中村梅玉
解説
編集「梅玉」は三代目中村歌右衛門の俳名に由来する。「中村福助」の名跡が東西に分裂したのち、大阪の高砂屋三代目福助は「中村歌右衛門」を襲名するわけにもゆかないことから、三代目歌右衛門の俳名「梅玉」を名跡として独立させ、これを二代目として名乗った。
昭和23年(1948年)に三代目梅玉が死去し、昭和44年(1969年) にその養子の高砂屋五代目福助が死去すると、高砂屋では家系が途絶えたため遺族(笹木笑子)が「福助」の名跡を成駒屋に返上することを申し出た。
これをうけて六代目中村歌右衛門は、昭和42年(1967年)に成駒屋八代目中村福助を襲名させた養長子を、平成4年(1992年)に高砂屋の四代目中村梅玉とした。ここに100年以上にわたって分裂していた「中村福助」の名跡は「中村梅玉」の名跡と共に統合されることになった。