タカマガハラは、日本競走馬である。地方競馬デビューながら1961年天皇賞(秋)を制し、オンスロートホマレボシシーザーとともに1957年生まれの4強に数えられた。

タカマガハラ
アメリカで調教中のタカマガハラ(1962年)
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1957年4月22日
死没 不明(1978年以降)
クリノハナ
クモゼキ
生国 日本の旗 日本長野県諏訪市
生産者 霧ヶ峰牧場
馬主 平井太郎
調教師 不明
小西喜蔵東京
競走成績
タイトル 最優秀5歳以上牡馬(1961年)
生涯成績 51戦10勝[注 1]
地方)15戦3勝[注 1]
中央)35戦7勝[1]
(海外)1戦0勝
獲得賞金 2401万6275円(中央競馬のみ)
勝ち鞍
八大競走 天皇賞 (秋) 1961年
重賞 東京杯 1961年
重賞 東京記念 1961年
重賞 目黒記念 (秋) 1961年
重賞 アメリカJCC 1962年
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船橋競馬場から遥かアメリカのローレル競馬場を駆け抜けた昭和時代高度経済成長期における地方競馬出身の名馬であった。

経歴

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誕生

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1957年に誕生。生産者は長野県諏訪市の霧ヶ峰牧場で、大井競馬場の大山末治調教師[注 2]が同1957年に開設したばかりであった[3]。母クモゼキは父クリノハナの繋養地である千葉県(大東牧場)で交配し、しばらくの間船橋競馬場に滞在。そのまま船橋競馬場でタカマガハラを出産したのち親子で霧ヶ峰牧場に戻ったとされる[4][注 3]

戦績

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1959年、3歳で川崎競馬場でデビュー。初戦は12頭立ての4着[要出典][注 1]。この年の南関東地方競馬オンスロートが強く、タカマガハラは全日本3歳優駿でもオンスロートに大差で離された3着で終わっている。因みに、この年の全日本3歳優駿の1着賞金は70万円で、コダマが優勝した阪神3歳ステークスと同額であった。

4歳春まで南関東に在籍して15戦3勝[注 1]の成績で中央入りしたタカマガハラは、4戦叩いて日本ダービーに挑戦したが、結果はコダマのレコード駆けの前に10着敗退に終わった。結局、4歳時の中央での成績は僅か1勝のみであった。

しかし、5歳時からいよいよ本格化を迎える。この年は10月15日に行われたオールカマーまで9戦2勝で2着が5回。しかも4着以下に落ちた事が一度も無かった。目黒記念(秋)優勝の勢いを駆って向かった天皇賞(秋)では、遅れて中央入りしたオンスロートと舞台を変えての再戦となった。そしてレースでは地方時代4戦全敗だったオンスロートに1/2馬身差で競り勝ち、天皇賞を制したのである。同年の有馬記念でも2着に入り、3着となったオンスロートに再び先着している。

6歳、アメリカジョッキークラブカップ等2勝2着3回の強さを見せると、ワシントンDCインターナショナルへ挑戦する。日本馬として初の出走となった1962年のワシントンDCインターナショナルは、マッチケルソキャリーバックザペッグ[注 4]等の各国の強豪が揃う中で13頭中10着の結果に終わった。

帰国後は有馬記念に出走するも、この年はオンスロートに敗れて2年連続の2着。7歳(1963年)初戦のアメリカジョッキークラブカップで4着に入ったのを最後に引退となった。

引退後

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引退後は種牡馬となるが、産駒成績が振るわず1967年に廃用[7]。去勢され函館競馬場誘導馬となった。

誘導馬を引退した後は霧ヶ峰牧場で余生を過ごしており、少なくとも1978年の夏には同牧場で生存していたことが確認されている[8]。数少ない産駒の子孫から1987年安田記念優勝馬フレッシュボイス(母の母の父がタカマガハラ)を出している。

主な産駒と勝鞍

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  • ユウサブ(1971年・寿賞(700万下・芝2000メートル)、1970年長距離ステークス(600万下・芝2400メートル)など9勝)[9]
  • マテンロウ(1967年・有明特別(200万下・芝1800メートル)など3勝)[10]
  • カミタチバナ(地方名タカミナト)中央平地2勝・障害2勝、地方2勝[11] [12]
  • トミリュウ(アングロアラブ)1967年アラブ特別(100万下・ダート2000メートル)など中央6勝[14]

競走成績

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太字は八大競走勝ち鞍。

血統表

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タカマガハラ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブランドフォード系
[§ 2]

クリノハナ
1949 栗毛
父の父
*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
父の母
オホヒカリ
1943 栗毛
月友 Man o'War
*星友
*アイリツシユアイズ Treclare
Liena

クモゼキ
1949 栗毛
*ダイオライト
Diolite
1927 黒鹿毛
Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needlepoint
母の母
第二カナデアンガール
1937 鹿毛
*トウルヌソル Gainsborough
Soliste
*カナデアンガール Argosy
Belle of the West
母系(F-No.) カナデアンガール系(FN:2-r) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [15]
  2. ^ [15]
  3. ^ [15][16]
  4. ^ [15]


母クモゼキは1952年の春にデビューして2勝、秋から地方競馬に転出[17]。1955年のキヨフジ記念で3着に入っている[18] 。 祖母の第二カナデアンガールは競走名クモゼキ(母と同名異馬)。1941年の阪神記念を春秋連覇し[17]、翌年の帝室御賞典 (春)で5着に入った[19]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c d e 地方での戦績を14戦3勝とする資料もある[1][6]。この場合、初戦は同年7月30日の大井競馬場(4頭立て2着)、通算戦績は50戦10勝となる[1]
  2. ^ 野平省三(野平祐二の父)の弟子筋に当たる人物である。後に大山調教師はタカマガハラ生産の功績により、1961年の東京競馬記者クラブ賞を受賞している[2]
  3. ^ クモゼキが船橋競馬場で過ごした期間について、「公営競馬の馬資源の不足から母のクモゼキはタカマガハラを受胎した状態で船橋競馬場にて現役競走馬として走らされており、その中でタカマガハラは船橋競馬場の馬房で誕生した」とするもの[5]もある。
  4. ^ Zabieg、ソビエト連邦のダービー馬。

出典

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  1. ^ a b c 『日本の名馬・名勝負物語』2版 pp.228-229
  2. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1962年3月号
  3. ^ 『ミチューリン農業』300号 p.1
  4. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』2版 pp.223-224
  5. ^ 『競馬名馬読本2』pp.128-129
  6. ^ 日刊競馬で振り返る名馬 - オンスロート(1962年・有馬記念)”. 日刊競馬. 2024年6月30日閲覧。
  7. ^ 『中央競馬年鑑 昭和45年』p.299
  8. ^ 『競馬名馬読本2』pp.132-133。同書の133ページには霧ヶ峰牧場で放牧されているタカマガハラの写真が掲載されている。
  9. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、ユウサブ基本情報、2021年11月2日閲覧。
  10. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、マテンロウ基本情報、2021年11月2日閲覧。
  11. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、タカミナト基本情報、2021年11月2日閲覧。
  12. ^ netkeiba.comカミタチバナ。2021年11月2日閲覧。
  13. ^ netkeiba.comタカホマレ。2021年11月2日閲覧。
  14. ^ netkeiba.comトミリュウ。2021年11月2日閲覧。
  15. ^ a b c d タカマガハラの血統表|競走馬データ”. netkeiba.com. 2024年6月30日閲覧。
  16. ^ タカマガハラの血統表|競走馬データ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2024年6月30日閲覧。
  17. ^ a b 『名牝の系譜』pp.45-46
  18. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、クモゼキ基本情報、2024年6月30日閲覧。
  19. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、第二カナデアンガール基本情報、2024年6月30日閲覧。

参考文献

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  • 『競週地方競馬』1962年3月号、啓衆社。
  • 『中央競馬年鑑 昭和45年』日本中央競馬会、1971年。
  • 『競馬名馬読本2 - 個性馬たちのバトルロイヤル』宝島社、1994年。
    • 中田潤「タカマガハラ - 神国ニッポン、17年目の逆襲」
    • 大渕文明「内国産種牡馬の暗黒時代!」
  • 岡田光一郎『名牝の系譜』中央競馬サービスセンター、1964年。
  • 鎌田管仲「名馬はミ主義から」『ミチューリン農業』300号、日本ミチューリン会、1962年4月、1頁。
  • 山野浩一「マル特の名馬たち」『日本の名馬・名勝負物語』2版、中央競馬ピーアール・センター、1980年、219-245頁。

外部リンク

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