix”. 8W - Forix/Autosport. 30 December 2015閲覧。
  23. ^ Grand Prix results, Canadian GP 1973”. grandprix.com. 21 December 2015閲覧。
  24. ^ Jones, Dewis. “The Great Grand Prix Robbery”. Velocity Magazine. 2015年5月4日閲覧。
  25. ^ Grand Prix results, United States GP 1973”. grandprix.com. 21 December 2015閲覧。

参考文献

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  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • Maurice Hamilton: Frank Williams. The inside story of the man behind the Williams-Renault. Macmillan, London 1998, ISBN 0-333-71716-3.(ドイツ語)
  • David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.
  • David Hodges: A-Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • Pierre Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

外部リンク

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