伊号第四十四潜水艦

日本の一等潜水艦

伊号第四十四潜水艦(いごうだいよんじゅうよんせんすいかん、旧字体:伊號第四十四潜水艦)は、日本海軍潜水艦伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の5番艦である。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十七型潜水艦の25番艦[3][4]1945年昭和20年)回天攻撃隊に参加し戦没。

伊号第四十四潜水艦
回天を搭載して出撃する伊44 (大津島基地、1945年4月3日[1])
回天を搭載して出撃する伊44
大津島基地、1945年4月3日[1]
基本情報
運用者 大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
級名 伊四十型潜水艦
艦歴
計画 昭和17年度計画(マル急計画
起工 1942年6月11日
進水 1943年3月5日
就役 1944年1月31日
最期 1945年4月18日戦没
除籍 1945年6月10日
要目
基準排水量 2,230トン
常備排水量 2,624トン
水中排水量 3,700トン
全長 108.7 m
最大幅 9.30 m
吃水 5.20 m
機関 艦本式1号甲10型ディーゼル2基2軸
出力
  • 水上:11,000馬力
  • 水中:2,000馬力
速力
  • 水上:23.5 kt
  • 水中:8.0 kt
燃料 重油
航続距離
  • 水上:14,000海里 / 16ノット
  • 96海里 / 3 kt
乗員 94名[2]
兵装
搭載機 零式小型水上偵察機1機
(呉式1号4型射出機1基)
その他 安全潜航深度:100 m
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艦歴

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歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』414頁による。

艤装員長

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  1. 横田稔 中佐:1944年1月20日 -

艦長

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  1. 横田稔 中佐:1944年1月31日 -
  2. 川口源兵衛 大尉:1944年9月16日 - (終戦後、大陽酸素株式会社の設立に携わり、日本酸素ホールディングスへと繋がる)
  3. 増沢清司 少佐:1945年3月17日 - 4月18日戦死

脚注

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  1. ^ 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集19巻』119頁。
  2. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。
  3. ^ 昭和18年2月5日付 海軍内令 第195号。「昭和18年1月~4月 内令 1巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070175400 。海軍艦船要覧 2013, p. 90
  4. ^ 当時はすでに、伊号第十五潜水艦の除籍に伴い伊十五型から伊十七型と改称されていた。昭和17年12月24日付 海軍内令 第2381号。「昭和17年9月~12月 内令(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070174200 。海軍艦船要覧 2013, p. 90
  5. ^ a b 海軍艦船要覧 2013, p. 101.
  6. ^ 昭和20年6月10日付 海軍内令 号数不明。海軍艦船要覧 2013, p. 101

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 渡辺博史『海軍艦船要覧 艦艇・特務艦艇・特設艦船・その他』ブックショップマイタウン、2013年4月5日。ISBN 978-4-938341-86-2 

関連項目

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