モンペリエHSC

フランスのサッカークラブ

モンペリエ・エロー・スポール・クリュMontpellier Hérault Sport Club)は、フランスモンペリエを本拠地とするサッカークラブチーム。

モンペリエHSC
原語表記 Montpellier Hérault Sport Club
愛称 La Paillade
クラブカラー    
    橙色
創設年 1919年
所属リーグ フランスプロサッカーリーグ(LFP)
所属ディビジョン リーグ・アン(1部)(2024-25
昨季リーグ順位 リーグ・アン12位(2023-24
ホームタウン モンペリエ
ホームスタジアム
スタッド・ドゥ・ラ・モッソン
収容人数 32,950
代表者 フランスの旗 ローラン・ニコランフランス語版
監督 アルメニアの旗 ミシェル・デル・ザカリアン
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

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スタッド・ドゥ・ラ・モッソン

1919年、Stade Olympique de MontpellierSOモンペリエ)として創設。1927年にSports Olympiques Montpellierainsと名称を変更する。1929年にカップ戦で初優勝、1932年にプロチームとなる。1937年に発足当初のチーム名に戻している。

1969年、プロチームが廃止され、翌年Montpellier-Littoral FCとして再出発する。1974年、AS Pailladeと合併し、Montpellier La Paillade SCと改名する。1978年に再びプロチームとなり、1989年に現在の名称に変更された。

1980年代後半から1990年代の全盛期にはクラブ歴代最多得点者のローラン・ブランが在籍し、1989-90シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝、1991-92シーズンにはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした[1]。1989-90シーズンには1シーズンだけエリック・カントナが在籍し、1988年から1991年にはカルロス・バルデラマも在籍していた。また、2003-04シーズンには日本人の廣山望が所属していた。

2008-09シーズン、ローラン・クルビ監督に導かれたチームは5シーズンぶりのリーグ・アン昇格を果たした。昇格初年度の2009-10シーズンには、エミル・スパヒッチアルベルト・コスタなどリーグ・アンでは無名の選手たちが躍動し、シーズンの半分以上の期間をUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位以内で過ごすなど、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得する5位という好成績で終えた。2010-11シーズンには年間シーズンチケットの購入者数がクラブ史上初めて1万人を超え、ホームゲームでの平均観客数は2シーズン連続で1万5000人を超えた[1]。リーグ戦では14位に終わったが、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは準決勝でパリ・サンジェルマンFCを破り、決勝でオリンピック・マルセイユに敗れたものの準優勝を果たした。2009年に就任したルネ・ジラール監督は若手を積極的に抜擢し、就任後にユネス・ベランダカリム・アイ=ファナアブデルアミド・エル・カウタリ(いずれもモロッコ代表)やマプ・ヤンガ=ムビワ(フランス代表)をA代表に送り出している。

2011-12シーズンの年間予算はわずか3500万ユーロ(約38億5000万円)であったが[2]、ジラール監督はジャメル・サイヒ、ヤンガ=ムビワ、ベランダなど下部組織出身の若手と、ジョフリー・デルニスイウトンなどのベテランと巧みに融合させた[3]。守備時は4-1-4-1もしくは4-4-1-1、攻撃時は4-3-3フォーメーションを基調とし[4]、手数をかけないサイドからの速攻を徹底[3]。2節でリーグ王者リールを撃破すると、開幕3連勝(8得点1失点)で首位に立ち、その後も1節を除いて2位以内をキープし続けた[5]。年明けにはパリ・サンジェルマンとの一騎討ちの様相を呈し[4]、2012年2月19日に行われた直接対決は引き分けに終わったが、29節のASサンテティエンヌ戦の勝利で同勝ち点ながら首位に浮上すると、37節のリール戦(1-0)は94分の決勝点で勝利し、前シーズンの王者相手にダブル(ホーム&アウェーともに勝利)を達成して優勝に近づいた[6]。引き分け以上で優勝が決定する最終節は20分にAJオセールに先制されたものの、ジョン・ウタカの2得点で逆転勝利して優勝を決めた。1990年のクープ・ドゥ・フランス以来のタイトル獲得であった。オリヴィエ・ジルーは21得点で得点王に輝き、ヤンガ=ムビワを中心とした守備陣はリーグ最少失点に抑えた。また、ベランダが選手組合(UNFP)選出の最優秀若手選手賞を受賞し、ジラール監督が最優秀監督賞を受賞した。

クラブ名遍歴

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  • Stade Olympique de Montpellier (1919-1927,1937-1970)
  • Sports Olympiques Montpellierains (1927-1937)
  • Montpellier-Littoral FC (1970-1974)
  • Montpellier La Paillade SC (1974-1989)
  • Montpellier Hérault Sport Club (1989-現在)

タイトル

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国内タイトル

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2011-12
1945-46, 1960-61, 1986-87
  • DH Sud-Est: 3回
1928, 1932, 1976
1929, 1990
1992

国際タイトル

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1999

過去の成績

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シーズン リーグ戦 カップ戦 リーグ杯
ディビジョン 順位
2002-03 リーグ・アン 38 10 10 18 37 54 40 16位 ベスト64 ベスト32
2003-04 リーグ・アン 38 8 7 23 41 74 31 20位 ベスト32 ベスト32
2004-05 リーグ・ドゥ 38 15 10 13 44 39 55 8位 8回戦敗退 準々決勝敗退
2005-06 リーグ・ドゥ 38 12 11 15 34 43 47 12位 準々決勝敗退 ベスト16
2006-07 リーグ・ドゥ 38 11 11 16 41 48 44 15位 ベスト16 ベスト32
2007-08 リーグ・ドゥ 38 14 12 12 43 32 54 8位 ベスト32 ベスト16
2008-09 リーグ・ドゥ 38 19 9 10 61 36 66 2位 ベスト64 ベスト16
2009-10 リーグ・アン 38 20 9 9 50 40 69 5位 ベスト64 ベスト32
2010-11 リーグ・アン 38 12 11 15 32 43 47 14位 ベスト64 準優勝
2011-12 リーグ・アン 38 25 7 6 68 34 82 1位 準々決勝敗退 ベスト32
2012-13 リーグ・アン 38 15 7 16 54 51 52 9位 ベスト32 準決勝敗退
2013-14 リーグ・アン 38 8 18 12 45 53 42 15位 ベスト16 ベスト32
2014-15 リーグ・アン 38 16 8 14 46 39 56 7位 ベスト64 ベスト32
2015-16 リーグ・アン 38 14 7 17 49 47 49 12位 ベスト32 ベスト32
2016-17 リーグ・アン 38 10 9 19 48 66 39 15位 1回戦敗退 ベスト16
2017-18 リーグ・アン 38 11 18 9 36 33 51 10位 3回戦敗退 準決勝敗退
2018-19 リーグ・アン 38 15 14 9 53 42 59 6位 ベスト64 ベスト32
2019-20 リーグ・アン 28 11 7 10 35 34 40 8位 ベスト16 ベスト16
2020-21 リーグ・アン 38 14 12 12 60 62 54 8位 準決勝敗退
2021-22 リーグ・アン 38 12 7 19 49 61 43 13位 ベスト16
2022-23 リーグ・アン 38 15 5 18 65 62 50 12位 ベスト64

欧州の成績

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現所属メンバー

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2023年8月25日現在[7]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ベルミン・ディズダレヴィッチ
3 DF   イシアガ・シラ
4 DF   キキ・クヤテ
6 DF   クリストファー・ジュリアン
7 FW   アルノー・ノルダン ( )
8 FW   アコル・アダムス
9 FW   ムーサ・アッ=タアマリー
10 FW   ワフビ・ハズリ ( )
11 MF   テジ・サヴァニエ ( )
12 MF   ジョルダン・フェッリ
13 MF   ジョリス・ショタール
14 DF   マクシム・エステーヴ
No. Pos. 選手名
16 GK   ディミトリ・ベルトー ( )
17 DF   テオ・サン=リュス ( )
18 MF   レオ・ルロワ
19 MF   サシャ・ドゥレイ
20 FW   ヤニス・ゲルムシェ ( )
22 MF   ハリル・ファヤ ( )
27 DF   ベチル・オメラギッチ ( )
29 DF   エンツォ・チャト ( )
40 GK   バンジャマン・ルコント
75 DF   ママドゥ・サコー ( )
77 DF   ファライェ・サッコ

歴代監督

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歴代所属選手

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脚注

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  1. ^ a b 「ハンドボール、ラグビーの町を変えつつある快進撃。今やサッカーが地元の誇り」、footballista、ソルメディア、2012年3月14日号、19頁
  2. ^ 『2011-2012 EUROPA SOCCER TODAY』、日本スポーツ企画出版社、2012年、92頁
  3. ^ a b 「“良い独裁者”の下で納得のクラブ戦略。今季は若返りにも成功」、footballista、ソルメディア、2011年11月23日号、14頁
  4. ^ a b 「モンペリエってどんなチーム?」、footballista、ソルメディア、2012年2月22日号、11頁
  5. ^ 「ノーマーク組の健闘 『金の卵』出現でモンペリエが上位維持」、footballista、ソルメディア、2012年1月4・11日合併号、16頁
  6. ^ 「決勝点は94分! モンペリエ劇的に、現王者下す」、footballista、ソルメディア、2012年5月23日号、29頁
  7. ^ “Effectif et staff”. https://www.mhscfoot.com/effectif/2022-2023/equipe-pro 2023年8月25日閲覧。 

外部リンク

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