二十八部衆

千手観音の眷属

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)は、千手観音眷属。 東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されており、合計で二十八部衆となる。

千手観音を守る二十八部衆の一尊・乾闥婆(三十三間堂)
千手観音二十八部衆図
細見美術館蔵 鎌倉時代

典拠

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典拠となる経典は『千手観音造次第法儀軌』(善無畏 637年-735年訳)であるが、よく読んでみると一部に二つ三つの名前が入っていたり(下記の名称を見て解る通り複数の仏尊を纏めて一つの尊格として扱っている)、第二十一番目には「二十八部大仙衆」があったりと、経典の作者がかなりいい加減に「二十八部」を作り上げていたことがわかる(その二十八部大仙衆を一尊で代表しているのが下記の婆藪仙である)。

この経典は弘法大師によって日本に持ち込まれて普及した。しかし中国など日本以外の地域ではほとんど広まらなかった。

『儀軌』は、『千手陀羅尼経』(伽梵達磨 650年-655年ごろ訳)の偈文に連ねられている一切善神と一部の誤字を除いて一致するために、これをもとのサンスクリットをあまり理解しないまま写したものだと考えられている。しかし当の『陀羅尼経』にはどこにも「一切善神」が二十八部であるとは書かれていない。

このことを指摘し、おおよそ正確に本来のサンスクリットと対照して四十九部に修正したのが日本の僧侶定深による『千手経二十八部衆釈』(1108年ごろ)であるが、それ以外はほとんど省みられなかった[1]

二十八部に纏められたのは、『千手陀羅尼経』にある前述の二十八部大仙衆や、『金光明経』や『孔雀経』に説かれる二十八部鬼神大将や二十八部薬叉大将の影響であり、二十八という数字が重視されたのは二十八宿に由来すると考えられる[2]

名称

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上述の通り『儀軌』には約50部[注 1]もの尊名が書かれているが、その中から独自に28尊を選び出し再構成したものが以下の三十三間堂の二十八部衆である[3][注 2]。また、何尊か重複しているがこれは他の経典でも見られることであり、韻律を整えるために字数を揃えるためか、または、複数の異なる資料を参照したためだと考えられる[4]

  1. 那羅延堅固(ならえんけんご)
  2. 難陀龍王(なんだりゅうおう)
  3. 摩睺羅(まごら)
  4. 緊那羅(きんなら)
  5. 迦楼羅(かるら)
  6. 乾闥婆(けんだつば)
  7. 毘舎闍(びしゃじゃ)
  8. 散支大将(さんしたいしょう)
  9. 満善車鉢(まんぜんしゃはつ)[注 3]
  10. 摩尼跋陀羅(まにばだら)
  11. 毘沙門天(びしゃもんてん)
  12. 提頭頼吒王(だいずらたおう)
  13. 婆藪仙(ばすせん)
  14. 大弁功徳天(だいべんくどくてん)[7]
  15. 帝釈天王(たいしゃくてんおう)
  16. 大梵天王(だいぼんてんおう)[注 4]
  17. 毘楼勒叉(びるろくしゃ)
  18. 毘楼博叉(びるばくしゃ)
  19. 薩遮摩和羅(さしゃまわら)[注 5]
  20. 五部浄居(ごぶじょうご)
  21. 金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)[注 6]
  22. 神母女(じんもにょ)
  23. 金毘羅(こんぴら)[注 7]
  24. 畢婆伽羅(ひばから)
  25. 阿修羅(あしゅら)
  26. 伊鉢羅(いはつら)[注 8]
  27. 娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)
  28. 密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)

三十三間堂に祀られているのは以上に風神雷神(下記の水火雷電神に由来する[17])を加えたものだが、この他にも『千手経二十八部衆釈』には二十八部衆の構成員として烏蒭灑摩明王[注 9]君荼利明王、鴦俱尸[注 10]、八部力士[注 11]、賞迦羅[注 12]摩醯首羅、迦毘羅[注 13]婆馺婆楼那[注 14]真陀羅鳩蘭単吒[注 15]、半祇羅[注 16]、応徳[注 17]毘多[注 18]、薩和羅[注 19]炎摩羅、娑怛那[注 20]満賢薬叉跋難陀、水火雷電神、鳩槃荼王が挙げられている[28]

主な二十八部衆像安置寺院一覧

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二十八部衆像ではなく三十三応現身像である可能性がある像

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博物館所蔵

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日本以外の二十八部衆像

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脚注

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注釈

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  1. ^ 定深は四十九部としたが、満善車鉢と八部力士賞迦羅、梵摩三鉢羅はそれぞれニ尊を合わせた名称と考えられ、後述のルドラも含めれば最大で合計53部となる(薩遮摩和羅を一尊と見做すかどうかでも総数が変化する)。
  2. ^ ただし、満善車鉢、大弁功徳天、薩遮摩和羅は二尊を分離しないまま入れてしまっているため30尊以上になっている。
  3. ^ 満善(プールナバドラ)及び車鉢羅婆(Chagalapāda、チャガラパーダ、「山羊の足を持つ者」の意)の二尊の夜叉神を合わせた尊格であり、下記の満賢薬叉と重複している[5](プールナバドラは「満善」とも訳せる)。また、山田明爾は満善を同じく夜叉神のPūrṇaka(プールナカ、分那柯)のこととしている[6]
  4. ^ 『千手陀羅尼経』や『儀軌』には「梵摩三鉢羅」と書かれており、定深は梵天一尊と見做したが、田中公明が参照したチベット語訳経典3本ではいずれも梵摩(梵天)と三鉢羅が別尊となっており、三鉢羅は『金光明経』の「鬼神品」に登場する阿修羅王のサンヴァラ(Saṃvara)と考えられる[8]
  5. ^ 『千手経二十八部衆釈』では薩遮摩(大神将軍女)と摩和羅[9](mahābalasenapati、大力将軍)を合わせた尊格とされており、山田明爾は薩遮摩は八大羅刹女の一尊である蘇試麽(sucimā)のことではないかと述べている[10]。田中公明は薩遮の部分の正体について、ジャイナ教の修行者サティヤカが薩遮と音写されることから、初期密教経典に登場する精霊サティヤの名を挙げているが確信には至っていない[11]。また、田中はチベット語訳の経典で摩和羅がmahāraと表記されているため十二神将の摩虎羅大将(mahāla)と同一かもしれないとも考察している(法成による訳だが当時の漢語にはraとlaの区別が無いため)[12]。さらに、田中は『孔雀経』において下級神格の男性頭目をmahallakaと呼ぶことから薩遮摩和羅を「サティヤの頭目」と解釈することも可能と指摘している[12]
  6. ^ 孔雀明王本人ではなく孔雀明王が騎乗する孔雀を独立した尊格としたものである[13]。元々「金色孔雀王」の名は陀羅尼経典『孔雀経』の古訳である『金色孔雀王呪経』を初出としており、敦煌の仏画では千手観音を挟んで対称的な位置に孔雀に騎乗した孔雀王とガルダに騎乗した金翅鳥王が描かれている[14](孔雀明王と那羅延天の乗騎がそれぞれ独立した尊格となったことを表している)。
  7. ^ 『千手陀羅尼経』には「金剛羅陀(『千手経二十八部衆釈』では「金毘羅陀羅」[10]。『儀軌』では「金毘羅陀」。)」と書かれており、田中公明が参照したチベット語訳経典3本の内の一つではクンビラ(金毘羅)とルドラ(この場合シヴァ神の別名で、金剛羅陀の羅陀の部分がルドラないしその形容詞形ラウドラ〔「凶暴な」の意〕であり、金剛羅羅陀を略して金剛羅陀としたと解釈している)を合わせた尊名となっている(他二つでは金毘羅のみとなっている)[15]
  8. ^ 梵名をエーラパトラ(またはエーラーパトラ[13])といい、仏教遺跡バールフトの「エーラパトラ龍王の帰仏」で有名なナーガラージャである[16]
  9. ^ 烏枢沙摩明王と軍荼利明王は千手観音の脇侍となる場合がある(烏枢沙摩明王が向かって左で軍荼利明王は右)[18]。また、軍荼利明王の代わりに青面金剛馬頭明王を配置する場合もある[18]
  10. ^ おうくし、梵名アンクシー(ヴァジュラーンクシー[19])、金剛鉤女[20]
  11. ^ 上記の那羅延堅固を指しており重複している[21]
  12. ^ しょうから、梵名シュリンカラー(ヴァジュラシュリンカラ[22])、金剛鏁[23]
  13. ^ かびら、梵名カピラ(Kapila)、劫比羅薬叉[15]
  14. ^ ばそうばるな(『千手陀羅尼経』では婆馺婆楼羅)、ヴァス神群ヴァルナの意[24]
  15. ^ くらんたんた、梵名クータダンティー(Kūṭadantī)、曲歯[25]
  16. ^ はんぎら、梵名はパーンチカであるが[25]、サンジュニェーヤとパーンチカは別尊格ともされるため上記の散支大将と必ずしも重複している訳ではない。
  17. ^ 吉祥天女のこととされており上記の大弁功徳天の功徳の部分と重複している[8]
  18. ^ ヴェーターラを指すという説もある[8]
  19. ^ さわら。田中公明はこの名は意味不明であると述べている[26]。『千手経二十八部衆釈』には「初神」と書かれている[10]
  20. ^ 田中公明は、梵名はSatanaと考えられるが意味不明であると述べている[27]。『千手経二十八部衆釈』には天女摩利支と書かれている[10]

出典

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  1. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.48-65
  2. ^ 『蓮華』pp.38-39
  3. ^ 『日本の美術』第379号、pp.39
  4. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.167
  5. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.164,167
  6. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.64
  7. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.51,52
  8. ^ a b c 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.157
  9. ^ 摩和羅(大力将軍)と堅牢地神の同一視は「二十四諸天と二十八部衆(東アジアの思想と構造)」pp.235より(『金光明経』に「地神大力」の語があり、二十八部衆と構成員の重複が多い二十四諸天や二十八天に堅牢地神が含まれている)。
  10. ^ a b c d 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.54
  11. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.165
  12. ^ a b 『密教図像』第38号、pp.45
  13. ^ a b 三十三間堂内の解説看板より。
  14. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.158,159
  15. ^ a b 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.155,156
  16. ^ 『密教図像』第38号、pp.46
  17. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.161
  18. ^ a b 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.147
  19. ^ 『曼荼羅図典』pp.82
  20. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.147,148
  21. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.149
  22. ^ 『曼荼羅図典』pp.75
  23. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.148
  24. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.162,163
  25. ^ a b 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.165,166
  26. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.156,157
  27. ^ 『千手観音と二十八部衆の謎』pp.158
  28. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.54,55
  29. ^ 島田市観光協会HPより。慶長15(1610)年二十八部衆像再建
  30. ^ 東愛知新聞[2017年5月4日閲覧]より。
  31. ^ 東日新聞[2023年1月28日閲覧]より。

参考文献

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  • 山田明爾「『千手観音二十八部衆の系譜』 ―諸天鬼神の系譜研究の一環として」『龍谷大學論集』399、1972年
  • 三十三間堂本坊妙法院門跡『蓮華 98号 ―仏教文化講座たより―』2020年
  • 伊東史朗『日本の美術』第379号、至文堂1997年
  • 田中公明『千手観音と二十八部衆の謎』春秋社、2019年2月。ISBN 978-4-393-13428-3 
  • 二階堂善弘「二十四諸天と二十八部衆(東アジアの思想と構造)」『東アジア文化交渉研究』関西大学大学院東アジア文化研究科、(6)、2013年
  • 密教図像学会『密教図像』第38号、法藏館2020年
  • 染川英輔 他『曼荼羅図典』大法輪閣1993年

関連項目

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