ドゥーエー包囲戦 (1667年)
ドゥーエー包囲戦(ドゥーエーほういせん、フランス語: Siège de Douai)は、ネーデルラント継承戦争中の1667年6月30日から7月4日にかけて行われた包囲戦。
ドゥーエー包囲戦 | |
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1667年7月のドゥーエー包囲戦におけるルイ14世、アダム・フランス・ファン・デル・メーレン作、1672年頃。 | |
戦争:ネーデルラント継承戦争 | |
年月日:1667年6月30日 - 7月4日 | |
場所:スペイン領ネーデルラント、ドゥーエー | |
結果:フランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | スペイン王国 |
指導者・指揮官 | |
ルイ14世 セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(戦傷) |
オスティシェ領主ジャン=フィリップ=ルネ・ディヴェ(Jean-Philippe-René d’Ive, seigneur d’Ostiches) |
戦力 | |
兵士200 武装した平民数千(ブルジョワ民兵と学生) | |
経過
編集トゥルネー包囲戦の後、フランス王ルイ14世はデュラス伯爵(Duras)にドゥエー(ドゥーエー)の包囲を命じた。フランス軍は7月3日に砲撃を開始、翌日には溝と外壁を越えて半月堡まで着いた。ドゥエーの守備軍は同日に降伏した。
セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンはこの包囲戦で左頬にマスケット銃撃を受けて傷跡を残した[1]。
脚注
編集- ^ Toudouze, Georges-Gustave (1954). Berger-Levrault. ed. Monsieur de Vauban. p. 47
参考文献
編集- Gavard, Charles (1839). Galeries historiques du Palais de Versailles. 2. p. 96