サン=ルイ島
セーヌ川の中洲
サン=ルイ島 (サン=ルイとう、仏: île Saint-Louis) は、フランス・パリの中心部を流れるセーヌ川の中州である。パリ4区に属し、シテ島と並んで、「パリ発祥の地」とも称される。ノートルダム大聖堂のあるシテ島のセーヌ川上流、東側(ノートルダム大聖堂の後ろ側)に位置している。
サン=ルイ島 île Saint-Louis | |
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サン=ルイ島(トゥルネル橋からの眺望) | |
所在地 | フランス・パリ |
所在海域 | セーヌ川 |
座標 | 北緯48度51分06秒 東経2度21分23秒 / 北緯48.85167度 東経2.35639度 |
面積 | 0.11 km² |
人口 | 2,323人(2016年) |
プロジェクト 地形 |
古くから貴族や著名人が邸宅を構える高級住宅街として知られ、世界的大富豪ロスチャイルド家も邸宅を所有していた(現在はカタールの王族に売却)。日本人では女優の岸恵子が住む。
名前の由来は聖王ルイ(サン・ルイ)である。ただし、彼が建てたサント・シャペルは下流のシテ島にある。また、フランス革命期には「友愛島」(le de la Fraternité) と改称されたこともある。
観光名所
編集- ヴェルサイユ宮殿建設にも従事したバロック建築の建築家ルイ・ル・ヴォーが手がけた建築物群
- サン=ルイ=アン=リル教会 (fr:Église Saint-Louis-en-l'Île)
- ロザン邸 (en:Hôtel de Lauzun)
- ル・ヴォー邸 (Hôtel Le Vau)
- ランベール邸 (fr:Hôtel Lambert)
- ブルトンヴィリエの離れ (:fr:Le pavillon de Bretonvilliers)
- シュニゾ邸 (fr:Hôtel Chenizot)
- パリの有名なアイスクリーム屋ベルティヨンは、サン=ルイ=アン=リル通り29番地から31番地に店を出している。
サン=ルイ島とつながっている橋
編集この島に渡れる橋は以下の5本である。
サン=ルイ島にゆかりのある有名人
編集- ポール・セザンヌ - 画家。サン=ルイ島のケ・ダンジュー (アンジュー河岸通り、Quai d'Anjou) 15番地に居住。
- シャルル・ボードレール - 詩人。6区オートフイーユ通り (Rue Hautefeuille) 13番地生まれ。1842年から1845年までサン=ルイ島に住んでいた。ル・ルグラティエ通り (Rue Le Regrattier) 6番地に居住。また、ケ・ダンジュー15番地にも一時居住。
- カミーユ・クローデル - 女性彫刻家。1899年から1913年までケ・ド・ブルボン (ブルボン河岸通り、Quai de Bourbon) 17-19番地のジャソー館 (Hôtel de Jassaud) 1階にアトリエがあった。同館17番地箇所は歴史的記念物。
- レオン・ブルム - 政治家・首相。14区モンパルナス大通り (Boulevard du Montparnasse) 126番地のほか、フランス人民戦線期にケ・ド・ブルボン25番地に住んでいた。その邸宅は元は1662年に国王ルイ14世の秘書官だったアントワーヌ・モロー (Antoine Moreau) のものだった。
- ヘレナ・ルビンスタイン - 実業家、化粧品会社・ビューティサロン経営者。1934年、買い取ったケ・ド・ベチュヌ (Quai de Béthune) 24番地の歴史的記念物エスラン館 (Hôtel d'Hesselin) を建て替えた。
- ジョルジュ・ポンピドゥ - 政治家・大統領・首相。同上建て替えられたケ・ド・ベチュヌ24番地建物に居住し、1974年に最期を迎えた。慈善家で妻のクロード (Claude Pompidou [1]) も2007年に同館で死去。
- ルイ・ド・フュネス - 世界的に著名なフランスの国民的喜劇王。同上ケ・ド・ベチュヌ24番地建物にアパルトマンを所有していた。また、姉マリア・ド・フュネス (Maria de Funès) が1993年に亡くなるまでおよそ20年間サン=ルイ島ブタレル通り (Rue Boutarel) 界隈に住んでいた。
- クロード・モーリアック - 作家。ノーベル文学賞作家フランソワ・モーリアックの子。同上ケ・ド・ベチュヌ24番地建物に亡くなるまで居住。
- マルト・ビベスコ - 作家、ルーマニア"ワラキア大公妃"。ボヤールのビベスコ家 (en, fr)、ワラキア大公 (en)ゲオルゲ (fr) の孫ジョルジュ (fr) の妻。夫ジョルジュが1941年に死去、故国が共産化したため1948年から1973年までサン=ルイ島ケ・ド・ブルボン (Quai de Bourbon) 45番地に住んでいた。同45番地は1919年-2004年までビベスコ家の所有で、娘プリシーラが2004年に亡くなるまで、他に外交官アントワーヌ・ビベスコがパッシーや同45番地に居住した。
- ナンシー・キュナード(英女性詩人、前衛芸術家、反差別政治運動家) - 英船舶会社キュナード・ライン相続人の英上流階級 (en) の出。ベル・エポック後の狂騒の20年代におけるルイ・アラゴンやトリスタン・ツァラ、エズラ・パウンドら各著名詩人のミューズ。1920年代、サン=ルイ島ル・ルグラティエ通り (Rue Le Regrattier) に居住し[2]、1930-1934年の間、パリ6区ゲネゴ通り (Rue Guénégaud) 15番地で出版社アワーズ・プレス(Hours Press)を経営した[3]。
- マリ・キュリー - 化学者。1912年から1934年までサン=ルイ島に住んでいた。
- ルネ・ゲノン - サン=ルイ島に住んでいた。
- アルーン・タジェフ - 地質学者・火山学者。サン=ルイ島に住んでいた。
- ジョルジュ・ムスタキ - 歌手。サン=ルイ島に住んでいた。
- クロード・サロート - 女性ジャーナリスト。16区に生まれ、サン=ルイ島にも住む。
- パスカル・セヴラン - テレビ番組司会者・シンガーソングライター。サン=ルイ島に住んでいた。
- 岸恵子 - 日本の女優。結婚以来、日本を離れサン=ルイ島に居住
- ランベール館 (Hôtel Lambert) 居住者
- シャトレ侯爵夫人 - 数学者、物理学者。ランベール館 (Hôtel Lambert) に居住。
- アダム・イエジィ・チャルトリスキ(ポーランド貴族のチャルトリスキ公爵)
- アルトゥロ・ロペス・ウィルショー
- チリ人の億万長者実業家。両性愛者。第二次世界大戦後ランベール館を各室アパルトマンに分けて分譲賃貸。死去時に居住していたヌイイ=シュル=セーヌの館は、市が買い取り博物館 (Musée des automates) に改装。
- アレキシス・ ド・レデ
- 第3代ローゼンベルグ=レデ男爵アレクス・フォン・ローゼンベルク=レデ (Oskar Dieter Alex von Rosenberg-Redé, 3rd Baron von Rosenberg-Redé)。オーストリア=ハンガリー帝国出身ユダヤ系一族の銀行家。耽美主義者。上記ウィルショーと共にランベール館に居住。
- モナ・フォン・ビスマルク(ソーシャライト、ファッションアイコン)
- ケンタッキー州出身の米国人。生涯5度結婚し、4度目にドイツの"鉄血宰相"オットー・フォン・ビスマルク侯の孫アルブレヒト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン伯(Count Albrecht von Bismarck-Schönhausen (1903–1970年))と結婚(1955-1970年)。シャネルやマドレーヌ・ヴィオネ、ランバン等による"ザ・ベスト・ドレッスド・ウーマン"にアメリカ人では最初に選ばれ、雑誌「ヴァニティ・フェア (Vanity Fair)」の"International Best Dressed List" 等にも掲載。バレンシアガのミューズ。サン=ルイ島のランベール館の一室(アパルトマン)、その後5番街やイエナ橋近く16区ニューヨーク大通り34番地、イタリアカプリ島等に居住。1983年の死後、16区のタウンハウスは米人アーティスト等のパリ居住を支援する財団になり、さらに米文化紹介のモナ・ビスマルク・アメリカン・センター (Mona Bismarck American Center) になる。
- ミシェル・モルガン - 女優。ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ、ランベール館の一室に居住。
- ギー・ド・ロチルド - パリ・ロチルド家当主の銀行家。ランベール館を購入し、後年下記カタール王族アブドッラー・ビン・ハリーファに売却。
- アブドッラー・ビン・ハリーファ・アール=サーニー - カタール王族、元カタール首相。
脚注
編集- ^ 1968年10月、アラン・ドロンのボディガードであったステファン・マルコヴィッチが射殺体で発見された事件(マルコビッチ事件、L'affaire Marković)では、アランとナタリー・ドロン夫妻のほか、クロードら大統領夫妻も巻き込まれた。同事件は迷宮入りした。
- ^ Nancy Cunard: Heiress, Muse, Political Idealist Lois G. Gordon, Professor Lois Gordon, Columbia University Press, 2007. 118 p
- ^ he Golden Moments of Paris: A Guide to the Paris of the 1920s John Baxter, Museyon, 2014/03/01. 233 p