カフ県
カフ県はモルドバ南部の県であり、カフル県ならびにカグル県とも呼ばれる。県都はカグル [1]。
カフ県 Cahul | |||
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県 | |||
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国 | モルドバ | ||
県都 | カグル | ||
設立 | 1964年12月23日 | ||
政府 | |||
• 県知事 |
Avram Micinschi モルドバ共和国共産党 2011年~ | ||
面積 | |||
• 合計 | 1,546 km2 | ||
人口 (2014年) | |||
• 合計 | 124,700人 | ||
• 密度 | 80.8人/km2 | ||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 | ||
• 夏時間 | UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間) | ||
郵便番号 |
299 | ||
市外局番 | +373 39 | ||
車両番号 | CH | ||
ウェブサイト | http://www.cahul.md |
歴史
編集1425年から1447年の記録に、クリハナ・ヴェチェ、マンタ、ヴァレニ、スロボジア・マレ、ラルガ・ノウアの集落が残っている。
1770年8月1日、第一次露土戦争の中でカフ湖の近くでカグルの戦いが起き、ロシア帝国が勝利した。
1812年、第三次露土戦争の結果カフ県を含むベッサラビアはロシアに割譲され、住民のロシア化が進んだ。ロシア人、ウクライナ人、ブルガリア人、ガガウズ人が入植した。
1856年、クリミア戦争の結果この地域はルーマニアに割譲された。
1878年、露土戦争の結果この地域はロシア帝国に割譲された。
1917年、ロシア革命によってベッサラビアはルーマニアに割譲された。この地域はカフ郡の中心になった。
1940年、独ソ不可侵条約によってベッサラビアはソ連に占領された。
1991年、モルドバが独立し、カフ郡が設置された。
2003年、カフ県が設置された。
地理
編集カフ県はモルドバ南部に位置する。カフ県にはジュルジュレシュティと呼ばれる地域が在り、当該エリアは同国の自由経済区となっている。この場所はモルドバ最南端に位置し、ドナウ川の下流部に接することや同国唯一の水運港「ジュルジュレシュティ港」[3]が在ることでも知られている。
北から時計回りに
に接する。
標高は北のティゲチ高原が約240m、ドナウ川で約5mである。都市化率は31.9%。
気候
編集- 典型的な大陸性気候
- モルドバで最も乾燥し最も暑い
- 他の県より2~3℃暑い
- 年間平均降水量は400~550mm
民族
編集民族 | 人口 | %* |
---|---|---|
モルドバ人 ルーマニア人 |
93,096 | 78.08% |
ウクライナ人 | 7,842 | 6.58% |
ロシア人 | 7,702 | 6.46% |
ブルガリア人 | 5,816 | 4.88% |
ガガウズ人 | 3,665 | 3.07% |
ロマ | 237 | 0.20% |
その他 | 873 | 0.72% |
宗教
編集政治
編集- 第1党:モルドバ共和国共産党:37.8%
- 第2党:モルドバ自由民主党:33.1%
- 第3党:モルドバ民主党:11.7%
2010年の県議会選挙
- 第1党:欧州統合同盟:54.8%
- 第2党:モルドバ共和国共産党:37.8%
観光
編集脚注
編集- ^ “Cahul.org”. March 22, 2012閲覧。
- ^ "Number of resident population in the Republic of Moldova as of 1st January 2014, in territorial aspect" (Press release). National Bureau of Statistics of Moldova. 17 March 2014.
- ^ “唯一の国際河川港、ロシア・中央アジア・アジアにも物流拡大へ”. JETRO. (2019年6月20日) 2020年3月2日閲覧。