カランタニア(スロベニア語:Karantanija)とは、マジャル人の侵攻に対して堅固な障壁を造るため、西暦952年オットー1世アドリア海ドナウ川ポー川の間に設けた公国である。大カランタニア公国とも呼ばれる。カランタニア公国の寿命は短かった。この公国は神聖ローマ帝国内の自治国であったが、統治はオットー1世の近親者や忠実な家臣が行っていた。やがてカランタニア公国の諸侯たちは神聖ローマ帝国の支配下を離れ、それぞれが自由に統治を行うようになった。そのためカランタニア公国はいくつもの小国に分裂した[1]

脚注

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  1. ^ ユーゴスラヴィア史. 株式会社 白水社. (1973年2月5日). pp. 17~18 

関連項目

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