井本直樹
井本 直樹(いもと なおき、1976年8月12日 - )は、愛知県知多郡阿久比町[1]出身の元プロ野球選手。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県知多郡阿久比町 |
生年月日 | 1976年8月12日(48歳) |
身長 体重 |
174 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト3位 |
初出場 | 2001年4月1日 |
最終出場 | 2001年4月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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来歴・人物
編集小学3年から野球を始め、中学から投手一筋になる[1]。
高校卒業後、社会人野球の日本通運名古屋に入部したが、チームが埼玉県を本拠地とする日本通運に吸収合併されたのを機に、1999年から新日本製鐵名古屋に移籍。都市対抗野球大会には王子製紙春日井、三菱自動車岡崎の補強選手として先発し、勝利投手にもなった[1][2]。9月の日本選手権東海地区予選では3試合すべてに完投して、2完封を記録[1]、本大会でも初戦を完投勝利[3]。
2000年、同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。
ルーキーイヤーの2001年にプロ初登板を含める6試合に登板し、プロ初セーブも記録した。だが、防御率は8.31と振るわなかった。さらに、肩痛の影響もあってわずか2年で引退となった(練習生として復帰を目指したが叶わなかった)[1]。
引退後は、裏方に回り打撃投手を経て、2004年からはスコアラーを務めている[1]。
2004年から2005年まではスコアラーとして横浜ベイスターズを担当し、2006年から2008年は阪神タイガース、2009年からは再び横浜ベイスターズを担当した。2012年でスコアラーの担当制は廃止されたが、2015年から再び担当制が復活し、阪神タイガースを担当し、2016年からは広島東洋カープを担当する。2018年からは、阪神タイガースを担当する。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2001 | 中日 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 41 | 8.2 | 10 | 2 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8.31 | 1.85 |
通算:1年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 41 | 8.2 | 10 | 2 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8.31 | 1.85 |
記録
編集- 初登板:2001年4月1日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、7回表に3番手で救援登板、1/3回4失点
- 初奪三振:同上、7回表に高橋建から見逃し三振
- 初セーブ:2001年4月4日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、7回裏に3番手で救援登板・完了、3回無失点
背番号
編集- 31 (2001年 - 2002年)
- 123 (2003年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 井本直樹 - NPB.jp 日本野球機構