ミハス
ミハス(スペイン語: Mijas)は、スペイン・アンダルシア州マラガ県のムニシピオ(基礎自治体)。コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)にあり[1]、白い村の中心的な町として、国内で有数の観光地となっている。経済は主に観光によって成り立っている。
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州 | アンダルシーア州 |
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県 | マラガ県 |
面積 | 148.885 km² |
標高 | 428m |
人口 | 77,521 人 (2014年) |
人口密度 | 520.68 人/km² |
住民呼称 | Mijeño/a |
北緯36度36分 西経04度38分 / 北緯36.600度 西経4.633度座標: 北緯36度36分 西経04度38分 / 北緯36.600度 西経4.633度
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歴史
編集ミハスの集落は古代にタルテッソス人によって造られた。当時の砦跡は現在の市壁の一部として見ることができる。古代ギリシアやポエニ人が、豊富な鉱物資源目当てに村にやってきていたことが、2世紀に出版されたプトレマイオスによる『地理学』に記述されている。
ローマ人には「タミサ」(Tamisa)の名前で知られており、彼らはミハスと活発に貿易をしていた。ローマ人による支配の後、714年より西ゴート族の支配に代わり、更にはムーア人による支配へと代わった。ムーア人は異教徒の村人が蓄財することや彼らの宗教・慣習を、村の農産物や畜産品の3分の1を徴税することを条件として認めた。タミサの名前をミクサ(Mixa)に変更したのもムーア人であり、ミクサが後に現在のミハスという名前に変化した。
コルドバ首長国の時代、村はウマル・イブン・ハサンに征服され、9世紀末にアブド・アッラフマーン3世に敗れるまでその支配が続いた。
1487年のマラガ包囲の間、ミハスはカトリック両王の攻撃に抵抗した。マラガ陥落の後、住民たちは降伏し、その大部分が奴隷として売られていった。数十年後のコムネロスの反乱の間、ミハスはスペイン王に忠誠を誓ったため、王室より「Muy Leal」(非常に忠実)の称号が与えられた。その後ほどなくして、フアナがミハスを村から町に昇格させ、国王課税を免除した。
この頃から19世紀にかけて、海岸沿いにおける海賊行動が活発になり、ミハスは苦難を強いられた。海賊行動を監視するために、現在も海岸沿いで見ることのできる見張り塔が建設された。
脚注
編集- ^ 『世界の美しい階段』エクスナレッジ、2015年、151頁。ISBN 978-4-7678-2042-2。