オペラは踊る
『オペラは踊る』(オペラはおどる、原題・英語: A Night at the Opera)は、1935年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。
オペラは踊る | |
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A Night at the Opera | |
ポスター(1935) | |
監督 | サム・ウッド |
脚本 |
ジョージ・S・カウフマン モリー・リスキンド |
原案 | ジェームズ・ケヴィン・マクギネス |
製作 | アーヴィング・タルバーグ(クレジットなし) |
出演者 |
マルクス兄弟 キティ・カーライル アラン・ジョーンズ |
音楽 | ハーバート・ストサート |
撮影 | メリット・B・ガースタッド |
編集 | ウィリアム・レヴァンウェイ |
配給 | メトロ・ゴールドウィン・メイヤー |
公開 |
1935年11月15日 1936年4月16日 |
上映時間 | 96分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 イタリア語 |
製作費 | 105万7000ドル[1] |
配給収入 | 181万5000ドル[1] |
日本語訳によっては『オペラの夜』というタイトルでDVDが発売されたことがある[2]。
概要
編集マルクス兄弟のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)専属第一作であり、サム・ウッドが監督、キティ・カーライルとアラン・ジョーンズが共演した。前作『吾輩はカモである』の失敗からパラマウント社の契約を解除されたマルクス兄弟であったが、チコ・マルクスがMGM社の敏腕プロデューサー、アーヴィング・タルバーグとブリッジの遊び仲間であったことから、タルバーグの招へいでMGMに入社。総売り上げの15%をギャラとする破格の条件を手に入れた兄弟は、満を持して本作に取り掛かった。なお、この時点でゼッポ・マルクスがグループから脱退。以降、彼らは3人のユニットで活動する。
従来のマルクス兄弟に見られるアナーキーな面は影をひそめたが、楽しい音楽に笑いを加えた分かりやすさに、タルバーグの物心両面の援助や、制作の前に175回にわたる舞台巡業をして、ギャグシークエンスをふるいにかけるなどの丁寧な映画作りなどが功を奏して、マルクス兄弟最大のヒット作となった。特に船室に数えきれない人間が入り込むシーンは、バスター・キートンのアイデアによるもので[3]、そのナンセンスさからダリなどシュルレアリスムの芸術家から高く評価された[要出典]。
グルーチョ・マルクスは本作を自身の最高作としている[4]。
1993年、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
ロックバンド「クイーン」のアルバムのタイトル『オペラ座の夜 A Night at the Opera』は当映画に由来する。
あらすじ
編集イタリアのミラノで大富豪の未亡人をたらしこんで、オペラのアメリカ巡業の資金を手に入れた詐欺師のドリフトウッド。一座を率いて意気揚々とアメリカ行きの船に乗り込んだが、そこには無名歌手のひと癖ありそうなマネージャーと助手が入り込んでいて大騒動になる。一座は、ようようにしてアメリカに到着し、「イル・トロヴァトーレ」の公演の初日を迎える。
キャスト
編集- オーティス・B・ドリフトウッド:グルーチョ・マルクス
- フィオレッロ:チコ・マルクス
- トマッソ:ハーポ・マルクス
- ローザ・カスタルディ(ソプラノ歌手):キティ・カーライル
- リカルド・バローニ(テノール歌手):アラン・ジョーンズ
- ロドルフォ・ラスパッリ:ウォルター・ウルフ・キング
- ヘルマン・ゴットリーブ:シグ・ルーマン
- クレイプール夫人:マーガレット・デュモント
スタッフ
編集- 監督:サム・ウッド
- 製作:アーヴィング・タルバーグ(クレジットなし)
- 原案:ジェームズ・ケヴィン・マクギネス
- 脚本:ジョージ・S・カウフマン、モリー・リスキンド
- 音楽:ハーバート・ストサート
- 撮影:メリット・B・ガースタッド
- 編集:ウィリアム・レヴァンウェイ
- 美術:セドリック・ギボンズ
- 衣裳:ドリー・ツリー
- 録音:ダグラス・シアラー
劇中劇
編集- 『イル・トロヴァトーレ』(ジュゼッペ・ヴェルディ作曲)
評価
編集ランキング
編集脚注
編集- ^ a b The Eddie Mannix Ledger, Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study.
- ^ 『オペラの夜』2006年 。2023年3月6日閲覧。
- ^ “A Night at the Opera (1935)”. www.filmsite.org. 2024年6月4日閲覧。 “The Classic Stateroom Scene [Famed comedian Buster Keaton (the 'Great Stone Face'), as an MGM studio comedy/gag writer, contributed much of the content of this scene. He had performed a similar skit, a changing room scene, in one of his earlier films, The Cameraman (1928), his next-to-last silent comedy.]”
- ^ 小林 1983, 第四部 幼年期の終り;第二章 フリドニア讃歌;『我輩はカモである』作品分析.
- ^ 小林信彦「第四部 幼年期の終り 第二章 フリドニア讃歌」『世界の喜劇人』新潮社、2016年3月18日。
- ^ “The 100 funniest comedies of all time” (英語). Time Out Worldwide. 2022年12月24日閲覧。
参考文献
編集- P・D・ジマーマン 中原弓彦・永井淳 訳 『マルクス兄弟のおかしな世界』 晶文社 1972年 ISBN 4-7949-5620-7 C0074