島津朝子
日本の元皇族
(久邇朝子から転送)
島津 朝子(しまづ あさこ、1927年〈昭和2年〉10月23日 - 1964年〈昭和39年〉8月21日)は、日本の旧皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第2王女子。 旧名は、朝子女王(あさこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。島津斉視男爵夫人。
島津 朝子 (朝子女王) | |
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1930年代撮影 | |
続柄 | 久邇宮朝融王第2王女子 |
全名 | 島津 朝子(しまづ あさこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
お印 | 鼓[1] |
出生 |
1927年10月23日 日本・東京府東京市本郷区 (現:東京都文京区) |
死去 |
1964年8月21日(36歳没) |
配偶者 | 島津斉視 |
父親 | 久邇宮朝融王 |
母親 | 朝融王妃知子女王 |
今上天皇の従叔母にあたる。
略歴
編集1927年(昭和2年)10月23日、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第2王女子として誕生。御七夜の10月29日に「朝子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 朝子(くに あさこ)」と名乗った。皇籍離脱直後の10月29日に島津忠弘家の元男爵で父宮の従弟の島津斉視と結婚し、「島津 朝子(しまづ あさこ)」となる。1964年(昭和39年)8月21日、36歳で逝去。なお斉視は後に武井礼子と再婚している。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
血縁
編集脚注
編集- ^ “【ボンボニエールの物語vol.48】続・皇族 お印の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年7月14日). 2022年12月13日閲覧。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。