ナタリー・トージア
ナタリー・トージア(Nathalie Tauziat, 1967年10月17日 - )は、フランスの女子プロテニス選手。1998年のウィンブルドン女子シングルス準優勝者。2001年の全米オープン女子ダブルスで、キンバリー・ポー・メッセーリ(アメリカ)とペアを組んだ準優勝もある。身長165cm、体重63kgと小柄な体格の選手で、独特な片手打ちのバックハンド・スライス(逆回転のボール)とネット・プレーを最も得意にした。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス25勝を挙げた。ウィンブルドン準優勝の後、30歳を過ぎてから世界ランキングトップ10に定着した、女子プロテニス界では遅咲きの選手だった。
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基本情報 | ||||
国籍 | フランス | |||
出身地 | 中央アフリカ・バンギ | |||
生年月日 | 1967年10月17日(57歳) | |||
身長 | 165cm | |||
体重 | 63kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1984年 | |||
引退年 | 2003年 | |||
ツアー通算 | 33勝 | |||
シングルス | 8勝 | |||
ダブルス | 25勝 | |||
生涯通算成績 | 1131勝691敗 | |||
シングルス | 606勝365敗 | |||
ダブルス | 525勝326敗 | |||
生涯獲得賞金 | 6,650,093 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1993) | |||
全仏 | ベスト8(1991) | |||
全英 | 準優勝(1998) | |||
全米 | ベスト8(2000) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(1993) | |||
全仏 |
ベスト4(1990・94・97・ 99・2000) | |||
全英 | ベスト4(2001) | |||
全米 | 準優勝(2001) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 3位 | |||
ダブルス | 3位 | |||
トージアは中央アフリカ共和国の首都・バンギで生まれ、8歳まで当地で過ごした。4大大会初出場は16歳の時で、1984年の全仏オープンであった。地元の同大会では、7年後の1991年に出したベスト8進出が自己最高記録である。この時は4回戦で日本の沢松奈生子選手に 7-5, 2-6, 12-10 で競り勝ったが、続く準々決勝でシュテフィ・グラフに 3-6, 2-6 で完敗した。(トージアはグラフには「21戦全敗」で、1セットも取れなかった。)
ウィンブルドンでは1992年、1997年にベスト8進出があり、1998年に30歳で初の決勝進出を果たす。これはフランスの女子テニス選手として、1925年のスザンヌ・ランラン以来「73年ぶり」の進出であった。その決勝戦ではヤナ・ノボトナに 4-6, 6-7 のストレートで敗れて準優勝になった。その後もウィンブルドンでは、1999年と2001年にベスト8進出がある。トージアのプレー・スタイルは、ウィンブルドン選手権で最大の威力を発揮した。
女子国別対抗戦・フェドカップでのフランス代表としての活動歴も長く、1997年のワールド・グループ1回戦でトージアは東京・有明コロシアムで沢松と再び 7-5, 4-6, 17-15 の激闘を戦っている。フランス・チームはこの年にフェドカップ初優勝を果たした。ところが2000年4月、トージアは『女子テニス界の裏側』という題名の暴露本を出版する。この著書にフランスのチームメートへの批判的な内容も含まれていたことで、彼女は同年のシドニー五輪のフランス代表を外された。
トージアは2001年のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、最後の4大大会シングルス出場となった同年の全米オープンは4回戦進出で終わった。ダブルスでは2003年まで現役を続行し、最後の試合出場は2003年全仏オープンの女子ダブルス1回戦であった。
2005年1月、長年のテニス界への貢献に対しレジオンドヌール勲章が授与された。