伊達国隆
江戸時代前期の武士。仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家2代
伊達 国隆(だて くにたか)は、江戸時代前期の武士。仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家2代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 慶安元年9月11日(1648年10月27日) |
改名 | 子々松(幼名)→国隆 |
別名 | 清次郎、薩摩 |
主君 | 伊達政宗→忠宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達政隆 |
妻 | 法性院:石母田宗頼の女 |
子 |
女子:伊達宗規正室 養子:宗規(伊達忠宗七男) |
生涯
編集元和元年(1615年)8月、父・政隆の死去によりわずか2歳で家督・知行1000石を相続し、陸奥国栗原郡清水邑主となる。長に及び石母田宗頼の女を正妻に迎え女子を授かるが、寛永16年(1639年)8月28日、妻が病により22歳で亡くなる[1]。寛永19年(1642年)、領内で行われた寛永総検地が「二割出目」で行われたため、正保元年(1644年)8月、出目高を加増され、知行1200石となる。同年9月、主君・伊達忠宗の世子・光宗に仙台城書院で御礼御目見する。
正保4年(1647年)5月、伊達忠宗の七男・藤松丸(後の宗規)を婿養子に迎える。慶安元年(1648年)9月11日、死去。享年35。家督は藤松丸が相続した。
参考文献
編集- 『伊達世臣家譜』
脚注
編集- ^ 『石母田家文書』史料編 刀水書房
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