京セラ女子陸上競技部
沿革
編集1982年(昭和57年)2月、鹿児島県の川内工場で「陸上競技部」を創部。当時は男子選手も在籍していた。
1983年(昭和58年)3月、鹿児島県の国分工場へ拠点を移す。
2000年(平成12年)3月、京都府京都市伏見区の京都本社に拠点を移す。「女子陸上競技部」になり、女子選手だけが在籍するようになり、鹿児島県に残った男子は「京セラ鹿児島」のチーム名で同好会として活動を継続する。
2009年(平成21年)3月、監督の大森国男、選手の原裕美子、小川清美が退部[1]。
2009年(平成21年)4月、廃部となった沖電気陸上競技部より監督の新原保徳および選手の宮内洋子、宮内宏子(双子)が移籍[2]。
2013年(平成25年)12月、監督の新原保徳が病気のため、死去[3]。その後はしばらくコーチの長渡憲司が暫定的に指導を行っていた。
2014年(平成26年)2月、中国電力陸上競技部所属の元選手、佐藤敦之の監督就任、妻である佐藤美保のコーチ就任が報道された[4][5]。
2014年(平成26年)3月、コーチの長渡憲司、選手の宮内洋子、宮内宏子が退部。
2014年(平成26年)4月、佐藤敦之監督、佐藤美保コーチが正式に就任。
オリンピックへの出場
編集選手・スタッフ
編集脚注
編集- ^ “駅伝の強豪京セラの大森監督が退社へ - スポーツニュース : nikkansports.com” (日本語). nikkansports.com 2018年11月8日閲覧。
- ^ “京セラ女子陸上部新監督に新原保徳氏 - スポーツニュース : nikkansports.com” (日本語). nikkansports.com 2018年11月8日閲覧。
- ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「京セラ女子陸上部監督 新原保徳氏が死去 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ」『スポニチ Sponichi Annex』。2018年11月8日閲覧。
- ^ 朝日新聞 2014年2月2日東京朝刊14版 27面
- ^ “佐藤敦之氏が京セラ女子陸上部監督に - 陸上ニュース : nikkansports.com” (日本語). nikkansports.com 2018年11月8日閲覧。
- ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「京セラ女子陸上部 佐藤敦之新監督迎え、新拠点で本格始動 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ」『スポニチ Sponichi Annex』。2018年11月8日閲覧。
- ^ デイリースポーツ社. “京セラ女子陸上部、新拠点で出発/スポーツ速報/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp. 2018年11月8日閲覧。