ピエロ・リアッティ
ピエロ・リアッティ(Piero Liatti、1962年3月7日 - )は、イタリアビエッラ出身のラリードライバーである。ターマックを得意としている。
ピエロ・リアッティ | |
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基本情報 | |
国籍 | イタリア |
生年月日 | 1962年3月7日(62歳) |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1990年 - 2004年 |
所属チーム | スバル、フォード、セアト、ヒュンダイ |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 1 |
表彰台回数 | 9 |
ステージ勝利数 | 72 |
通算獲得ポイント | 162 |
初戦 | 1990 ラリー・サンレモ |
初勝利 | 1997 ラリー・モンテカルロ |
最終勝利 | 1997 ラリー・モンテカルロ |
最終戦 | 2004 ラリー・サルディニア |
略歴
編集1991年ヨーロッパラリー選手権(ERC)のチャンピオンでもある。
ランチアで世界ラリー選手権 (WRC) にデビューしたのちに、所属していたARTチームが92年にランチアからスバルに切り替えた。1994年にスバルワークスがミシュランからピレリにタイヤを変更したことで、ピレリとスバルの双方を知り尽くしていた事と、カルロス・サインツの推薦で94年にワークス入り。[1]1997年の開幕戦モンテカルロで、ワールドラリーカーの初優勝(インプレッサWRC)を記録しターマックラリー要員として出場した。1999年までに残留を希望したが、それも叶わずにスバルを後にした。
その後は2001年までに、フォード(2戦のみの契約)やヒュンダイへの移籍を繰り返していた。2003年と2004年は、プジョーでラリー・サンレモ一戦のみの出場を果たしたが、ポイントは得られずに終わりWRCからの引退を表明した。
引退後は、クラシックラリーに出場している。
人物
編集- ターマックラリーを中心に出場してきたが故に、ラリー・スウェーデンやラリー・フィンランドといった北欧ラリーやラリー・オーストラリアやラリー・ニュージーランドといったオセアニアのラリーはスキップしている。
- ミシェル・ムートンのコ・ドライバーであったファブリツィア・ポンスとは相性が良い。
脚注
編集- ^ 『RALLY CARS Vol.13 SUBARU IMPREZA 555』三栄。