伊集院須磨
島津斉彬の側室。子に島津篤之助(1848.12.18-1849.8.8、四男、夭折)
伊集院 須磨(いじゅういん すま、文政4年(1821年)- 明治3年3月24日(1870年4月24日))[1]は、薩摩藩主・島津斉彬の側室。出自は不明で、養父は薩摩藩士・伊集院兼珍。名は須満、寿満とも書く。
早くから斉彬に出仕し奉公したという。斉彬の寵愛を受け、篤之助、虎寿丸、暐姫、典姫、寧姫の二男三女を儲けた。また、篤姫の実子工作の際、幕府に篤姫実母として届けられた女性である。斉彬の遺言により、3枚の斉彬肖像写真のうち1枚が「侍女須磨」こと伊集院須磨に伝えられた[2]。
晩年は娘・暐姫が難産のため若くして死去するなど不幸であった。暐姫の死の1年後、後を追うように死去した。享年50。神号[3]は「和霊徳壽姫命」、墓所は斉彬の墓のある福昌寺跡ではなく、暐姫やその夫・島津忠義の墓が築かれた常安峰にある[4]。