ヘルムート・フェルマー
ヘルムート・フェルマー(Helmut Fellmer, 1908年5月28日 - 1977年3月20日)は、ドイツの指揮者、音楽教師。1938年から1947年まで日本で活動した。
ヘルムート・フェルマー Helmut Fellmer | |
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別名 | Helmut Kurt Richard Fellmer |
生誕 | 1908年5月28日[1] |
出身地 |
ドイツ帝国 ザクセン王国 ドレスデン |
死没 |
1977年3月20日(68歳没) 西ドイツ ハンブルク[2][3] |
学歴 | ザクセン国立管弦楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者、音楽教師 |
経歴
編集ドレスデンに生まれる。1926年から1928年までザクセン国立管弦楽学校 (Orchesterschule der Sächsischen Staatskapelle) でクルト・シュトリーグラーに指揮と作曲を、ヘルマン・ドレフス[4]にピアノを、アルフレート・シュピッツナー[5]にヴィオラを師事した。1933年にヴァイマルのドイツ国民劇場 (Deutsches Nationaltheater und Staatskapelle Weimar) 楽長とアルテンブルクの市劇場 (Staatskapelle Altenburg) 指揮者となる。1938年に来日し、同年4月から1945年8月まで東京音楽学校の講師となり、作曲、合唱、管弦楽を教える。1945年から武蔵野音楽学校の講師となったが、アメリカ占領軍による在日ドイツ人追放のために1947年2月に連合軍軍政期のドイツに帰国した。帰国後はカッセル歌劇場 (Staatstheater Kassel) 楽長および合唱指揮者(1947年)、ヴッパータール市立歌劇場 (Städtische Bühnen Wuppertal) 第一指揮者(1954年4月)、レムシャイト市立交響楽団 (Remscheider Symphoniker) 指揮者(1957年9月)などを歴任した[1]。
作品
編集教え子
編集脚注
編集- ^ a b 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1273–1279, 第3章 大正・昭和の東京音楽学校. 第5節 教職員. 2 外国人教師. (16) ヘルムート・フェルマー Helmut Fellmer.
- ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, p. 1572.
- ^ “Fellmer, Helmut”. The MusicSack. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “Drews, Hermann”. The MusicSack. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “Spitzner, Alfred”. The MusicSack. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 東京芸術大学百年史刊行委員会 編「昭和18年5月22日 第100回定期演奏会」『東京芸術大学百年史 演奏会篇 第2巻』音楽之友社、1993年、732-733頁。ISBN 9784276006133。
- ^ 日本の作曲家 2008, p. 90, 今井 通郎.
- ^ 日本の作曲家 2008, p. 185, 柏木 俊夫.
- ^ “山田 一雄”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 388–389, 高田 三郎.
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 25–26, 網代 栄三.
- ^ 笹谷政子「略歴」『日本語の起源 第一部 縄文語』新風舎、1998年、259頁。
- ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, 口絵卒業写真資料 p. 4, 昭和16年3月卒業生.
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 108–109, 内田 美代民.
- ^ “高田 信一”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 469–470, 中田 一次.
- ^ “青山 三郎”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 富樫康『日本の作曲家』音楽之友社、1956年、358頁 。
参考文献
編集- 東京芸術大学百年史編集委員会 編『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年。ISBN 978-4-2760-0615-7。
- 細川周平、片山杜秀 監修『日本の作曲家 : 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年。ISBN 978-4-8169-2119-3。