仏陀

仏教における完全に霊的に目覚めた状態
ブッダから転送)

仏陀(佛陀、ぶつだ[1]、ぶっだ[2]: बुद्धBuddha(ブッダ))は、(ぶつ)やほとけとも称され[2]悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した釈迦を意味する[1][2]

銅造阿弥陀如来坐像(神奈川県鎌倉市高徳院・鎌倉大仏)
仏陀の座像(石窟庵新羅時代)

ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する[3]。しかし釈迦の死後、初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人が仏陀とされるようになった[4]。初期の大乗経典でも燃燈仏過去七仏や、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている[4]

原語と音写語

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原語

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ブッダ(: Buddha)は、サンスクリット語の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ(: budh)の過去分詞形で[5]、「目覚めた者」[6][4]や「真理、本質、実相を悟った人」[4][7]、「覚者」・「智者」と訳す[1]。「正覚者」のことであり[4]、聖人・賢者をブッダと呼ぶようになった[5]。buddhaの語はインドでは、もとは諸宗教を通じて使われたものであり、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラもこの名で呼ばれたことがある[2]

音写語

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ブッダの名称は、中国に伝えられた当初、その音を写して(音写して)「浮屠(ふと)」「浮図(ふと)」などの漢字が当てられた[8]。またのちに、ブッダが別に仏陀(佛陀)と音写されることが増え、玄奘(602~664年)以降に固定する[8]。より古い時代に、末尾の母音の脱落などがあり「ブト」と省略され、それに「仏(佛)」の音写が当てられた[8]との考え方もある[注釈 1]

諸橋轍次[注釈 2]は、「佛」の字を「人であって人でない(人を超えている)」と解した[8]

仏陀の範囲

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ジャイナ教の文献にはマハーヴィーラを「ブッダ」と呼んだ形跡があるが、仏教ではマハーヴィーラを仏陀とは認めていない。

しかし時代を経ると、他方世界という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。

多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。悟りを得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教を含む沙門宗教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではない。

仏陀への信仰

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釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。

釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかった。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、2019年現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。ただし、死後300年を過ぎてから作られはじめたので実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。

十号

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仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを十号という。

  1. 如来(にょらい、: tathāgata) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。真実に達した者[4]
  2. 応供(おうぐ、: arhat) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
  3. 明行足(みょうぎょうそく、: vidyācaraṇa-saṃpanna) - 宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。
  4. 善逝(ぜんぜい、: sugata) - 智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
  5. 世間解(せけんげ、: lokavid) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。
  6. 無上士(むじょうし、: anuttara) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。
  7. 調御丈夫(じょうごじょうぶ、: puruṣadaṃyasārathi) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
  8. 天人師(てんにんし、: śāstā-devamanuṣyāṇāṃ) - 天人の師となる者。
  9. (ぶつ、: buddha) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
  10. 世尊(せそん、: bhagavat) - 福徳あるひと。幸いあるもの[4]

日本語の「ほとけ」

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ブッダが漢字に音写された「浮屠(ふと)」、「浮図(ふと)」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた[8]と言われる。一方、古代朝鮮語の*Pwutukye(中世朝鮮語形は부텨(Pwuthye))や満州語ᡶᡠᠴᡳᡥᡳ(Fucihi)との関連性も指摘されている[9][10]

日本では「ほとけ」は、死者またはそのをも意味する[11]。ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、日本中世以降、死者をまつる器として(ほとき)が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある[12]。しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、仏教が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと(蕃神 = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている[12]。他にも滅多に怒らない温厚な性格の例えとしても用いられ、「仏の顔も三度」などの諺もある[13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 仏(ぶつ)は仏陀の略称であるとの説もある[2]
  2. ^ 漢字の研究者で「大漢和辞典」の編者。文学博士

出典

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  1. ^ a b c 新村出『広辞苑』(第三版)岩波書店、1986年10月、2111頁。 
  2. ^ a b c d e 仏陀(ぶっだ)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年9月26日閲覧。
  3. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.83
  4. ^ a b c d e f g 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、21-22頁。ISBN 978-4004317357 
  5. ^ a b 『中勘助の恋』富岡多恵子、 創元社 (1993/11)、p270
  6. ^ 中村・三枝 2009, p. 53.
  7. ^ 「仏陀」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)
  8. ^ a b c d e 中村・三枝 2009, p. 55.
  9. ^ Vovin, Alexander (2006). “Why Manchu and Jurchen Look So Un-Tungusic”. In Alessandra Pozzi, Juha Janhunen and Michael Weiers. Tumen jalafun secen aku. Manchu Studies in Honour of Giovanni Stary. Wiesbaden: Harrassowitz. pp. 255-266. https://www.academia.edu/1804227/Why_Manchu_and_Jurchen_Look_so_Un-Tungusic 
  10. ^ Pellard, Thomas (2014). “The Awakened Lord: The Name of the Buddha in East Asia”. Journal of the American Oriental Society. doi:10.7817/jameroriesoci.134.4.689. 
  11. ^ 新村出『広辞苑』(第三版)岩波書店、1986年10月、2215頁。 
  12. ^ a b 岩波仏教辞典第2版 1989, p. 743.
  13. ^ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, ことわざを知る辞典,精選版. “仏の顔も三度とは”. コトバンク. 2022年12月12日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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