健田須賀神社

茨城県結城市にある神社

健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)は、茨城県結城市にある神社である。旧社格県社。明治時代に健田神社須賀神社を合祀したもので、このうち健田神社は式内社である。

健田須賀神社
所在地 茨城県結城市結城195
位置 北緯36度18分08秒 東経139度52分29秒 / 北緯36.30222度 東経139.87472度 / 36.30222; 139.87472 (健田須賀神社)座標: 北緯36度18分08秒 東経139度52分29秒 / 北緯36.30222度 東経139.87472度 / 36.30222; 139.87472 (健田須賀神社)
主祭神 武渟川別命
須佐之男命(津島牛頭天王
社格 式内社(小)
県社
創建 不詳(旧健田神社)
仁治3年(1242年)(旧須賀神社)
本殿の様式 神明造
別名 天王社
例祭 11月15日
地図
健田須賀神社の位置(茨城県内)
健田須賀神社
健田須賀神社
健田須賀神社所在地
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武渟川別命(旧健田神社祭神)と須佐之男命(旧須賀神社祭神)を祀る。

歴史

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健田神社は、創建の由緒は不詳であるが、結城国造竹田臣が祖神の武渟川別命を祀ったものと伝えられる。武渟川別命は四道将軍の一人として東国を平定・開拓した人物である。延喜式神名帳に「下総国結城郡 健田神社」として下総国11社のうちの1社として記載され、小社に列している。宝暦14年(1764年)、結城本郷小塙村にある結城家の菩提所である見龍山覺心院乘國寺曹洞宗)の境内に遷座した。

須賀神社は、当地に封じられた結城氏が、仁治3年(1242年)6月に尾張国津島神社より勧請を受けて「天王社」として創建したものである。康永2年(1343年)、結城直朝結城七社を定め、当社を結城郷総社とした。明治元年、神仏分離令により天王社から須賀神社に改称した。

明治3年、健田神社は乗国寺から別れ、須賀神社に合祀されて健田須賀神社と称した。明治6年に郷社に列格し、昭和5年に県社に昇格した。

外部リンク

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