オレンジ自由国

かつてアフリカ南部に存在した共和国
オラニエ自由国、オランイェ自由国
オランダ語: Oranje-Vrijstaat
アフリカーンス語: Oranje-Vrystaat
英語: Orange Free State
:en:Orange River Sovereignty 1854年 - 1902年 オレンジ川植民地
オレンジ自由国の国旗 オレンジ自由国の国章
(国旗) (国章)
国歌: Vrystaatse Volkslied
オレンジ自由国の位置
公用語 オランダ語
首都 ブルームフォンテーン
大統領
1854年 - 1855年 ヨジアス・フィリップ・ホフマン
1896年 - 1902年マルティヌス・タウニス・ステイン
面積
1875年約181,299km²
人口
1875年約100,000人
変遷
建国 1854年2月17日
ブラッド・リバーの戦い1838年12月16日
第二次ボーア戦争の勃発1899年10月11日
ブルームフォンテーン陥落1900年3月13日
フェリーニヒング和平条約1902年5月31日
通貨ポンド
現在南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国

オレンジ自由国(オレンジじゆうこく)、オラニエ自由国(オラニエじゆうこく)またはオランイェ自由国(オランイェじゆうこく)は、かつて南部アフリカに存在した共和国

地理

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オレンジ川ヴァール川に挟まれた地域に建てられた。なお、ヴァール川の対岸(北側)には、「ヴァール川の向こう」を意味するトランスヴァール共和国が建てられた。

国名の由来

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国名の「オレンジ(オランイェ)」は、南部国境を形成するオレンジ川にちなんだもの。そのオレンジ川という呼称は、オランダ王家のオランイェ=ナッサウ家に由来する。

歴史

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 ?南アフリカ共和国の旧国旗。オレンジ自由国の国旗は中央部にある3つの国旗デザインのうち中央。

1854年にボーア人(アフリカーナー)によって建国された。

1860年代以降、西部グリカランドキンバリーダイヤモンド鉱山が発見されると、白人の鉱山技師が大量に流入しはじめた。イギリスはこの技師たちの保護を大義名分としてオレンジ自由国を領有化する(この技師たちの中には、後にデ・ビアス社を創設するセシル・ローズも含まれていた)。

しかし、白人の待遇がアフリカーナーより遥かに悪いため、イギリスのケープ植民地への軍事力が大幅に増強され、1899年には第二次ボーア戦争をおこした。オレンジ自由国は激戦の末敗れ、1902年フェリーニヒング条約によってイギリス植民地になった。1928年から1994年までの南アフリカの国旗では、中央部にオレンジ自由国の国旗があしらわれていた。

1910年南アフリカ連邦の建国により行政区分に組み込まれ、オレンジ自由州オランイェ自由州)となった。1995年フリーステイト州(フレイスタート州)に名称変更され現在に至る。

経済

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自由州の産業は主に畜産農業であり、羊毛、皮、ダチョウの羽が主な輸出品であった。1875年には農場の数は6,000~7,000と推定された。鉱物資源として、石炭も豊富であった。ダイヤモンド鉱山も発見されていた。

関連項目

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