フランシス・ホジソン・バーネット

1849-1924, イギリス出身のアメリカの小説家、劇作家。

フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット[1]Frances Eliza Hodgson Burnett, 1849年11月24日 - 1924年10月29日)は、イギリス生まれのアメリカ合衆国小説家劇作家バーネット夫人 (Mrs. Burnett) とも呼ばれる。

フランシス・ホジソン・バーネット
Frances Hodgson Burnett
誕生 フランシス・イライザ・ホジソン
Frances Eliza Hodgson
1849年11月24日
イギリスの旗 イギリスマンチェスター
死没 (1924-10-29) 1924年10月29日(74歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州プランドーム
職業 小説家劇作家
国籍 イギリスの旗 イギリスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
代表作小公子』(1886年)
『セーラー・クルー』(1888年)
↓改題
小公女』(1905年)
秘密の花園』(1911年)
消えた王子』(1915年)
デビュー作 『心とダイヤモンド』(1868年)
配偶者 スワン・バーネット
子供 ライオネル
ヴィヴィアン
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生涯

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フランシス・イライザ・ホジソンはイギリスマンチェスターに生まれたが、幼い頃に父を亡くし、1865年、16歳で一家とともにアメリカテネシー州ノックスヴィルへと移住した。1868年、女性向け月刊雑誌『ゴーディズ・レディース・ブック』(Godey's Lady's Book)に『心とダイヤモンド』(Hearts and Diamonds)を発表する。1873年に医者のスワン・バーネット(Swan Burnett)とワシントンD.C.で結婚し、ライオネル(成人前に病死)とヴィヴィアンの2人の男の子をもうける。

1886年には『小公子』(Little Lord Fauntleroy)を雑誌『セント・ニコラス』(St. Nicholas Magazine)に発表する。児童向けとして書かれた本であったが、19世紀末当時の母親たちに大いに人気を博し、50万部を売り上げた。その影響により、バーネットの次男ヴィヴィアンをもとにした主人公セドリック・エロルのロングカールの髪型と、オスカー・ワイルドの正装をもとにしたレースの襟がついたベルベットのスーツ、通称「フォントルロイ・スーツ」が大流行した。

1888年、『セーラ・クルー』(Sara Crewe)を発表。この作品は1905年に『小公女』(A Little Princess)と改題されて書き直された。

1890年代半ばからは主にイングランドに居住したが、1905年にアメリカ合衆国の市民権を取得し、1909年に米国へ戻った。1911年、『秘密の花園』(The Secret Garden)を発表するが、生前のうちは反響が大きくなかった。1915年に『消えた王子』を発表。

ニューヨーク州プランドームPlandome)で余生を送り、同地にて死去した。

伝記

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  • アン・スウェイト『秘密の花園の向こうへ フランシス・ホジソン・バーネットの生涯』
山内玲子訳、国書刊行会、2024年
  • 川端有子『小説家フランシス・ホジソン・バーネット』玉川大学出版部、2021年

脚注

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  1. ^ ドラマ『小公女セイラ』のナレーション(渡辺真理)ではフランシス・エリザ・ホジソン・バーネットと呼んでいる。

外部リンク

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