ブダ
ハンガリーの首都ブダペストの西側部分
ブダ(Buda)は、ハンガリーの首都ブダペストの西側部分で、ドナウ川の西岸に位置する。ブダという名称は、フン族の王ブレダの名に由来するが、それは彼の名がハンガリー語でブダだからである。ドイツ語ではオーフェン(Ofen)と呼ばれた。
ブダは、ブダペスト全体の約1/3を占め、その大部分は木の生えた丘陵である。高い生活水準と結びつけて考えられることが多いが、これはそれぞれの地域による。ランドマークとして、ブダ城とゲッレールトの丘のツィタデッラ(城塞)が名高い。
歴史
編集ブダは1361年からオスマン帝国に占領される1541年までハンガリーの首都であった。1536年にポジョニ(現在のスロバキアの首都ブラチスラヴァ)がハンガリーの新しい首都となった。1686年に大トルコ戦争でオーストリア軍によって占領されたが、戦争で荒廃していたので、街への再移住を促進するため、多数のドイツ人が連れてこられた。ブダは1703年に自由都市と宣言され、1784年に再びハンガリーの首都となった。1873年にオーブダおよびペスト(ペシュト)と統合され、ブダペストとなった。
人口の推移
編集1715年のデータによれば、ブダ住民の住居は1,539軒で、そのうち769軒が南スラブ人(大部分がセルビア人)、701軒がドイツ人、そして68軒がハンガリー人であった。[1]1720年のデータによれば、1,468軒に人口約30,000人を数えるのみであり、そのうち851軒がドイツ人で、559軒が南スラブ人(大部分がセルビア人)、68軒がハンガリー人、そして5軒がスロバキア人であった。[2]